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 資本論用語事典2021
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 『資本論』の価値表現と方程式  ー2021.07.15ー

  価値形態(価値の形式)と 価値表現の方程式


価値表現の共通なものGemeinsam
『資本論』の 実体と形式について
  ◆ 目 次
 
 序 論  交換価値と価値方程式  
  1.〔交換価値について〕
  2.〔交換関係と方程式〕
  3. 第3節 価値形態〔商品の価値関係と価値表現〕
  4. 単純な価値表現の形式
 Ⅰ 『資本論』の方程式の解題
    ー連立方程式から価値方程式へー
     価値表現の展開過程の解明
  0. 方程式の成立は比例関係が根拠 Grund・根底 Grundlage
      根拠 Grund 根底 Grundlage-(ヘーゲル『大論理学』)
  1. 金の「価値表現」と価値方程式について
  2. 第3章貨幣または商品流通 第1節価値の尺度・
 Ⅱ  第3節 価値形態または交換価値
    ■価値形態論の展開は、ヘーゲル論理学
  A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
    <b 相対的価値形態の量的規定性>
  B 総体的なまたは拡大された価値形態
     <3 総体的または拡大された価値形態の欠陥>
   ( 諸方程式 ー 連立方程式)
  C 一般的価値形態  Wertgleichung
    <1 価値形態の変化した性格 >
      〔 2. 無数の方程式 〕
  D 貨幣形態
    一般的/普遍的allgemeine価値形態から貨幣形態へ
     *ヘーゲル『小論理学』概念論の適用
 Ⅲ 第3章 貨幣または商品流通
    第1節 価値の尺度〔連立方程式から価値方程式へ〕

 ■文献資料  ヘーゲル『小論理学』概念論 抄録↓

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 『資本論』の価値表現と方程式
    価値形態(価値の形式)ー価値表現の方程式

 序 論
   交換価値と価値方程式
 〔交換価値について

1.  一定の商品、1クォーターの小麦は、 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一 物を言い表している。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。

   〔交換関係と方程式

2.  さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう*。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なん らかの量の鉄に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。
 こ の方程式は何を物語るか?
 二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身 としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。

  
   第3節 価値形態
    〔商品の価値関係と価値表現
3. 最も単純な価値関係は、明らかに、ある商品が、他のなんでもいいが、ただある一つの自分とちがった種類の商品に相対する価値関係である。したがって、二つの商品の価値関係は、一つの商品にたいして最も単純な価値表現を与えている

4. 単純な価値表現の形式
A 単純なEinfache、個別的なeinzelne、またはoder 偶然的な zufällige価値形態 zufällige
 x量商品A = y量商品B あるいは、x量の商品Aは y量の商品B に値する (亜麻布20エレ = 上衣1着 または20エレの亜麻布は1着の上着に値する)
  ...............................

  『資本論』の方程式の解題
     ー連立方程式から価値方程式へー
 
  ■価値表現の展開過程の解明

0. 方程式の成立は比例関係が根拠・根底 Grundlage

  〔根拠・根底 Grundlage:ヘーゲル論理学概念論・参照〕
 [ 亜麻布=上衣ということは、方程式の基礎〔Grundlage der Gleichung方程式の基盤・根拠・根底である。Leinwand = Rock ist die Grundlage der Gleichung.〕]

1. -比例関係の明示的翻訳が重要です

 以下の『資本論』本文の文脈・趣旨で明らかなように、『資本論』第1章第1節の論理展開(1-5,1-6,1-7)は、「比例ー方程式」関係から開始されています。

 「1-5 交換価値は、まず第一に量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例〕として、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類 の使用価値と交換される①比率として、すなわち、時とところとにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる。(*編集部注)」

 (*編集部注:量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例。この「関係」と翻訳されている「Verhältnis」は、ヘーゲルの『大論理学』第2篇大きさ(量)では、第3章量的比例 das quantitative Verhältniss となっています。なお、『大論理学』第3章量的比例はこちら

 1-6 一定の商品、1クォーターの小麦は、 例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは②相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。」

 「1-7 さらにわれわれは二つの商品、 例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに③一つの 方程式 Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なん らかの量の鉄に等置される。 例えば、③1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。」
2. すなわち、比例関係として 他の種類 の使用価値と交換される比率である。交換される諸使用価値の交換価値は、相互に等しい大いさの交換価値である。したがって、この交換関係は、 一つの 方程式 Gleichung で表わすー1クォーター小麦=aツェントネル鉄ーことができる。


