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古代思想の目的論体系化-アリストテレス

 
 2019 資本論入門6月号
 第3回 『資本論』の科学史ハンドブック 2019-3


 古代思想の目的論体系化-アリストテレス
 

 第1部 アリストテレスの目的論自然学
       機械論自然学の対抗自然史

 
 第2部 シンガー著 『科学思想のあゆみ』


        2019文献資料:アリストテレス著作集
         ★『自然学・天体論・生成消滅論・気象学』

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 資本論ワールド編集部 はじめに

  目的論から機械論へ  2019.06.19

1) 西洋古代思想の特徴に、宇宙全体を一つの目的に向かって生動するシステムとみなす考え方があります。神話的思考のうちにすでにみられますが、アリストテレス(前384-322)はこれを統一的に体系化を成し遂げました。伝統的に「目的論自然観」と呼ばれてきましたが、アリストテレス科学は、事物の原理・原因として「質料因、形相因、動力因、目的因」を構成して、神が究極的な目的論として、天界を束ねていました。宇宙を一つの目的論システムとみなした考え方が、中世キリスト教神学に取り入れられ以後1,500年にわたって西洋科学思想を規定しました。

2) 一方で、「目的論自然観」に対抗する「機械論自然観」に立脚した「原子論」哲学は、デモクリトス(前460-370)らを中心として自然哲学が成長しています。デモクリトス原子論を継承したエピクロス(前341-270)からルクレティウス(前99-55)へと引き継がれていきますが、1000年の中世を経てルネサンス期1400年代に再発見され「原子論」説が復活します。

3) 大航海時代に伴う航海術など科学技術の進歩や機械時計の普及を経て、近代的「機械論自然観」も発展を遂げてゆきます。これらの時代背景により、神学者で哲学教授のガッサンディ(1592-1655)によってエピクロス原子論の仮説が提示され、キリスト教神学と調和が図られます。一方、同じ「機械論自然観」を唱えるデカルト(1596-1650)は、「原子論」仮説には強く反対し「粒子の運動」による宇宙論を構築しました。
こうして、「元素・原子論」は、2,000年の時を越えて、ボイル(1627-1691)の新しい時代を迎えることになります。


  科学史ハンドブック 「元素・原子論」 と 「周期律・表」

4) 『資本論』の科学史ハンドブック2019では、アリストテレス(前384-322)自然学からデカルト(1596-1650)とボイル(1627-1691)を経て、ドルトン(1766-1844)原子論の誕生とメンデレーエフ(1834-907)周期律・表までを探求・追跡してゆきます。「元素・原子論」は、アリストテレスの「四元素と目的論体系」が克服され、「周期律・表の完成」を経てはじめて十全な科学体系としての地位を獲得することが出来ます。


5) "Element" と "価値方程式(A商品x量=B商品y量)"

 『資本論』の "Element" は、「周期律」として表示され、"価値方程式(A商品x量=B商品y量)"として構築されることで、はじめて十全な科学体系としての地位が築かれるのです。これによって、資本主義の原理体系は、"Element" から始まり、「資本制生産様式の支配的である社会の富は、「巨大な商品の集まり」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態 " Elementarform " として現われる、ことになります。


6) エンゲルス 「科学の専門用語における革命」

 こうして科学史ハンドブックは、古代ギリシャから2,000年有余を経て、"Element" の道のりを探索してゆきます。読者と共にエンゲルスの𠮟咤激励が思い起こされます。
 「われわれが読者のために除くことのできなかった一つの困難がある。すなわち、日常生活の語法とちがっているだけでなく、通常の経済学のそれともちがっている意味に、ある種の表現が利用されていることである。だが、これは避けえないものであった。ある科学の新たなる見解は、すべて、この科学の専門用語における革命を内包している。このことをもっともよく証明するのは、化学である。ここでは全用語が約20年ごとに根本的に変わっている。・・・・だが、近代資本主義的生産を人類の経済史上の単なる発展段階と見る理論が、この生産様式を恒久的で最後のものであると見る著者たちの慣れている表現とちがった表現を用いざるをえないということは、当然のことである。」(『資本論』「英語版の序文」 岩波文庫p.47)

