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  3. 7月号「価値形態〔Wertform〕と形式Formの二重性(1)」(mx003)

7月号
価値形態[Wertform]と形式Formの二重性(1)

 ~ 亜麻布の「等価 〔Äquivalent:同等のもの〕 としての、あるいは亜麻布と「 交換され得るもの 」 としての上衣に、関係せしめられることによってである。 この関係において、上衣は価値の存在形態〔Existenzform von Wert:価値の出現ー現われ出る形式。〕、すなわち、価値物 〔Wertding 〕となされる。 ~

 価値形態 Wertform と、形式 Form の二重性 (1)  *2018.07.25更新

  ~ 「a 相対的価値形態の内実」 の研究~


 * 資本論ワールド 編集部 まえがき

(1) -“難解な「価値形態」論について、端的に・簡明に理解できる方法はないのでしょうか?” -編集部に寄せられている要望の多くが、価値形態と商品の物神性に関する疑問です。
 資本論ワールドでは、ヘーゲル哲学と「翻訳問題」を紹介してきましたが、以下の「 a 相対的価値形態の内実 (前半部分)」 を参考にして、探究してみました。
 後出に〔 3 翻訳語を分かり易くすると・・〕で紹介してありますが、ここでは、価値形態の叙述が際立っています。これは、文脈を一つ一つ分解しながら、一歩ずつ進んでゆくことで解決されてゆきます。「このばあい問題のかかわるところは細密を極めている。しかし、それは、ただ顕微鏡的な解剖で取扱われる問題が同様に細密を極めるのと少しもちがったところはない。」(『資本論』第1版序文)


 (2) 〔 3 翻訳語を分かり易くすると・・〕では、 3. の文章全体を①から⑤まで5段階に区分してあります。分析対象となる「価値関係」について、認識の深まり具合を順を追ってゆきます。言語表現と認識の推移を探究する事例です。
 なお、「価値形態 Wertform」で表示される「形態 form」と「価値の形式 Wertform」での「形式form」については、言語表現と認識の推移の次の課題ー(2)となりますので、前もって「*関連資料:コリン・レンフルー:物質的象徴、物質的関与」の参照をお願いします。


 (3) 「a 相対的価値形態の内実 」の後半部分は、人間労働の抽象的な属性とフランクリンの労働概念の課題として「使用価値の抽象」問題と重なっています。別途検討してゆくことになります。

  ・・・~ ・・・~  ・・・~


  『資本論』第1章商品 第3節価値形態または交換価値

 2 相対的価値形態  a 相対的価値形態の内実 Gehalt (意義) 

    〔Gehalt der relativen Wertform:内実Gehalt : 意義,実質,本質,〕

      *関連資料:コリン・レンフルー : 物質的象徴、物質的関与
   

 (1) 序

『資本論』 第1章商品 第3節価値形態または交換価値

 商品は使用価値または商品体の形態で、すなわち、鉄・亜麻布・小麦等々として、生まれてくる。これが彼らの生まれたままの自然形態である。だが、これらのものが商品であるのは、ひとえに、それらが、二重なるもの、すなわち使用対象であると同時に価値保有者〔Wertträger 価値の担い手。stofflichen Träger des - Tauschwerts交換価値の素材的担い手〕 であるからである。したがって、これらのものは、二重形態、すなわち自然形態と価値形態をもつかぎりにおいてのみ、商品として現われ、あるいは商品の形態Formをもつ〔商品の価値の二重の形式をもつ(*注1)〕のである。