3. 金の「価値表現」と価値方程式について

 ・・第3章貨幣または商品流通 第1節価値の尺度・・・
 「ある商品の金における価値表現 Wertausdruck は―A商品x量=貨幣商品y量―は、その商品の貨幣形態であり、またはその価格である。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式Gleichungは、鉄価値を社会的に通用するように表示するために、充分なものとなる。方程式 Gleichung は、これ以上、他の諸商品の〔諸〕価値方程式と mit den Wertgleichungen der andren Waren」 隊伍を組んで行進する〔連立方程式が〕必要がない。」 (岩波文庫p.169)
4. 「というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。したがって、「商品の一般的な相対的価値形態 Die allgemeine relative Wertform der Waren」は、いまや再びその本源的な、「単純な、または個々的な相対的価値形態 einfachen oder einzelnen relativen Wertform」の姿〔価値方程式〕をとるにいたっている。」

5. 「さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄とをとろう。その交換関係がどうであれ、この関係はつねに一つの方程式に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される
  例えば、1クォーター小麦=a ツェントネル鉄というふうに。この方程式は何を物語るか?
 二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にa ツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、二つ(両つ)のものは一つの第3のものに等しい。この第3のものは、また、それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値であるかぎり、こうして、この第3のものに整約しうる (注1)ものでなければならない。」

 (注1) 整約する:〔 reduzieren:簡約、約分する(数式中の同類項をまとめるなど、論理的に同等で簡潔な形にすること。(「方程式、行列の簡約化」など)〕


    第3節 価値形態または交換価値

   価値形態論の展開は、ヘーゲル論理学



1.   A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
  < b 相対的価値形態の量的規定性

1-1 「亜麻布20エレ=上衣1着または亜麻布20エレは上衣1着に値する」という方程式は、1着の上衣の中にまさに20エレの亜麻布の中におけると同じだけの量の価値実体がかくされているということ、両商品量は、したがって、同じだけの労働が加えられている、または同一大いさの労働時間がかけられているということを前提とする」

1-2  「しかしながら、20エレの亜麻布または1着の上衣の生産に必要なる労働時間は、機織または裁縫の生産力における一切の変化とともに変化する。」

1-3  「Ⅰ.亜麻布の価値は変化するが、上衣価値は不変である場合。亜麻布の生産に必要な労働時間が、例えば亜麻布培地の豊度の減退の結果、2倍となったとすれば、その価値は2倍となる。亜麻布20エレ=上衣1着のかわりに、われわれは亜麻布20エレ=上衣2着という式をもつことになる。・・・すなわち商品Aの相対的価値、その商品Bに表現された価値は、このようにして、商品Bの価値を同一としても、商品Aの価値に比例して上騰したり、低下したりするのである。」

1-4 「Ⅱ.亜麻布の価値は不変であって、上衣価値が変化する場合。この事情のもとでは上衣の生産に必要な労働時間が、例えば羊毛刈りこみが不便となったために、2倍となったとすれば、われわれは亜麻布20エレ=上衣1着という式のかわりに、いまでは亜麻布20エレ=上衣1/2着という式を得る。・・・したがって商品Aの価値を不変としても、商品Bで表現されるその相対的価値は、Bの価値変化と反比例で、低下したり上騰したりするのである。」

1-5 「すなわち、相対的価値の同一なる量的変化が、全く相反した原因から発生しうるということである。このようにして、亜麻布20エレ=上衣1着という式から、 (1)亜麻布20エレ=上衣2着という方程式が出てくる。 それは亜麻布の価値が2倍になったのか、または、上衣の価値が半ばに低下したのかによるのである。さらに、 (2)亜麻布20エレ=上衣1/2という方程式も出てくる。それは亜麻布の価値が半分に低下したのか、または上衣の価値が2倍にのぼったからである。」

1-6 「Ⅲ.亜麻布と上衣の生産に必要な労働量は、同時に同一方向に同一割合で変化することもある。この場合には、その価値がどんなに変化しても、依然として亜麻布20エレ=上衣1着である。この価値変化を発見するには、これらの二つの商品を、価値不変なる第3の商品と比較しさえすればよいのである。一切の商品の価値が、同時に同一割合で上騰または低下するならば、その相対的価値は不変にとどまるであろう。こんどは、この実際の価値変化は、同一労働時間に、以前より大きな商品量か、小さな商品量かが、同じように供給されるということから明らかとなるであろう。」


