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法の哲学(ht014-01)

『資本論』の社会的分業とヘーゲル市民社会の「労働の分割(分業)」

       ヘーゲル『 法の哲学 要綱(自然法と国家学 要綱) 』
  
             第2章市民社会A欲求の体系、b労働の仕方

     §198 〔-抽象的労働-〕

     ところで労働における普遍的で客観的な面は、それが抽象化してゆくことにある。この抽象化は手段と欲求との種別化をひきおこすとともに、生産をも同じく種別化して、労働の分割 die Teilung der Arbeiten(分業)を生み出す。個々人の労働活動はこの分割によっていっそう単純になり、単純になることによって個々人の抽象的労働 abstrakten Arbeit における技能も、彼の生産量も、いっそう増大する。
 同時に技能と手段とのこの抽象化は、他のもろもろの欲求を満足させるための人間の依存関係と相互関係とを余すところなく完成し、これらの関係をまったくの必然性にする。生産活動の抽象化 Die Abstraktion des Produzierens は、労働活動をさらにますます機械的にし、こうしてついに人間を労働活動から解除して機械をして人間の代わりをさせることうを可能にする。


  『資本論』第1篇商品と貨幣 第1章商品 第4節 商品の物神的性格とその秘密
     〔 使用価値の抽象化―現実の不等一からの抽象―
            ―労働生産物の共通な価値性格の形態で反映する 〕

  toto coelo(全く)ちがった労働が等しくなるということは、それが現実に不等一であることから抽象されるばあいにのみ、それらの労働が、人間労働力の支出として、抽象的に人間的な労働 abstrakt menschliche Arbeit としてもっている共通な性格に約元されることによってのみ、ありうるのである。私的生産者の脳髄は、彼らの私的労働のこの二重な社会的性格を、ただ実際の交易の上で、生産物交換の中で現れる形態で、反映するのである。すなわち― したがって、彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で― 異種の労働の等一性〔Gleichheit:相当性〕の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態で、反映するのである。

  *編集部注 → 等一性・Gleichheit:相当性についてのヘーゲル「小論理学」はこちら

  ◆ ヘーゲル「小論理学」第2部本質論

<115>
   この同一性Identitatは、人々がこれに固執して区別を捨象するかぎり、形式的あるいは悟性的同一性である。あるいはむしろ、抽象とはこうした形式的同一性の定立であり、自己内で具体的なものをこうした単純性の形式に変えることである。
<117>
    こうした外的な区別は、関係させられるものの同一性としては、相等性(Gleichheit)であり、それらの不同一性としては、不等性(Ungleichheit)である。
<118>
   相等性とは、同じでないもの、互に同一でないものの同一性であり、不等性とは、等しくないものの関係である。
  資本論ワールド編集部 はじめに

   2018資本論入門2月号-1. において、「アダム・スミスは、分業の発展の成果によって、私的所有が純化すればするだけ、それだけ、社会的生産は発展するという見方でとらえた」(内田義彦『経済学史講義』)ことを紹介しました。
このアダム・スミスの「理論的中核-要石keystone-」が、ヘーゲルからマルクスへと継承され、これを跡づけることが 「資本論入門2月号-2」の課題です。ヘーゲルもマルクスも大変興味深く、分業の進展が及ぼす「社会の深層変   化」を描いています。じっくりとお楽しみください。
  ◆ アダム・スミス『諸国民の富』のkeystone-分業論