 諸商品の価値対象性は、かのマダム・クィックリとちがって、一体どこを摑まえたらいいか、誰にもわからない。商品体の感覚的に手触りの荒い対象性と正反対に、諸商品の価値対象性には、一分子の自然素材もはいっていないのである。したがって、一々の商品をどうひねりまわして見ても、それを価値物として摑むことはできない。だが、もし諸商品が同一の社会的等一性〔derselben gesellschaftlichen Einheit:同じ性質の社会的な単位(*注2)〕である人間労働の表現であるかぎりでのみ、価値対象性を有ち、したがってそれらの価値対象性は、純粋に社会的であるということを想い起こしてみるならば、おのずから価値対象性が、ただ商品と商品との社会的関係〔gesellschaftlichen Verhältnis〕においてのみ現われうるものであるということも明らかとなる。われわれは、実際において商品の交換価値から、または交換比率〔Austauschverhältnis:(*注2)〕から出発して、その中にかくされている商品の価値をさぐりえたのである。いまわれわれは、価値のこの現象形態〔dieser Erscheinungsform des Wertes これらの諸価値の現象する形式〕に帰らなければならぬ。
・・・中略・・・

 諸商品は、その使用価値の雑多な自然形態と極度に顕著な対照をなしているある共通の価値形態〔gemeinsame Wertform:共通、共同の価値の形式(*注1)〕をもっているということである。―すなわち、貨幣形態〔Geldform:貨幣の形式(*注1)〕である。だが、ここでは、いまだかつてブルジョア経済学によって試みられたことのない一事をなしとげようというのである。すなわち、この貨幣形態の発生を証明するということ、したがって、商品の価値関係に含まれている価値表現が、どうしてもっとも単純なもっとも目立たぬ態容〔Gestalt:(*注3)〕から、そのきらきらした貨幣形態に発展していったかを追求するということである。これをもって、同時に貨幣の謎は消え失せる。
 最も単純な価値関係は、明らかに、ある商品が、他のなんでもいいが、ただある一つの自分とちがった種類の商品に相対する価値関係である。したがって、二つの商品の価値関係〔Das Wertverhältnis zweier Waren:(*注2)〕は、一つの商品にたいして最も単純な価値表現を与えている。


 (*注1:形態と形式・・・form)、(*注2:比、比率、関係・・・verhältnis)、(*注3:態容Gestal)



 (2)  A 単純な、個別的な、または偶然的な価値形態
       A) Einfache, einzelne oder zufällige Wertform

 x 量商品A= y 量商品B あるいは、x 量の商品Aは y 量の商品Bに値する(亜麻布20エレ=上衣1着 または20エレの亜麻布は1着の上衣に値する)。

 1 価値表現の両極、すなわち、相対的価値形態と等価形態

 一切の価値形態の秘密は、この単純なる価値形態の中にかくされている。したがって、その分析が、まことの難事となるのである。
 ここでは、2種の異なった商品AとB、われわれの例でいえば、亜麻布と上衣とは、明白に二つのちがった役割を演じている 〔価値関係における商品AとBの価値の二重化〕。 亜麻布はその価値を上衣で表現している。上衣はこの価値表現の材料〔Material〕の役をつとめている。第一の商品は能動的の役割を演じ、第二の商品は受動的のそれを演じている。第一の商品の価値は、相対的価値として表されている。いいかえると、第一の商品は相対的価値形態にあるのである。第二の商品は等価として機能している。すなわち等価形態にある 〔befinden:認定する〕 のである。
 ・・・中略・・・


 (3)  2 相対的価値形態

    a  相対的価値形態の内実 Gehalt 〔Gehalt : 内容、意義*注〕
           
         〔*注: 内容と形式 Inhalt <Gehalt> und Form〕

 〔1 商品価値の表現には、同一単位derselben Einheit(*注2)に約元する〕

1.  どういう風に一商品の単純なる価値表現が、二つの商品の価値関係にかくされているかということを見つけ出してくるためには、価値関係を、まずその量的側面から全く独立して考察しなければならぬ。人は多くのばあい正反対のことをやっている。そして価値関係の中に、ただ二つの商品種の一定量が相互に等しいとされる割合だけを見ている。人は、異種の物の大いさが、同一単位に約元されてのちに、初めて量的に比較しうるものとなるということを忘れている。同一単位の表現 〔Ausdrücke derselben Einheit(*注2)〕としてのみ、これらの商品は、同分母の、したがって通約しうる大いさなのである(17)。