2.  B 総体的なまたは拡大された価値形態
 < 3 総体的または拡大された価値形態の欠陥> Wertgleichung

2-1 「第一に、商品の相対的な価値表現は未完成である。というのは、その表示序列がいつになっても終わらないからである。一つの価値方程式が、他のそれを、それからそれとつないでいく連鎖は、引きつづいてつねに、新しい価値表現の材料を与えるあらゆる新たに現われる商品種によって引き延ばされる。」

  ( 諸方程式 ー 連立方程式
2-2 「拡大された相対的価値形態は、ただ単純な相対的価値表現、または第1形態の諸方程式の総和から成っているだけである。
  例えば
   亜麻布20エレ=上衣1着
   亜麻布20エレ=茶10ポンド 等々
 これらの諸方程式のおのおの〔連立方程式〕は、だが、両項を逆にしても同じ方程式である。
   上衣1着=亜麻布20エレ
   茶10ポンド=亜麻布20エレ 等々 〔要注意等価形態の内容が変化する



3.   C 一般的価値形態  Wertgleichung
    < 1 価値形態の変化した性格 >

3-1 「第1の形態は、上衣1着=亜麻布20エレ、 茶10ポンド=鉄1/2トン 等々というような価値方程式を作り出した。・・・この形態が明瞭に実際に現れるのは、ただ、労働生産物が、偶然的な、そして時折りの交換によって商品に転化されるような、そもそもの端緒においてである。」

    〔 2. 無数の方程式 〕
3-2 「商品世界の一般的な相対的価値形態は、この世界から排除された等価商品である亜麻布に、一般的等価の性質をおしつける。亜麻布自身の自然形態は、この世界の共通な価値態容Wertgestaltであり、したがって、亜麻布は他のすべての商品と直接に交換可能である。この物体形態は、一切の人間労働の眼に見える化身 Inkarnation (受肉)として、 一般的な社会的な蛹化 Verpuppung としてのはたらきをなす。機織という亜麻布を生産する私的労働は、同時に一般的に社会的な形態、すなわち、他のすべての労働との等一性の形態にあるのである。」

3-3 「一般的価値形態を成立させる無数の方程式は、順次に亜麻布に実現されている労働を、他の商品に含まれているあらゆる労働に等しいと置く。そしてこのことによって、機織を人間労働そのものの一般的な現象形態にするのである。」


3-4 「このようにして、商品価値に対象化されている労働は、現実的労働のすべての具体的形態を有用なる属性とから抽象された労働として、たんに否定的に表示されるだけではない。それ自身の肯定的性質が明白に現われるのである。
 それは、すべての現実的労働を、これに共通なる人間労働の性質に、人間労働力の支出に、
 約元〔Reduktion:還元、(数学:約分、換算)〕したものなのである。」

3-5 「労働生産物を、無差別な人間労働のたんなる凝結物 Gallert として表示する一般価値形態 allgemeine Wertformは、それ自身の組み立てによって、それが商品世界の社会的表現であるということを示すのである。
 このようにして、一般価値形態は、この世界の内部で労働の一般的に人間的な性格が、その特殊的に社会的な性格を形成しているのを啓示する(注2)のである。」
  (注2) 〔offenbaren:啓示:神が示現する(いろいろな姿をとって現れること)、または宗教的真理を人間へ伝達すること〕
 なお、『資本論』注24岩波文庫 p.125で、カトリック信者と教皇の関係が出されている。

3-6  < 2相対的価値形態と等価形態の発展関係 >

 「価値形態一般が発展すると同じ程度で、その二つの極たる相対的価値形態と等価形態の間の対立もまた発展する。」
  「すでに第1形態―亜麻布20エレ=上衣1着がこの対立を含んでいる。しかしまだ固定してはいない。同じ方程式が順に読まれるか、逆に読まれるかにしたがって、亜麻布と上衣というような両商品極のおのおのが、同じように、あるときは相対的価値形態に、あるときは等価形態にあるのである。このばあいにおいては、なお両極的対立を固着せしめるのに骨が折れる。

3-7 「第2形態では、依然としてまだ各商品種ごとに、その相対的価値を全体として拡大しうるのみである。言葉をかえていえば、各商品種自身は、すべての他の商品がこれにたいして等価形態にあるから、そしてそのかぎりにおいて、拡大せる相対的価値形態をもっているにすぎないのである。 この場合においては、もはや 価値方程式―亜麻布20エレ=上衣1着 または =茶10ポンド または =小麦1クォーター 等々 の両項を移し換えると、その総性格を変更し、これを総体的価値形態から一般的価値形態に転換させてしまうほかないことになる。」