  1. 〔労働の生産力と分業〕
     労働の生産諸力における最大の改善と、またそれをあらゆる方面にふりむけたり、充用したりするばあいの熟練、技巧および判断の大部分とは、分業の結果であったように思われる。
     社会全般の仕事におよぼす分業の効果は、いくつかの特定の製造業でそれがどのようにおこなわれているか を考察すれば、よりたやすく理解されるであろう。・・・(岩波文庫p.98)
  2. 〔交換による商業社会の成長〕
     いったん分業が徹底して確立されると、ある一人の人間が自分自身の労働生産物によって充足しうるところ は、そのもろもろの欲望のなかのごく小さな部分にすぎない。彼は、自分自身の労働生産物の余剰部分のなかで、自分自身の消費をこえてあまりあるものを、他の人々の労働生産物のなかで、自分が必要とする部分と交換することにより、そのもろもろの欲望の圧倒的大部分を充足する。こうして、あらゆる人は交換によって生活し、つまりある程度商人になり、また社会そのものも、適切にいえば一つの商業社会に成長するのである。(同p.133)
  3. 〔一般的豊富が社会にゆきわたる〕
     統治がよくゆきとどいた社会では、普遍的な富裕が人民の最下層の階級までひろがっているのであって、これこそは、分業の結果さまざまの工芸の生産物のすべてが大増殖したためにひきおこされたことなのである。あらゆる職人は、自分自身が必要とする以上に処分しうるみずからの所産を多量にもっており、またあらゆる他の職人もまさしくこれと同一の立場にあるから、かれは自分自身の多量の財貨を他人の多量の財貨、またはこれと同一のことになるが、他人の多量の財貨と交換することができるのである。かれは、そういう人にその必要とするものを潤沢に供給し、またそういう人は、かれにその必要とするものを十分にととのえてやるのであって、そこで一般的豊富が社会のすべてのさまざまの階級をつうじてゆきわたるのである。(同p.112)
        ・・・・・ ~ ・・・・・ ~ ・・・・・

     アダム・スミスは、分業の進展による「諸国民の富」がすべての階級に豊富にゆきわたる社会-商業社会の成長を経済学の理論的中核と位置付けました。後続のヘーゲルは、アダム・スミスとマルクスの中間点に立って、「労働の分割(分業)から抽象的(人間)労働」の析出を行ったのでした。
     最後に、マルクスは「分業と富の蓄積は貧困の蓄積と不可分である」として『資本論』の金字塔を打ち立てました。産業革命期の曙を迎えたスミス、ナポレオン時代のヘーゲルそしてパクス・ブリタニカ Pax Britannica 生き抜いたマルクスなどそれぞれの資本主義に向き合ったのでした。

    2018年 2月24日
     ◆    ◆    ◆    ◆    ◆
  『資本論』の社会的分業とヘーゲル市民社会の「労働の分割(分業)」

◆目次
 第1部 ヘーゲル市民社会と「労働の分割(分業)」
    1. 市民社会は三つの契機を含む
    2. 労働の仕方
    3. 生産活動の抽象化は、機械が労働の代わりを可能とする

 第2部 『資本論』の社会的分業   → 「社会的分業」詳細・抄録はこちら
    1. 有用労働の総体―社会的分業
    2. 商品の使用価値―社会的労働と多岐に分かれた労働の体制
    3. 社会的生産有機体-全般的な物的依存の体制
    4. 使用価値の抽象化―労働生産物(商品)の共通な価値性格を導出する形態Form・形式化
    5. マニュファクチャ・労働者を自動的一面的器官に転化・・・機械装置の物質的諸条件
   第1部  ヘーゲル市民社会と「労働の分割(分業)」

ヘーゲル『法の哲学 要綱(自然法と国家学 要綱)』1820年 中央公論社1967発行
Grundlinien der Philosophie des Rechts  
  第1部 抽象的な権利ないし法
  第2部 道徳
  第3部 倫理
   第1章 家族
   第2章 市民社会
   第3章 国家