 (17) S・ベイリーのように、価値形態の分析をやった少数の経済学者が、なんらの結論にも到達できなかったのは、第一に、彼らが価値形態と価値とを混同しているからであり、第二に、彼らが実際的なブルジョアの生のままの影響下にあって、初めから、もっぱら量的規定性だけを眼中に置いているからである。「量にたいする支配が、……価値をなすものである」(S・ベイリー『貨幣とその価値変動』)



  〔 2 価値は、商品価値の連立方程式として表現される 〕

2.  亜麻布20エレ=上衣1着 または =20着 または =x着となるかどうか〔連立方程式〕、すなわち、一定量の亜麻布が多くの上衣に値するか、少ない上衣に値するかどうかということ、いずれにしても、このようないろいろの割合にあるということは、つねに、亜麻布と上衣とが価値の大いさとしては、同一単位〔derselben Einheit(*注2)〕の表現であり、同一性質の物〔Dinge von derselben Natur〕であるということを含んでいる。 亜麻布=上衣ということは、方程式の基礎である〔die Grundlage der Gleichung:方程式の根拠、根底(*注4)〕。

  (*注4) 根底Grundlage  ヘーゲル『大論理学』中巻p.86
 〔根拠はまず第一に絶対的根拠(absoluter Grund)である。そして本質は、この絶対的根拠においては、まず差し当って根拠関係(Grundbeziehung)にたいする根底(Grundlage)一般という形で存在する。しかし、この根拠は次に形式(Form)と質料(Materie)として規定され、また内容(Inhalt)が与えられる。〕 



   〔 3 翻訳語を分かり易くすると・・・・〕
3.  
① しかしながら、二つの質的に等しいとされた商品は、同一の役割を演ずるものでない。ただ亜麻布の価値のみが表現されるのである。そしていかに表現されるか? 亜麻布の 「等価 〔Äquivalent:同等のもの〕 」(*注5)としての、あるいは亜麻布と「 交換され得るもの 〔"Austauschbares"〕 」 としての上衣に、関係せしめられることによってである。

② この関係において、上衣は価値の存在形態 〔Existenzform von Wert:価値の現存在、価値の出現ー現われ出る形式。(*注3)参照〕、すなわち、価値物 〔Wertding : (*注4)〕となされる。

③ なぜかというに、このようなものとしてのみ、上衣は亜麻布と同一物で 〔derselbe : 同一で (*注5)〕あるからである。

④ 他方において、亜麻布自身の価値たること 〔Wertsein:価値存在、価値で有ること (*注6)〕が前景に押し出される、すなわち、独立の表現を得る。

⑤ なぜかというに、ただ価値としてのみ亜麻布は、等価物〔Gleichwertiges : 同等のものの価値あるもの(*注7)〕としての、あるいは自分と交換されうるものとしての、上衣に関係するからである。

このようにして、酪酸は蟻酸プロピルとはちがった物体である。しかし、この両者は同一の化学的実体―炭素(C)、水素(H)、および酸素(O)―から、しかも同一割合の組成、すなわち、C4H8O2 から成り立っている。そこで、もし酪酸に蟻酸プロピルが等しい関係に置かれるとすれば、この関係においては、第一に蟻酸プロピルは単に C4H8O2 の存在形態〔 Existenzform von C4H8O2 〕とされ、第二に酪酸もまた C4H8O2 から成り立つということがいわれるであろう。こうして、蟻酸プロピルを酪酸と等置する〔Gleichsetzung:同一視する〕ことによって、その化学的実体は、その物体の形態と区別して表現されるであろう。

  (*注2) 亜麻布の「等価」と訳されているÄquivalentは、ドイツ語では「同等のもの」としての等価ということ。 なお、広辞苑では、「等価」は「価値または価格が等しいこと」とあり、ドイツ語Äquivalentの語感からは離れてしまう。〕

 (*注3) 価値の存在形態 〔Existenzform von Wert:価値の現存在、実存。→価値の出現ー現われ出るー形式〕。 ヘーゲル論理学の「Existenz現存在」という言葉は、ラテン語の「existere出現する」という動詞から作られたもの(ヘーゲル『小論理学』(下)p.44)。