4.   D 貨幣形態
    一般的/普遍的allgemeine価値形態から貨幣形態へ
     ヘーゲル『小論理学』概念論の適用

4-1 「第4形態(貨幣形態)は、ただ亜麻布のかわりに、いまや金が一般的等価形態をもつに至ったということ以外には、第3形態と少しもことなるところはない。・・・すなわち、直接的な一般的な交換可能性の形態、または一般的な等価形態が、いまや社会的習慣によって、終局的に商品金の特殊な自然形態と合生してしまったということである。」

4-2 「金が他の商品にたいして貨幣としてのみ相対するのは、金がすでに以前に、それらにたいして商品として相対したからである。 すべての他の商品と同じように、金も、個々の交換行為において個別的の等価として(als einzelnes Äquivalent)であれ、他の商品等価と並んで特別の等価として(als besondres Äquivalent)としてであれ、とにかく等価として機能した。
 しだいに金は、あるいは比較的狭い、あるいは比較的広い範囲で一般的/普遍的等価として(als allgemeines Äquivalent)機能した。」

4-3 「金が、商品世界の価値表現で、この地位の独占を奪うことになってしまうと、それは貨幣商品となる。そして金がすでに貨幣商品となった瞬間に、やっと第4形態が第3形態と区別される。いい換えると一般的価値形態は貨幣形態に転化される。」

4-4 「貨幣形態という概念の困難は、一般的等価形態の、したがって、一般的/普遍的価値形態なるものの、すなわち、第3形態の理解に限られている。第3形態は、関係を逆にして第2形態に、すなわち、拡大された価値形態に解消する。
 そしてその構成的要素は第一形態である。すなわち、亜麻布20エレ=上衣1着 または A商品x量=B商品y量である。

4-5 「したがって、単純な商品形態〔第1形態〕は 貨幣形態の萌芽(Keim:胚細胞)である。」


   第3章 貨幣または商品流通
       第1節 価値の尺度
    〔連立方程式から価値方程式へ

1-1 「ある商品の金における価値表現 Wertausdruck は―A商品x量=貨幣商品y量―は、その商品の貨幣形態であり、またはその価格である。こうなると、鉄1トン=金2オンスというような個々の方程式Gleichungは、鉄価値を社会的に通用するように表示するために、充分なものとなる。方程式 Gleichung は、これ以上、他の諸商品の〔諸〕価値方程式と mit den Wertgleichungen der andren Waren」 隊伍〔連立方程式〕を組んで行進する必要がない。」 (岩波文庫p.169)

1-2 「というのは、等価商品である金は、すでに貨幣の性質をもっているからである。したがって、「商品の一般的な/普遍的な 相対的価値形態 Die allgemeine relative Wertform der Waren」は、いまや再びその本源的な、「単純な、または個々的な相対的価値形態 einfachen oder einzelnen relativen Wertform」 の姿をとるにいたっている。」

 *注 ヘーゲル『小論理学』 価値形態論の展開は、ヘーゲル論理学

 
A 主観的概念 a 概念そのもの (村松一人訳 岩波書店 1952年発行)

2-1  §163 
 〔概念のモメント-普遍Allgemeinheit、特殊Bensonderheit、Einzelnheit〕
  概念そのものは、次の三つのモメントを含んでいる。
(1) 普遍( Allgemeinheit )―これは、その規定態のうちにありながらも自分自身との自由な相等性である。
(2) 特殊( Bensonderheit )―これは、そのうちで普遍が曇りのなく自分自身に等しい姿を保っている規定態である。
(3) 個 ( Einzelnheit ) ―これは、普遍および特殊の規定態の自己反省である。そしてこうした自己との否定的統一は、即自かつ対自的に規定されたものであるとともに、同時に自己同一なものあるいは普遍的なものである。
  個は現実的なものと同じものであるが、ただ個は概念から出現したものであるから、自己との否定的同一としての普遍的なものとして定立されている。現実的なものは即自的にのみ、すなわち直接的にのみ、本質と現存在との統一であるにすぎないから、それは産出することもできるものにすぎない。しかし概念の個別性は、絶対的に産出するものであり、しかも原因のように、他のものを産出するという仮象を持たず、自分自身を産出するものである。―しかし個は、われわれが個々の物や個々の人と言う場合に意味するような、単に直接的な個の意味に解されてはならない。こうした意味を持つ規定された個は、判断においてはじめてあらわれる。概念のモメントの各々は、それ自身全体的な概念なのであるが(160節)、しかし個、主体は、統体性として定立された概念である。
 