  第2章 市民社会

  § 188 市民社会は三つの契機を含む。
  1. 個々人の労働によって、また他のすべての人々の労働と欲求の満足とによって、欲求を媒介し、個々人を満足させること―欲求の体系。
  2. この体系に含まれている自由という普遍的なものの現実性、すなわち所有を司法活動によって保護すること。
  3. 右の両体系のなかに残存している偶然性に対してあらかじめ配慮すること、そして福祉行政と職業団体によって、特殊的利益を一つの共同的なものとして配慮し管理すること。
  1. 欲求の体系
     §189 〔主観的欲求と他の人々の欲求の媒介としての労働〕
     特殊性はまず、総じて意志の普遍的な面に対して規定されたものとして主観的欲求である。この主観的欲求がそれの客体性すなわち満足に達するのは、今や同じくまた、他の人々の欲求と意志の所有であり産物であるところの外物という手段によってであり、欲求と満足とを媒介するもとしての活動と労働とによってである。・・・
    a 欲求の仕方と満足の仕方
    §190 〔より抽象的な欲求となる〕
     動物の欲求は制限されており、それを満足させる手段および方法の範囲も、同様に制限されている。人間もまたこうした依存状態にあるが、それと同時に人間はこの依存状態を超えて行くことを実証し、そしておのれの普遍性を実証する。人間がこれを実証するのは、第一には、探求と手段とを多様化することによってであり、第二には、具体的欲求を個々の部分と側面とに分割すること、および区別することによってである。そしてこれらの部分と側面とは、個々の特殊化された、したがってより抽象的な欲求となる。
  1. 労働の仕方
     §196 〔労働は多様な目的に種別化する〕
     もろもろの特殊化された欲求を満たすのに適した、同じく特殊化された手段を作製し獲得する媒介作用が労働である。労働は自然によって直接に提供された材料を、これらの多様な目的のために、きわめて多種多様な過程を通して種別化する。だからこの形成は、手段に価値と合目的性を与えるのであって、その結果、人間が消費においてかかわるのは主に人間の生産物であり、人間が消費するのはこうした努力の産物である。
     <追加> 加工する必要のない直接的材料はわずかにすぎない。空気でさえも暖かくしなければならないから、人はこれを労力をつかって獲得しなければならない。おそらく水だけはあるがままの状態で飲むことができよう。人間の汗と人間の労働が、欲求を満たす手段を人間のものにしてくれるのである。

      §197 〔労働による実践的教養〕
     人間の関心をよびおこす規定と対象が多種多様であるということから理論的教養が発展する。理論的教養とは、たんに表象や知識が多種多様であるということだけではなく、表象のはたらきや一つの表象から他の表象へ移ってゆく頭のはたらきが活発敏速であること、錯綜した普遍的関連を把握することなどであって、― 悟性一般の教養、したがってまた言語の教養でもある。―労働によって得られる実践的教養とは、新たな欲求の産出と仕事一般の習慣、さらにはおのれの行動を、一つには材料の本性に従って、また一つにはとくに他人の恣意に従って制御することの習慣であり、またこうした訓練によって身についた客観的活動とどこででも通用する技能との習慣である。

     §198 〔個々人の抽象的労働から、機械が人間労働の代わりを可能とする〕
     ところで労働における普遍的で客観的な面は、それが抽象化してゆくことにある。この抽象化は手段と欲求との種別化をひきおこすとともに、生産をも同じく種別化して、労働の分割die Teilung der Arbeiten(分業)を生み出す。個々人の労働活動はこの分割によっていっそう単純になり、単純になることによって個々人の抽象的労働abstrakten Arbeitにおける技能も、彼の生産量も、いっそう増大する。

     同時に技能と手段とのこの抽象化は、他のもろもろの欲求を満足させるための人間の依存関係と相互関係とを余すところなく完成し、これらの関係をまったくの必然性にする。生産活動の抽象化Die Abstraktion des Produzierensは、労働活動をさらにますます機械的にし、こうしてついに人間を労働活動から解除して機械をして人間の代わりをさせることうを可能にする。
  2. 資産

     § 199 〔主観的利己心は万人の寄与に転化する〕
     労働と欲求の満足とが右のように依存的相互的であるところから、主観的利己心は、すべての他人の欲求を満足させるための寄与に転化する、― すなわち特殊なものを普遍的なものによって媒介するはたらきに転化する。主観的利己心が弁証法的運動としてのこうした媒介のはたらきに転化する結果、各人は自分のために取得し生産し享受しながら、まさにこのことによって他の人々の享楽のために生産し取得することになる。
     万人の依存関係という全面的からみ合いのなかに存するこの必然性が今や、各人にとって普遍的で持続的な資産なのであり、各人は、自分の教養と技能によってこれに参与してその配分にあずかり、自分の生計を安全にする可能性を与えられている。― それとともに他方ではまた、各人の労働によって媒介されたこの取得が、普遍的資産を維持増大するのである。
                ・・・以上、『法の哲学』抄録終わり・・・

