<コラム24>コスモスと比例の源流―宇宙と自然の「調和と秩序」
ピュタゴラスの原理 ・・・秩序の原理として数は世界に現われる
について
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初期ギリシア思想における二つの主要な伝統は、古代後期には、イオニア派とイタリア派の名で呼ばれた。後者はピュタゴラスに始まる。彼は、出生で言えば東方ギリシャ人であるが、若いころ故郷のサモス島を離れ、およそ前530年ころ南イタリアに移住して、その地のクロトン市に定住し、自らの団体を設立した。・・・彼の数学的な哲学の基礎となったと言われる発見は、音楽の分野における発見である。彼は、完全和音-この言葉は今日も用いられていると思うが・・・
ピュタゴラス派・・・『資本論』に引き継がれた古代のギリシャ世界
-『資本論』の科学史ハンドブック2019 序論- |
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資本論ワールド 編集部 はじめに
古代ギリシャの哲学のうち、今回は「ピュタゴラスの原理」について報告します。
出典は、<コラム23>同様、 シュヴェーグラー『西洋哲学史』とガスリー『ギリシャの哲学者たち』を参考テキストに使います。
アリストテレスは、『形而上学(第一哲学)』の中で、ピュタゴラスの伝承を伝えています。
「あのいわゆる「ピュタゴラスの徒」は、数学的諸学課の研究に着手した最初の人々であるが、かれらは、この研究をさらに進めるとともに、数学のなかで育った人々なので、この数学の原理をさらにあらゆる存在の原理であると考えた。けだし数学の諸原理のうちでは、その自然において第一のものは数であり、そしてかれらは、こうした数のうちに、あの火や土や水などよりもいっそう多く存在するものや生成するものどもと類似した点のあるのが認められる、と思った、― ために、数のこれこれの受動態は正義であり、これこれの属性は霊魂であり理性であり、さらに他のこれこれは好機であり、そのほか言わばすべての物事が一つ一つこのように数の或る属性であると解されたが、さらに音階の属性や割合(比)も数で表わされるのを認めたので、― 要するにこのように、他のすべては、自然の性をそれぞれ数に似ることによって、作られており、それぞれの数そのものは、これらすべての自然において第一のものである、と思われたので、その結果かれらは、数の構成要素をすべての存在の構成要素であると判断し、天界の諸相や天界全体をも音階であり数であると考えた。・・・」(『形而上学』第1巻第5章 出 隆訳 岩波書店p.21)
また、『西洋哲学史』の著者シュヴェーグラーは、「近世の学者たちは、ピュタゴラス学派の数論にはいくっかの発展形態があったので・・・」と伝えています。また、「もともとピュタゴラス学派は数を質料、物のうちにある本質と考えていたのであって、それゆえにアリストテレスはかれらを質料論者(イオニアの自然哲学者)と一緒にし、かれらについて率直に「かれらは物を数と考えた」(『形而上学』第1巻、5、6章)と言っているのである。」と解釈を進めています。
一方、ガスリーは、前者(ピュタゴラス派)を形相の哲学と呼ぶならば、後者(イオニア派)は素材の哲学と呼ばれてよい。イオニア派では、対立物の混合の観念はあるが、それ以上に出ていないのに対して、ピュタゴラス派は、それに秩序と比率と尺度の観念をつけ加えた。
「重点は、素材から形相へ移っている。構成こそが本質的であり、この構成は、量の用語で数的に表現されたのである」として、シュヴェーグラーと若干、ピュタゴラス派解釈に差が現れています。 |
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シュヴェーグラー『西洋哲学史』(1849年) 上巻 岩波書店 1939年発行
第5章 ピュタゴラス学派
1 その地位
〔量的規定性の抽象化〕
イオニア哲学はその発展のうちですでに、物質の特定の質を捨象する傾向を示している。物質の感覚的具体化が一般に看過されるならば、すなわち空気とか水とかいうような物質の質的規定性がもはや顧みられなくなって、その量的規定性、空間的関係だけが顧慮されるならば、それは同じ抽象化であって、異なるところはただ、より高次の抽象であるというにすぎない。量の規定されたものは数である、そしてこの数がピュタゴラス主義の原理であり立場なのである。
2 歴史、年代 ・・・略・・・
3 ピュタゴラスの原理
〔秩序の原理として数は世界に現われる-数は物の質料か〕