2-2  § 164
 ・・・ 普遍、特殊、個は、抽象的にとれば、同一、区別、根拠と同じものである。しかし普遍は、同時に特殊と個とを自己のうちに含んでいるという意味をはっきりもつ自己同一者である。また特殊は、区別あるいは規定態ではあるが、しかし自己のうちに普遍を内在させ、また個として存在するという意味を持っている。同時に個も、類と種とを自己のうちに含み、そしてそれ自身実体的であるところの主体であり根抵であるという意味を持っている。ここには、概念の諸モメントが区別されていながらも不可分であることが定立されている(160節)。これがすなわち概念の透明性であって、概念のうちではいかなる区別も、中断や曇りをひきおこすことなく、あくまで透明である。・・・

 以下、『小論理学』§165ー§171 抄録を参照してください。

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 ■文献資料   ヘーゲル『小論理学』概念論 抄録   松村一人訳『小論理学』 (下) 岩波書店 1952年発行
第3部 概 念 論 Dritte Abteilung der Logik. Die Lehre vom Begriff
§160 〔概念Begriffは実体的な力-体系的な全体Totalitätで、諸モメントが不可分の統一を形成〕
§161 〔概念の進展は発展Entwicklung〕
§162 〔概念論の3つの理論〕
§163 〔概念のモメント-普遍Allgemeinheit、特殊Bensonderheit、個Einzelnheit〕
§164 〔概念の諸モメント-「区別」と「不可分」〕
§165 〔判断は概念の特殊性が定立されたもの-概念の区別、普遍、特殊、個のみが概念の種別をつくる〕
§166 〔個は普遍である=判断は特殊性における概念-概念の区別が原始的分割〕
§166補遺 〔概念は事物に内在し、対象を把握するとは、その概念を意識すること〕
§167 〔あらゆる事物は、個物で個別化されている普遍的なもの〕
§168 〔事物が判断であること〕
§169 〔個は普遍である-述語は普遍的でありまた主語の規定性を含んでいなければならない〕
§170 〔述語は普遍的なもの〕
§171 〔繋辞「である」を通じての判断の推理への進展〕
  ・・・以下省略・・・  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     ー 抄 録
 §165
判断は概念の特殊性が定立されたもの-概念の区別、普遍、特殊、個のみが概念の種別をつくる
   個( Einzelnheit )のモメントがはじめて概念の諸モメントを区別として定立する。なぜなら、個は概念の否定的な自己内反省であり、したがって最初の否定としてまず概念の自由な区別であるからである。これによって概念の規定性が定立されるが、しかしそれは特殊( Besonderheit )として定立される。言いかえれば、区別されたものは第一に、相互に概念の諸モメントの規定性を持つにすぎないが、第二には、一つのモメントが他のモメントと同じであるという同一性も同じく定立されている。かく概念の特殊性が定立されたものが判断(Urteil)である。・・・
 ・・・――概念の真の区別、普遍、特殊、個のみが概念の種別をつくるものであるが、それもそれらが外的反省によってひきはなされているかぎりにおいてのみそうである。概念が内在的に自己を区別し規定するのは、判断のうちでみられる。というのは、判断するとは概念を規定することだからである。

    b 判断 (Das Urteil )
 §166
 〔個は普遍である=判断は特殊性における概念-概念の区別が原始的分割
 判断は特殊性における概念である。というのは、判断は、向自的に存在するものとして定立されている。したがって同時に、相互にではなく自己と同一なものとして定立されている、概念の諸モメントを区別しながら関係させるものであるからである。
  判断と言うと、人々は普通まず、主語と述語という二つの項の独立を考える。すなわち、主語は事物あるいは独立の規定であり、述語はこの主語の外に、われわれの頭の中にある普遍的な規定であって、この両者を私が結合することによって判断が成立する、と考えている。しかし、「である」という繫辞(けいじ)が主語について述語を言いあらわすことによって、こうした外面的で主観的な包摂作用は再び否定され、判断は対象そのものの規定ととられる。――ドイツ語のUrteilという言葉は、語源的に一層深い意味を持っていて、それは概念の統一が最初のものであること、したがって概念の区別が原始的分割であることを言いあらわしている。これが判断の真の姿である。
  抽象的な判断は、個は普遍である(das Einzelne ist das Allgemeine )という命題である。これが、概念の諸モメントがその直接的な規定性あるいはその最初の抽象態においてとられる場合、主語と述語とが相互に持つ最初の規定である(特殊な普遍である、および個は特殊である、という命題は、判断のより進んだ規定に属する)。あらゆる判断のうちには、個は普遍である、あるいはもっとはっきり言えば、主語は述語である(例えば、神は絶対的精神である)という命題が言いあらわされているのに、この明白な事実が普通の論理学の本には少しも述べられていないのは、おどろくべき観察の不足と言わなければならない。・・・