 第2部 『資本論』 の社会的分業について

   第1編 商品と貨幣 第1章 商品 第2節 商品に表わされた労働の二重性

  1. 〔有用労働の総体―社会的分業〕
     各種の使用価値または商品体の総体の中に、同じく属、種、科、亜種、変種等々というように、種々様々のちがった有用労働の総体が現われている。―社会的分業である。この分業は商品生産の存立条件である。商品生産は逆に社会的分業の存立条件ではないのであるが。
  2. 〔商品の使用価値―社会的労働で多岐に分かれた労働の体制〕
     したがって、こういうことが明らかとなる。すなわち、すべての商品の使用価値の中には、一定の目的にそった生産的な活動または有用労働が含まれている。もし使用価値の中に、質的にちがった有用労働が含まれていないとすれば、使用価値は商品として相対することはできない。その生産物が一般に商品の形態をとる社会においては、すなわち、商品生産者の社会においては、独立生産者の私業として相互に独立して営まれる有用労働のこのような質的な相違は、多岐に分かれた労働の体制に、すなわち社会的分業に発展する。
  3. 〔使用価値の形成者として―人間と自然との間の物質代謝〕
     だが、上着にとっては、それを裁縫職人が着るか、その顧客が着るかは、どうでもいいことなのである。そのいずれのばあいでも、上着は使用価値として作用している。
    しかしながら、上着、亜麻布等、自然に存在しない素材的富のあらゆる要素が現存するようになったことは、特別な人間的要求に特別な自然素材を同化させる特殊的な目的にそった生産活動によって、つねに媒介されなければならなかった。したがって、使用価値の形成者として、すなわち、有用なる労働としては、労働は、すべての社会形態から独立した人間の存立条件であって、人間と自然との間の物質代謝を、したがって、人間の生活を媒介するための永久的自然必然性である。


    第4節 商品の物神的性格とその秘密
  4. 〔交換による労働生産物の有用性と価値物の分裂―他の私的労働種との交換必然性〕
     労働生産物はその交換の内部においてはじめて、その感覚的にちがった使用対象性から分離された、社会的に等一なる価値対象性を得るのである。労働生産物の有用性と価値物とへのこのような分裂―この瞬間から、生産者たちの私的労働は、事実上、二重の社会的性格を得るのである。これらの私的労働は、一方においては特定の有用労働として一定の社会的欲望を充足させ、そしてこのようにして総労働の、すなわち、社会的分業の自然発生的体制の構成分子であることを証明しなければならぬ。これらの私的労働は、他方において、生産者たち自身の多様な欲望を、すべてのそれぞれ特別に有用な私的労働がすべての他の有用な私的労働種と交換されうるかぎりにおいて、したがって、これと等一なるものとなるかぎりにおいてのみ、充足するのである。
  5. 〔使用価値の抽象化―現実の不等一からの抽象―労働生産物の共通な価値性格の形態〕
     toto coelo(全く)ちがった労働が等しくなるということは、それが現実に不等一であることから抽象されるばあいにのみ、それらの労働が、人間労働力の支出として、抽象的に人間的な労働としてもっている共通な性格に約元されることによってのみ、ありうるのである。私的生産者の脳髄は、彼らの私的労働のこの二重な社会的性格を、ただ実際の交易の上で、生産物交換の中で現れる形態で、反映するのである。すなわち― したがって、彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で― 異種の労働の等一性の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態で、反映するのである。
  6. 〔労働時間による価値の大いさ―相対的商品価値の現象的運動のかくされた秘密〕
     生産物交換者がまず初めに実際上関心をよせるものは、自分の生産物にたいしてどれだけ他人の生産物を得るか、したがって、生産物はいかなる割合で交換されるかという問題である。このような割合は、ある程度習慣的な固定性をもつまでに成熟すると同時に、労働生産物の性質から生ずるように見える。したがって、例えば1トンの鉄と2オンスの金とは、1ポンドの金と1ポンドの鉄が、その物理学的化学的属性を異にするにかかわらず同じ重さであるように、同じ価値であることになる。事実、労働生産物の価値性格は、価値の大いさとしてのその働きによってはじめて固定する。この価値の大きさは、つねに交換者の意志、予見、行為から独立し変化する。彼ら自身の社会的運動は、彼らにとっては、物の運動の形態をとり、交換者はこの運動を規制するのではなくして、その運動に規制される。相互に独立して営まれるが、社会的分業の自然発生的構成分子として、あらゆる面において相互に依存している私的労働が、継続的にその社会的に一定の割合をなしている量に整約されるのは、私的労働の生産物の偶然的で、つねに動揺せる交換諸関係において、その生産に社会的に必要なる労働時間が、規制的な自然法則として強力的に貫かれること、あたかも家が人の頭上に崩れかかるばあいにおける重力の法則のようなものであるからであるが、このことを、経験そのものの中から科学的洞察が成長してきて看破するに至るには、その前に完全に発達した商品生産が必要とされるのである。労働時間によって価値の大いさが規定されるということは、したがって、相対的商品価値の現象的運動のもとにかくされた秘密である。その発見は、労働生産物の価値の大きさが、単なる偶然的な規定であるという外観をのぞくが、少しもその事物的な形態をなくするものではない。