ピュタゴラス主義の根本思想は、均斉と調和の理念であった。この理念はピュタゴラス主義にとっては、実生活の原理でもあり、また宇宙の最高の法則でもあった。ピュタゴラスの宇宙論によれば、宇宙は均斉的に組織され、存在のあらゆる区別と対立を調和的に自己のうちに統一している全体である。この見解は次のような学説のうちにもっともはっきりとあらわれている。すなわち、すべての天体あるいは天球(地球および、地球と中心火の間にある反地球をもふくめて)は、共通の中心点である中心火のまわりを定った軌道を通って運動しており、この中心火から光と熱と生命が宇宙全体に注いでいるのである。
ところで、世界ははっきりした形と割合にしたがって調和的に組織された全体であるという観念を形而上学的に基礎づけたものが、ピュタゴラスの数論であった。数によって、事物の量的割合、延長、大きさ、図形(三角形、四角形、球、等々)、組成、距離、等々は、はじめてはっきりと規定され、事物の形と割合はすべて数に還元される。そこで次のように結論されたのである。すなわち、およそ形と割合なしには何ものも存在しないから、数は、事物そのもの、ならびに秩序の原理であり、この秩序として数は世界にあらわれるのである。
古代の人たちは一様に、ピュタゴラス哲学の原理は数であったと伝えている。しかし、どんな意味で原理であったのであろうか。質料的原理であったろうか、それとも形相的原理であったろうか。ピュタゴラス学派によれば数は物の質料であったろうか。言いかえれば、物は数から成りたっていたのであろうか。それとも数は物の原型であったのであろうか。すなわち、かれらは物が数を模写していると信じていたのであろうか。まさしくこの点から古代の人たちの報告はまちまちになってくるのであって、アリストテレスの述べていることさえ互に矛盾しているように見える。かれは前の意味で語っているかと思えば、また後の意味でも語っている。だから近世の学者たちは、ピュタゴラスの数論にはいくっかの発展形態があったのであって、一部のピュタゴラス学徒は数を実体と考え、他は物の原型としか考えなかった、という想定を下している。しかし、アリストテレスは自ら、二種の陳述を結合すべき指示を与えている。もともとピュタゴラス学派は数を質料、物のうちにある本質と考えていたのであって、それゆえにアリストテレスはかれらを質料論者(イオニアの自然哲学者)と一緒にし、かれらについて率直に「かれらは物を数と考えた」(『形而上学』第1巻、5、6章)と言っているのである。
4. 〔数は存在の原型〕
しかし、質料論者たちにしても、例えば水のような質料を直接に感覚的個物と同一視したのではなくて、それを物の根本質料、原型と呼んだように、数も他方ではそのような原型と見なされえたのであり、アリストテレスはピュタゴラス学派について「かれらは数をもって、水や空気などよりも存在の原型であるにいっそうふさわしいものであると考えた」と言うことができたのである。それでもなおピュタゴラスの数論の意味にかんするアリストテレスの陳述にやや不明確な点が残っているのは、ピュタゴラス学派がまだ形相的原理と質料的原理とを全く区別していず、数は物の本質であるとか、すべては数であるというような未熟な考え方で満足しでいたからにはかならない。
5. 原理の適用
数の原理を実在の領域に適用することは、その本性からして、実りのない無思想な象徴説とならずにいないのは明白である。かれらは数を偶数と奇数との二種類、さらに限界のあるものと限界のないものとの対立に分け、そして数を直ちに天文学や音楽や心理学や倫理学などに適用した。このようにして生じたのが、一は点、二は線、三は平面、四は立体、五は性状というような、さらに、魂は音楽的な調和であり、徳や世界霊などもそうである、というような組合せである。ここまでくると哲学的興味どころか歴史的興味もなくなってしまう。・・・以下、省略・・・
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ガスリー 『ギリシャの哲学者たち』 理想社 1973年発行
― タレスからアリストテレスまで ―
ピュタゴラス派