 (*注4)価値物 Wertding : ding:多様な性質をもつ物-現象、『小論理学』 中、§125~130 p.47-54.参照

 (*注5) 同一物で derselbe : 同一単位の表現〔Ausdrücke derselben Einheit〕

 (*注6) 価値たること 〔 Wertsein :価値で有ること、価値存在〕

 (*注7)等価物 〔 Gleichwertiges : 同等のものの価値あるもの。等しい値や価値をもつもの。〕





 
 (4)   〔* 3 翻訳語を分かり易くすると・・・・ 〕
 
  ~ 上記 3. を、前後関係を細かく分けながら、文脈をたどってゆきます ~

 ① しかしながら、二つの質的に等しいとされた商品は、同一の役割を演ずるものではない。ただ、亜麻布の価値のみが表現されるのである。そしていかに表現されるか? 亜麻布と同等のもの(Äquivalent)としての、あるいは亜麻布と「交換され得るもの」としての上衣に、 関係せしめられることによってである。

 ② この関係において、上衣は価値の現われ出る形式(Form)をもつ、すなわち価値が現象する物(Ding)と認められる。 〔価値が現象する際の形式としての物Ding と認められること〕

 ③ なぜかというに、このようなものとしてのみ、上衣は亜麻布と同一であるからである。 〔上衣は亜麻布と同一・同じ形式のものとして認められる〕

 ④ 他方において、亜麻布自身の価値で有ること(Wertsein:価値の形式をもつ存在であること)が前景に押し出される、すなわち、独立の表現を得る(erhält einen selbständigen Ausdruck.)。 〔亜麻布の価値が表現された上衣が、亜麻布と同一のものと認められることによって、亜麻布も独立のー独自の表現形式を手に入れる(得る・erhält)〕

 ⑤ なぜかというに、ただ価値としてのみ亜麻布は、同等の・価値あるもの(Gleichwertiges)としての、あるいは自分と交換されうるものとしての、上衣に関係するからである。

  ・・・~ ・・・~ ・・・


 (5)    〔 4 古典派経済学価値分析の意義 〕

4. 価値としては、商品は人間労働の単なる凝結物(bloße Gallerten)であると、われわれ〔マルクスの時代の人々や古典派の人々〕がいうとすれば、われわれの分析は、これらの商品を価値抽象〔Wertabstraktion :(*注8)〕に整約するのではあるが、これらの商品に、その自然形態とちがった価値形態 〔Wertform : 価値の形式〕を与えるものではない。〔価値関係における価値の形式についての分析の欠如のこと〕

  (*注8) この場合の「抽象」とは、ヘーゲル『小論理学』 A 現存在の根拠としての本質(Das Wesen als Grund der Existenz) §115 「抽象 Abstraktion とはこうした形式的同一性の定立であり、自己内で具体的なものをこうした単純性の形式に変えることである。これは二つの仕方で行われうる。その一つは、具体的なものに見出される多様なものの一部を(いわゆる分析によって)捨象し、そのうちの一つだけを取り出す仕方であり、もう一つは、さまざまな規定性の差別を捨象して、それらを一つの規定性へ集約してしまう仕方である。」(岩波文庫(下)p.18)



 (6)   〔 5 マルクス自身による価値の分析によれば、〕

5. 一商品の他のそれにたいする価値関係においては、ことはちがってくる。その価値性格は、この場合には、それ自身の他の商品にたいする関係によって現われてくる。〔価値関係を分析することによって、一商品の価値性格が出現してくる〕