      第3章 貨幣または商品流通 第2節 流通手段
           a  商品の変態
  7. 〔社会的分業の一環の立証〕
     ・・・しかしその生産物が一般的な社会的に通用する等価形態を得るのは、貨幣としてだけである。そして貨幣は、他人のポケットの中にあるのである。これを引き出すためには、商品は、とくに貨幣所有者にたいして使用価値でなければならない。すなわち、この商品にたいして支出された労働は、かくて社会的に有用なる形態で支出されていなければならない。あるいは社会的分業の一環たることを立証しなければならない。しかしながら、分業は、自然発生的生産有機体をなしているのであって、その繊維は商品所有者の背後で織られたのであり、またつづいて織られているのである。
  8. 〔社会的生産有機体-全般的な物的依存の体制〕
      分業体制のなかに、その肢体〔Gliederung:手足とからだ〕(membra disjecta:〔新日本出版社訳「引き裂かれたる四肢」ホラティウス『風刺詩』より〕)が八方に分岐していることを示している社会的生産有機体の量的構成は、質的なそれと同じように、自然発生的で偶然的である。したがって、わが商品所有者は、彼らを独立の私的生産者となす同じ分業が、社会的生産過程とこの過程における彼らの関係を、彼ら自身から独立のものとしていること、人々相互の独立性が、全般的な物的依存の体制となって補足されているということを、発見するのである。
  9. 〔分業は労働生産物を商品に転化し、貨幣への転化を必然にする〕
       分業は、労働生産物を商品に転化する。そしてこのことによって、労働生産物の貨幣への転化を必然的にする。この分業は同時に、この化体Transsubstantiation(注)が成就するかどうかを、偶然的のものにする。
        〔編集部注:Transsubstantiation:カトリックの教義。全実体変化(ミサ中の聖変化の際、パンとぶどう酒をキリストの体と血に変化させること)〕



       第12章 分業と工場手工業・マニュファクチャ
         第1節 工場手工業の二重の起源
  10. 〔マニュファクチャ〕
     分業に基づく協業は、工場手工業において、その典型的な態容をつくりだす。それが資本主義的生産過程の特徴的形態として支配的に行われるのは約16世紀の半ばから18世紀の最期の3分の1期に至る、本来の工場手工業時代のことである。



       第2節 部分労働者とその道具
  11. 〔労働者を自動的一面的器官に転化―機械装置の物質的諸条件〕
     さらに詳細に見るならば、まず第一に明らかなことは、終生一つの同じ単純作業に従事する労働者は、彼の全身を、この作業の自動的一面的器官に転化するのであり、・・・実際に細分労働者の熟練を生産するのは、すでに社会に存在していた工業の自然発生的分化を、作業場の内部で再生産し、それを組織的に極端まですすめることによるのである。
    労働の生産性は、労働者の技量に依存するのみではなく、彼の道具の完全さにも依存する。切る道具、穴をあける道具、押す道具、打つ道具等のような同種の道具が、種々の異なる労働過程で使用され、また同じ労働過程でも、同じ道具が種々の作業に役立つ。・・・労働用具の分化、それによって同種の諸道具が、特殊の各用途のための特殊の固定形態を、受取るのであり、労働用具の特殊化、それによっておのおののかような特殊用具が、特殊の部分労働者の手によってのみ完全な力量で作用するのであるが、・・・。工場手工業時代は、部分労働者の専属的特殊機能に、労働用具を適応させることによって、この用具を単純化し、改良し、多種類にする。これによって同時に、この時代は、単純な諸道具の結合から成り立つ、機械装置の物質的諸条件を創りだす〔編集部注〕。
      〔編集部注:ヘーゲル『法の哲学』 §198「機械をして人間の代わりをさせる」参照〕