- 本章の残りは、ピュタゴラス派に目を転じてみよう。初期ギリシア思想における二つの主要な伝統は、古代後期には、イオニア派とイタリア派の名で呼ばれた。後者はピュタゴラスに始まる。彼は、出生で言えば東方ギリシャ人であるが、若いころ故郷のサモス島を離れ、およそ前530年ころ南イタリアに移住して、その地のクロトン市に定住し、自らの団体を設立した。この団体は政治的理由から迫害を受け、解散させられた。5世紀までには、ピュタゴラス教団はギリシア各地に散在するに至った。もしピュタゴラス学派の伝統について一言も触れないとするなら、ギリシア哲学についてきわめて一方的な見解を与えることになり、プラトンの精神に強力な影響を及ぼしたものを閑却することになるだろう。しかし、ここでこの学派に多くの紙面を費やすことは、その教説や歴史の多くがあいまいさに包まれているため、たぶん上記のわれわれの意図をくじくことになろう。
このあいまいさには十分な理由がある。ピュタゴラス派ではその哲学の動機は、イオニア派の場合に動機となっていた、単純な知的好奇心ではなかった。この学派は一種の宗教的団体であり、このことは当然重大な影響をもった。彼らの教説のうち少なくともいくらかは秘密にされて、俗衆には漏らされなかった。創設者その人が聖者とあがめられ、半神と見なされた。これはつまり、まず第一に、奇跡に満ちた伝説のもやが彼の周囲を取り巻いているということで、歴史上のピュタゴラスの生涯と教義をそのもやから解き放つことは困難である。第二には、どんな新しい教説もすべて創設者その人に帰してしまうことが、敬虔な義務と考えられた。そして、この学派には長い歴史があること、なかでもとくにキケロの時代ローマ人の間で花やかに再興されたことを考えるとき、どこまでがピュタゴラス自身ないし初期ピュタゴラス派の信念であったのか、その実態を正しく知ることはまったく困難である。
宗教面でのピュタゴラス学説の真髄は、人間の霊魂は不滅であるという信念と、魂は人間としだけでなく他の動物の肉体の中へも連続して化身していくという信念であった。ピュタゴラス派のタブーのうちもっとも重要なもの、すなわち肉食の禁止はこれと関連している。諸君の食べている獣や鳥は、ひょっとすると諸君のおばあさんの魂が宿っているものかもしれないからである。
- もしそうなら、すなわち、魂の転生かおりうることであり、含まったことだとすれば、すべての生命は同族ということになる。事実、この自然の同族関係は、ピュタゴラスのもう一つの教義なのである。この教義はわれわれの想像以上にずっと進んだものだった。というのも、生命をもっている世界は、彼らの場合、わわれわれとは比較にならないほど広範囲にわたっていたからである。彼らは、天地万有の全体が一つの生きものである、と本当に信じていた。この点はイオユア派と一致する。しかし、この中に彼らが明らかにしていった隠された意味は、アナクシマンドロスやアナクシメネスには無縁なもので、理性に起源をもつよりむしろ神秘的宗教に発するものであった。彼らの主張では、宇宙は無限量の空気または気息で囲まれ、空気はそのすみずみまで充満して、全体に生命を与えている。それは個々の生物に命を与えているものと同じものである。これは通俗信仰のなごりであり、これにアナクシメネスは、前述したように理性の衣をかぶせたが、ピュタゴラス派は、ここから今や一つの宗教的教訓を引き出すのである。人間の気息あるいは生命と、無限で神的な天地万有の気息あるいは生命とは、本質的には同じものだった。人間は多数に分割されている上、死すべきものであった。しかし、人間の木質的部分である魂は不滅であった。そしてこの不滅性は、魂が神の霊魂の破片であり火花でありながら、切り離されて、死すべき肉体の中に閉じ込められたにすぎない、という事実から来たのである。・・・中略・・・
- この信念は、ピュタゴラス派以外の神秘的宗教、とくに神話的なオルペウスの名において説教した人びとにも見られた。しかし、ピュタゴラスが独創的である点は、彼が自己浄化や神との結合という目的を達成するために取った手段を見ていくとき、明らかになる。それまでは、浄化は、祭式や死体忌避のような機械的タブーによって求められていたが、ピュタゴラスはその多くを保持した上に、彼独自の方法、すなわち哲学者の方法を加えた。
自然は同族関係にあるという教説、それはピュタゴラス教説の第一原理であると言えるかもしれないが、またそれは古代的信仰のなごりでもあって、魔術的共感の観念と軌を一つにするものであった。だが、次の原理はかなり合理的であり、典型的にギリシア的である。すなわち、ピュタゴラスは本来の研究対象としで形相すなわち構造の意味を強調し、限定の概念に高い位置を与えた。西洋古典学のある教授が最近その就任講義で述べたように、もしギリシア人の特質が「幻想的で、あいまいで、不定形であることとは逆の、知性的で、明確で、計測できるもの」への愛好にあるのであれば、ピュタゴラスこそ、ギリシア精神の第一級の使徒であった。
