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 『資本論』
 価値概念とアリストテレス   2020.07.01

  資本論ワールド 編集部

1.  「われわれの研究は、商品の分析をもって始まる」ーマルクスは『資本論』の冒頭で宣言し、そして『経済学批判』の(注1)で、アリストテレス(紀元前384-322年)を引用しながら「商品の分析」事例を紹介しています。

 第1章 商品 第1章第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)

1-1 資本主義的生産様式〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕の支配的である 社会の富は、「 巨大なる商品集積〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしい商品の集まり・集合 〕(注1)」として現われ、個々のeinzelne 商品はこの富の成素形態 〔Elementarform:元素の形式〕 として現われる erscheint。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。

 (注1) カール・マルクス『経済学批判』1859年、新潮社版第7巻p.57
 「市民社会の富は、一見して、巨大な商品集積であり、個々の商品はこの富の成素的存在であることを示している。しかして、商品は、おのおの、使用価値と交換価値(1)という二重の観点で現われる。」
 〔*『経済学批判』 アリストテレスの注(1):「何故かというに、各財貨の使用は二重になされるからである。・・・・その一つは物そのものに固有であり、他の一つはそうではない。例えていえば、サンダ ルの使用は、はきものとして用いられると共に交換されるところにある。両者共にサンダル の使用価値である。何故かというにサンダルを自分のもっていないもの、例えば食物と交換 する人も、サンダルを利用しているからである。しかし、これはサンダルの自然的な使用法 ではない。何故かいうに、サンダルは交換されるためにあるのではないからである。他の諸 財貨についても、事情はこれと同じである。」(新潮社版p.57)


2. アリストテレスの哲学関連(比例論)については、「
アリストテレスの比例論-『資本論』等価形態の”等一性”」を参照してください。
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 文献資料
    価値概念とアリストテレス

 『資本論』経済学批判 第1篇 商品と貨幣 第1章 商 品
 第3節 価値形態または交換価値
 A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
  3 等価形態  (岩波文庫p.103~111)

 等価形態の考察に際して目立つ第一の特性は、このことである、すなわち、使用価値がその反対物の現象形態、すなわち、価値の現象形態となるということである。・・・ それゆえに、具体的労働がその反対物、すなわち、抽象的に人間的な労働の現象形態となるということは、等価形態の第二の特性である。


  〔アリストテレスの分析

13. 最後に述べた等価形態の二つの特性は、価値形態、ならびにきわめて多くの思惟形態、社会形態および自然形態を、最初に分析した偉大なる探求者にさかのぼって見るとき、もっと解りやすくなる。それはアリストテレスである。

14. 商品の貨幣形態が、単純なる価値形態、すなわち、なんらか任意の他の商品における一商品の価値の表現のさらに発展した姿にすぎないということを、アリストテレスは最初に明言している。というのは彼はこう述べているからである。
    「しとね〔寝台〕5個=家1軒」
 ということは
    「しとね〔寝台〕5個=貨幣一定額」
 ということと「少しも区別はない」と。


15. 彼はさらにこういうことを看取している。この価値表現をひそませている価値関係は、それ自身として、家がしとね〔寝台〕に質的に等しいとおかれるということと、これらの感覚的にちがった物が、このような本質の
等一性 Gleichheit なくしては、通約しうる大いさとして相互に関係しえないであろうということとを、条件にしているというのである。彼はこう述べている。「交換は等一性 Gleichheit なくしては存しえない。だが、等一性は通約し得べき性質なくしては存しえない」 と。しかし、彼はここで立ちどまって、価値形態を、それ以上分析することをやめている。
  「しかしながら、このように種類のちがった物が通約できるということ」、すなわち、質的に同一であるということは「真実には不可能である」。この等置は、物の真の性質に無関係なものでしかありえない、したがって、ただ 「実際的必要にたいする緊急措置」 でしかありえないと。

16. アリストテレスは、このようにして、どこで彼のそれ以上の分析が失敗しているかということについてすら、すなわち、
価値概念の欠如についてすら、述べているわけである。等一なるものは何か?すなわち、しとね〔寝台〕の価値表現において、家がしとね〔寝台〕に対していいあらわしている共通の実体は何か?そんなものは 「真実には存しえない」 と、アリストテレスは述べている。
  なぜか?家はしとね〔寝台〕にたいしてある等一物をいいあらわしている、家が、しとね〔寝台〕と家という二つの物で現実に同一なるものをいいあらわしているかぎりにおいて。そしてこれが――人間労働なのである。

17. しかしながら、
商品価値の形態〔形式〕においては、すべての労働が等一なる人間労働として、したがって等一的に作用しているものとして表現されているということを、アリストテレスは、価値形態自身から読み取ることができなかった。というのは、ギリシア社会は奴隷労働にもとづいており、したがって、人間とその労働力の不等を自然的基礎としていたのであるからである。価値表現の秘密、すなわち一切の労働が等しく、また等しいと置かれるということは、一切の労働が人間労働一般であるから、そしてまたそうあるかぎりにおいてのみ、言えることであって、だから、人間は等しいという概念が、すでに一つの強固な国民的成心となるようになって、はじめて解きうべきものとなるのである。
しかしながら、このことは、商品形態〔Warenform:商品の形式〕が労働生産物の一般的形態〔die allgemeine Form:普遍的な形式〕 であり、しがってまた商品所有者としての人間相互の関係が、支配的な社会的関係であるような社会になって、はじめて可能である。-以上、マルクスの “価値概念”-
  アリストテレスの天才は、まさに彼が商品の価値表現において、等一関係 Gleichheitsverhältnis を発見しているということに輝いている。 ただ彼の生活していた社会の歴史的限界が、妨げとなって、一体「真実には」この等一関係は、どこにあるかを見いだせなかったのである。

 
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