     第3節 工場手工業の二つの基本形態 ― 異種的工場手工業と有機的工場手工業
         第4節 工場手工業 (マニュファクチャ) 内の分業と社会内の分業
  12. 〔生産物の商品としての存在〔Dasein:ダーザイン〕

     われわれは最初に工場手工業の起源を、次にその単純要素である部分労働者とその道具とを、最後に工場手工業の全体機構を考察した。ここでは、工場手工業的分業と、すべての商品生産の一般的基礎をなす社会的分業との関係に、簡単に触れておこう。
     交換は、諸生産部面の区別をつくりだすのではなく、異なる諸生産部面を関連させて、それらを一つの社会的総生産の、多かれ少なかれ、たがいに依存しあう部門に、転化させるのである。ここに、元来相異なる、また相互に独立した諸生産部面間の交換によって、社会的分業が成立する。
    生理的分業が出発点をなすところにおいて、一つの直接に結ばれた全体の特別の諸器官が、たがいに分離し、分解し、この分解過程には、他の共同体との商品交換が主要衝動を与える。そして、これらの諸器官は、独立化されて、種々の異なる労働の関連が、商品としての生産物の交換によって媒介される点にまでたちいたる。一つのばあいは、前に独立していたものが非独立化されるのであり、他のばあいは、前に独立していなかったものが独立化されるのである。・・・・

     商品生産および商品流通は、資本主義的生産様式の一般的前提であるから、工場手工業的分業は、すでにある程度まで成熟した、社会内の分業を必要とする。逆に、工場手工業的分業は、反作用的に、かの社会的分業を発展させ、倍化させる。労働用具の分化とともに、これらの用具を生産する産業もますます分化する。・・・しかし、社会内の分業と作業場内の分業とのあいだには、多くの類似と関連とがあるにもかかわらず、両者は、程度のみではなく、本質をもことにする。・・・飼畜業者、製革業者、製靴業者のそれぞれ独立の労働のあいだに、関連を生ぜしめるものは何か?かれらのそれぞれの生産物の商品としての存在・ダーザイン〔Dasein:編集部注〕である。これにたいして、工場手工業的分業を特徴づけるものは何か?部分労働者が、何らの商品をも生産しないということである。部分労働者の共同生産物が、はじめて商品に転化する。・・・

      *編集部注:Dasein ヘーゲルの論理学では、通常「定有、定在」と翻訳されています。『小論理学』第1部有論 A質 b定有(岩波文庫p.277-300) 『大論理学』第1巻有論第2章定有。ヘーゲル用語事典解説は→こちら
  13. 〔生産手段の集積と分散〕
     工場手工業的分業は、資本家の手中における生産手段の集積を前提し、社会的分業は、多数の相互に独立した商品生産者のあいだにおける、生産手段の分散を前提する。・・・
     工場手工業的分業は、資本家に属する全体機構の単なる肢体に過ぎない人間にたいする、この資本家の無条件的権威を前提する。社会的分業は、独立の商品生産者を、相互に対立させるのであるが、彼らの競争の権威以外には、すなわち、彼ら相互の利害の圧迫が、彼らに加える強制以外には、なんらの権威をも認めないのである。


    第5節 工場手工業の資本主義的性格
  14. 〔工場手工業的分業は、相対的剰余価値を生み出すための特殊な一方法に過ぎない〕
     工場手工業的分業は、手工業的活動の分解、労働用具の特殊化、部分労働者の形成、一つの全体機構における彼らの配列と結合によって、社会的生産過程の質的編成と量的均衡を、したがって社会的労働の一定の組織をつくりだし、またそれと同時に、労働の新たな社会的な生産力を発展させる。社会的生産過程の特殊資本主義的形態としては―そして既存の基礎の上では、それは資本主義的形態においてしか発展しえなかった―工場手工業的分業は、相対的剰余価値を生み出すための、あるいは資本―社会的富、「諸国民の富」等と名づけられるもの―の自己増殖を労働者の犠牲において高めるための、特殊な一方法に過ぎない。

      ・・・以上、『資本論』の社会的分業 終わり・・・