- 〔 世界は秩序あるコスモス 〕
ピュタゴラス派は、確信をもった道徳的二元論者として、善なるものと悪なるものの対立表を
作製した。善の項目には、光、一、男性に並んで「限定」がはいり、悪の項目には、やみ、多、女性に並んで「無限定」が配置される。
ピュタゴラスの宗教は、前述したように、一種の汎神論である。世界は神であり、それゆえに善であり、一つの全体である。もし世界が善であり、生きており、全体とするならば、それは、世界が限定をもち、そのさまざまな部分の相互間に一つの秩序が見られるからである、とピュタゴラスは述べた。充実して力のある生命は組織(オーガニゼーション))に依存している。われわれはこのことを個々の生物の場合で知っており、したがって生物を有機組織体(オ-ガニズム)と名づける。すべての部分が、全体に生命を与えるという目的に向かって整序されてぃることを示すためである。(ギリシア語「オルガノン」は道具あるいは器具を意味する。)だが、このことは世界についても同様である。世界が善であり生きていることに加えて、一つの全体であると呼ばれる、その真意は、世界は一定の限定をもち、したがって組織体でありうる、ということである。世界の諸現象の規則正しさが、それを裏づけるのだと考えられた。しかるべき不変の秩序に従って、夜には昼が続き、季節が次の季節に移り、回転する星は、(彼の考えでは)永遠にして完全な円周運動を見せる。一口に言えば、世界は一つのコスモスと呼ばれていいものなのである。コスモスとは、秩序、調和、美の諸観念が結合した言葉で、翻訳はできない。ピュタゴラスが、初めて世界にこの名をつけた人だと言われている。
- ピュタゴラスは生まれつきの哲学者であったから、もしわれわれが、自分たちと本質的に同族であると信じている、この生きた宇宙と自分を結びつけたいと思うならば、古い宗教的規則に従うばかりでなく、何よりもまず宇宙のありかたを研究し、宇宙がどのようなものであるかを知らねばならない、と論じた。この研究によってわれわれは、宇宙の示す諸原理にもっと密接に一致するよう生活を営むことができるようになるばかりでなく、この研究自体が、われわれを宇宙そのものに近づけてくれることだろう。天地万有がコスモス、すなわち秩序づけられた全体であるように、ピュタゴラスは、われわれは各人が小型のコスモスであると信じた。われわれは、大宇宙の構成原理を再現する有機組織体である。そしてこの構成原理を学ぶことによって、われわれは自己の中に形相や秩序の要素を発展させ、助成するのである。コスモスを研究する哲学者は、その魂がコスモス的-秩序正しい-になる。
- ピュタゴラス自身の関心は、何よりもまず数学にあった。といって、それは、彼が単に迷信的に数をあやつったという意味ではなく、彼によって、数学が事実上の顕著な発展を遂げたということなのである。これは一般に承認済みのことと考えられてよい。彼が発見したものは、完全に、また驚くほど新しいことであった。その発見はどんなに心をおどらせ、新鮮に映ったことか。われわれはそれを理解しかいかぎり、彼がその発見を当然のこととして異常に幅広い分野に適用したわけを、共感をもって知ることはできない。そこに未開人の思考のなごりがあったことは、認めなければならない。前章で述べた、未開人がしていた数と数的事象との間の非合理的な混同を思い出してほしい。しかし、ピュタゴラスにとっては、彼のすばらしい発見こそ、それら古い思考方法に対して、純粋に合理的根拠の上に立った、論破できない確証を与えるものと見えたにちがいない。
彼のもっともきわ立った発見、彼の思想にもっとも広大な影響を及ぼし、彼の数学的な哲学の基礎となったと言われる発見は、音楽の分野における発見である。彼は、完全和音-この言葉は今日も用いられていると思うが-の音程が、1、2、3、4の四つの数の間の比として数的に表現できるのを発見した。これらの数は加え合わせると10になる。そしてこの10という数は、数学と神秘主義とが奇妙に結合しているピュタゴラスでは、完全数と呼ばれた。それは、テトラクテュスすなわち
という図形を用いて図示された。オクターブは2対1の比で、五度音程は3対2、四度音程は4対3の比で作られている。これらの比は、人があらかじめこれを知らないでも、リュラを弾いている途中で何回となく試行錯誤を繰り返して音を探っているうちに、ふと心に思い浮かぶという種類のものではない。この比が発見されたのは、音自体の性質の中に、ある内在的秩序、すなわち数的組織が実在したからこそであった。そしてこれは、天地万有の本性に関する啓示であると思われたのである。