 ・・以上で、価値形態〔Wertform〕と、形式Formの二重性(1) 終わり・


・・・以下は、次回の参考資料です。・・・・

 
〔 6 商品価値は等価表現によって、価値物として形態形成されてくる 〕

6. 例えば、上衣が価値物〔Wertding〕として亜麻布に等しいとされることによって、上衣にひそんでいる労働は、亜麻布にひそんでいる労働に等しいとされる。さて上衣を縫う裁縫は、亜麻布を織る機織とは種類のちがった具体的な労働であるが、しかしながら、機織に等しいと置かれるということは、裁縫を、実際に両労働にあって現実に同一なるものに、すなわち、両労働に共通な人間労働という性格に、整約するのである。この迂路を通って初めてこういわれるのである。機織も、価値を織りこむかぎり、裁縫にたいしてなんらの識別徴表をもっていない、すなわち、抽象的に人間的な労働〔abstrakt menschliche Arbeit〕であるというのである。ただおのおのちがった商品の等価表現〔Äquivalenzausdruck〕のみが、種類のちがった商品にひそんでいる異種労働を、実際にそれらに共通するものに、すなわち、人間労働一般(17a)に整約して、価値形成労働の特殊性格spezifischen Charakter der wertbildenden Arbeit を現出させる。

  〔6-2 フランクリン Franklin の価値実体の労働〕

(17a) 第2版への注。ウィリアム・ペティ William Petty の後に、価値の性質を見破った最初の経済学者の一人である有名なフランクリン Franklin はこう述べている。「商業はそうじてある労働の他の労働にたいする交換にほかならないのであるから、すべての物の価値は、労働で評価されるのが、もっとも正しい」(『B・フランクリン著作集』スパークス版、ボストン、1836年、第2巻、267ページ)。

 フランクリンは、すべての物の価値を「労働で」評価して、交換された労働の異種性から抽象しているということを、―そしてこのようにして、これを同一人間労働に整約しているのだということを、意識していない。それでも、自分で知らないことを、彼は言っているのである。彼は、はじめ「ある労働」について、次いで「他の労働について」、最後に、すべての物の価値の実体であるほかなんらの名をもっていない「労働」について語っている。


 〔7 人間労働の凝結物としての商品価値は、“対象性”(関係概念が実在すること)で表現される 〕

7. だが、亜麻布の価値をなしている労働の特殊な性質を表現するだけでは、充分でない。流動状態にある人間労働力、すなわち人間労働は、価値を形成するのではあるが、価値ではない。それは凝結した状態で、すなわち、対象的な形態で価値となる。
〔Sie wird Wert in geronnenem Zustand ゲル化した状態で, in gegenständlicher Form〕
人間労働の凝結物としての亜麻布価値を表現するためには、それは、亜麻布自身とは物的に相違しているが、同時に他の商品と共通に亜麻布にも存する「対象性〔"Gegenständlichkeit"〕」として表現されなければならぬ。課題はすでに解決されている。

 〔8. 価値の形態化=価値関係内部の使用価値は価値物となる〕

8. 亜麻布の価値関係において、上衣はこれと質的に等しいもの〔qualitativ Gleiches〕として、すなわち、同一性質の物〔Ding von derselben Natur〕とみなされる。というのは、上衣は価値であるからである。したがって、上衣はここでは価値の現われる物として、またはその掴みうる自然形態で、価値を表示している物となされている。ところが上衣、すなわち、上衣商品の肉体は、たしかに単なる使用価値ではあるが、しかし、ある上衣をとって見ると、任意の一片の亜麻布と同じように、価値を表現するものではない。このことは、ただ次のことを立証するだけである。すなわち、上衣が亜麻布にたいする価値関係の内部においては、その外部におけるより多くを意味すること、あたかも多くの人間が笹縁をつけた上衣〔galonierten Rockes:飾りモール付きの上着。〕の内部においては、その外部におけるより多くを意味するようなものであるというのである。


  参照先 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%BE%E7%B7%92
 〔 Galon:金(銀)モール、(金・銀の)組みひも 〕
飾緒(しょくちょ、しょくしょ、かざりお、英:Aiguillette)とは、一般に軍服の片肩から前部にかけて吊るされる飾り紐のことをいう。材質に金銀糸が使用されることからモールとも呼ばれている。軍人以外でも、国境警備隊や沿岸警備隊といった準軍事組織の構成員、或いは警察官や消防官等の公務員の制服にも使用され、民間でも制服やステージ衣装の飾りとして用いられる事がある。

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