 §166補遺
 〔概念は事物に内在し、対象を把握するとは、その概念を意識すること
 判断は普通二つの概念の結合、しかも異種の概念の結合と考えられている。このような考え方も、概念が判断の前提をなし、そして概念は判断のうちで区別の形式をとってあらわれるという点では正しいが、しかし、概念にさまざまな種類があると考えるのは正しくない。なぜなら、概念そのものは具体的なものではあるが、本質的に一つのものであり、概念のうちに含まれている諸モメントは異った種類とみるべきものではないからである。また判断の両項が結合されると考えるのも同様に誤っている。というのは、結合されると言えば、結合されるものは結合されることなく独立にも存在していると考えられるからである。・・・概念は事物に内在しているものであり、そしてこのことによって事物は現にあるような姿を持っているのである。したがって対象を把握するとは、その概念を意識することである。われわれがさらに対象の評価に進むとき、対象にあれこれの述語を帰するのは、われわれの主観的行為ではなく、われわれは対象を、その概念によって定立されている規定態において考察するのである。

 §167
 〔あらゆる事物は、個物で個別化されている普遍的なもの
 判断は普通主観的な意味にとられ、自己意識的な思惟においてのみみられる操作および形式と考えられている。しかしこうした区別は、論理の世界ではまだ存在していないのであって、判断は全く普遍的に解せられなければならない。あらゆる事物は判断である。言いかえれば、あらゆる事物は、自己のうちで普遍性あるいは内的本性である個物である。言いかえれば、個別化されている普遍的なものである。普遍と個は、事物のうちで区別されているが、しかし同時に同一でもある。・・・
 §169
 〔個は普遍である-述語は普遍的でありまた主語の規定性を含んでいなければならない
 個は普遍であるという抽象的判断においては、主語は、否定的に自己に関係するものとして、直接に具体的なものであり、これに反して述語は抽象的なもの、無規定なもの、普遍的なものである。しかし主語と述語とは、「である」によって連関しているのであるから、述語は普遍的でありながらもまた主語の規定性を含んでいなければならない。かくしてこの規定性は特殊性であり、そして特殊性は主語と述語との定立された同一性である。特殊は、かく主語と述語という形式的区別に無関係なものとしては、内容である。・・・

 §170
 〔述語は普遍的なもの
 われわれはさらに主語および述語をもっと立ち入って考察してみよう。主語は否定的な自己関係であるから(163節、166節の註釈)確固とした根抵であって、そのうちに述語がその存立を持ち、観念的に存在している(すなわち述語は主語に内属している)。そして主語は一般にかつまた直接に具体的なものであるから、述語の特定の内容は主語の多くの規定性の一つにすぎず、主語は述語より豊かで広いものである。
 逆に述語は普遍的なものであるから、独立に存立し、或る主語が存在するかどうかには無関係である。それは主語を越えて進み、主語を自分のもとに包摂し、主語よりも広いものである。述語の特定の内容(前節参照)のみが両者の同一をなすのである。

 §171
 〔繋辞「である」を通じての判断の推理への進展
 主語、述語、および特定の内容あるいは同一性はまず、関係のうちにありながらも、異ったもの、分離するものとして判断のうちに定立されている。しかしそれらは本来すなわち概念上同一なものである。というのは、主語の具体的な総体性は、けっして無規定の多様性を意味せず、それは個すなわち特殊と普遍とが同一になったものであり、そして述語はまさにこうした統一にほかならないからである(170節)。・・・
 ・・・ 判断の進展の認識がはじめて、普通に判断の種類として挙げられているものに、連関と意味とを与える。普通行われている判断の枚挙は全く偶然のようにみえるだけでなく、実際その区別は皮相であり、でたらめでさえある。・・・しかし判断の諸種類は、次から次へと必然的に導き出されてくるものであり、概念の自己規定の進展とみられなければならない。というのは、判断とはそれ自身、規定された概念にほかならないからである。・・・

 ***********