- この事実は、一つの一般的原理を例証するものと見なされた。限定されたもの(ペペラスメノン)を作るのは、無限定なもの(アペイロン)に限定(ペラス)が課せられることによる、というのがそれである。これは、世界および世界が包含する万有の造りについての、ピュタゴラスの一般公式であった。そしてこの公式は、限定は善であり無限定は悪である、という道徳的美学的系につながった。したがって、限定が加えられ、コスモスをなしているということが-これを彼らは世界全体の中に見る、と主張したのだが-世界の善と美の証拠であり、また、人同が従うべき模範であった。ピュタゴラスの発見によって、音楽は、彼の弟子たちにこの原理の働きについて最良の実例を提供した。音楽の美も-これには一般のギリシア人同様、ピュタゴラスの感受性は鋭かったが-この実例の適合性を高めた。というのは、コスモスという語は、ギリシア人にとって、秩序だけでなく、美をも暗示する言葉であったからである。
こうして、音の分野において、限定が加わることによって、不調和から美が得られたことは、限定を善と同等に扱う立場をささえる、一歩進んだ証拠となった。そこでは、高低の反対方向に不定に広がっている音の全域が、無限定なものの例である。限定は、協和音間の比という数体系によって示され、それが音全体を秩序あるものに帰する。そこには一つの叡知的計画が刻まれている。この計画は、人間によって押しつけられるのではなくて、ずっとそこにあり続けながら、発見されるのを待っているのである。コーンフォードの言葉を借りれば、「音の質の無限の多様性は、量の比という厳密で単純な法則によって秩序づけられる。このように限定された音の体系も、なお音と音の間の空白になっている音程では無限定の要素を含んでいる。しかし、この無限定なものは、もはや秩序のない連続体ではない。それは、限定すなわち尺度を受け入れることによって、一つの秩序、一つのコスモスのうちに閉じ込められる」。
- この過程は、ここではただ一つの顕著な実例で理解されたが、ピュタゴラス派は、これを、天地万有の全体に作用している支配原理であると考えた。ピュタゴラス派の宇宙論が、イオニア型のものと本質的に異なっているのは、この点であり、前者を形相の哲学と呼ぶならば、後者は素材の哲学と呼ばれてよい。イオニア派では、対立物の混合の観念はあるが、それ以上に出ていないのに対して、ピュタゴラス派は、それに秩序と比率と尺度の観念をつけ加えた。すなわち、量的差違を強調した。それぞれの個物を個物たらしめているものは、素材的要素(これはすべてに共通である)ではなく、この要素が混合される割合である。ある類の事物が他の類の事物と異なるのは、この比という要素においてであるから、彼らの論では、その事物を理解したいと思うなら、その、構成の法則こそどうしても発見しなげればならないものである。重点は、素材から形相へ移っている。構成こそが本質的であり、この構成は、量の用語で数的に表現されたのである。さて、ここで、哲学はまだほんの始まったばかりで、論理学や文法でさえ何ら組織的に研究されていないことを考えるとき、彼らが、自分たちの新しく発見したこの確信を表わすのに、「事物は数である」との表現を与えたとして、はたしてそれは驚くべきことであろうか。
以上で、彼らの思想の一般的方向は明らかである。ここでは、その多くの適用例に一つ一つはいって行くことはできない。ただ次の一つだけは、例証として語ってもよかろう。とくに、それがギリシア科学の非常に重要な部門に及ぼした強大な影響力から考えて、それは当然である。その科学部門においては、ギリシアの、つまり結局はピュタゴラス派の思想が、中世を通じてさらにそれを越えて、キリスト教の西方世界はもとよりイスラム教の東方世界においてさえ、規範的なものと考えられていたのであった。それは医学である。限定と秩序はよきものであり、世界とそこに生きるあらゆる生物の福利は、そのものを組み立てている要素の正しい混合(クラシス)にかかっている。そのとき、それはハルモニアの状態にある。この言葉は(英語同様にギリシア語でも)元来、音楽用語でありながら、自然の全分野をおおうように拡張されたものである。この教説は、小宇宙である人間に適用されて、身体の健康は、熱と冷、湿と乾という自然界の対立物のバランスのとれた混合に基づく、という理論になった。・・・
・・・以下、省略・・・
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