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 第1部 アリストテレスの目的論自然学
       機械論自然学の対抗自然史


 第1章 アリストテレスの「目的論自然学」について

 『自然学』第2巻 第8章〔自然の目的性〕

〔最も明白に、自然の目的性の認められるのは、
  他の〔人間以外の〕動物においてである〕

 そこでわれわれは、まず第一に、(A)、自然が、「それのためにであるそれ」としての原因〔すなわち目的因〕の部に属するものであることを説き、つぎに、(B)、必然的なそれについて、それが自然的事物のうちでどのような地位を占めるかを説かねばならない。というのは、すべての自然学者はそれらの事物をこうした〔必然的な〕原因に還元しているからである、すなわちかれらは、熱はもともと〔自然的・本来的に〕これこれであり、寒はこれこれであり、その他この種のものはこれこれである、それゆえに、かくかくの事物は必然によって存在し、あるいは生成する、というように論じている。というのは、たとえかれらのうちの誰かがその他の原因を挙げているにしても、たとえば或る人〔エンペドクレス〕は愛と憎みとを挙げ、或る人〔アナクサゴラス〕は理性を挙げているにしても、この人々もただわずかにこれらに触れるだけで直ちに別れを告げているからである。・・・中略・・・

 のみならず、(C)こうしたこれらのことさえ、すべて自然によってであることは、あのような論をする人々でさえ肯定するにちがいない。そうだとすれば、なにかのために〔目的適合性〕は、自然によって生成し存在する物事のうちにも存するわけである。

 さらに、(2)、なんらかの終り〔目的〕の存する物事においては、これに先行する物事およびこれに継続する物事はこの終りのために〔この終りを目ざして〕なされ〔行為され〕るのである。ところで、このことは、実にそのなされるとおりに自然的にそうあり、自然的にそうあるとおりにその各々はなされるのである、もしそこに〔その途上に〕なんらの妨害もなかったならば。ところでこのなされる〔行為される〕というのは、なにかのためにであり、そしてそれゆえになにかが自然的にそうあるのもなにかのためにそうあるのである。たとえば、もし家が自然によって生成するものの部に属するとすれば、それはあたかもそれが現にいま技術によってあるように、そのように生成するであろう。そして、もし自然によっての事物が、ただに自然によってのみならず、技術によっても生成するとすれば、それらは、それらが自然的にあるのと同じような仕方で生成するであろう。だから、〔こうした生成過程において〕先のものは後のもののためにである。ところで、一般に、技術は、一方では、自然がなしとげえないところの物事を完成させ、他方では、自然のなすところを摸倣する。そこで、もし技術に従ってできた物事がなにかのためにであるとすれば、明らかに、自然に従ってできた物事もまたそうである。なぜなら、技術に従ってできたものにおいても、自然に従ってできたものにおいても、先のものと後のものとの相互の関係は同じであるから。

 だが、(3)、最も明白に、自然の目的性の認められるのは、他の〔人間以外の〕動物においてである、そ
れらは技術によってでもなく、探求したり考慮したりしてでもなしに、仕事をするものである(そこからして、それらの動物、すなわち蜘蛛とか蟻とかその他この種のものどもがそうした働きをするのは、理性によってかあるいはむしろなにか他の能力によってではなかろうかと詮議している人々もある)。だが、この方向に少しずつ歩を進めると、植物のうちにもその終り〔目的〕に向いているものの生じていることが明らかになる、たとえば、木の葉が果実を蔽い守るために生えるなど、それである。したがって、もし燕が巣を作り、蜘蛛が網を張り、また植物が、その果実のために葉を生やし、栄養をとるために根を上にでなく下におろしなどするのが、自然によってであるとともになにかのためにでもあるとすれば、自然によって生成し存在する物事のうちにこうした原因〔目的因〕の存することは、明白である。 
               
 なおまた、自然というのに二義、すなわち質料としての自然と型式〔形相〕としての自然とがあり、そして形相の方は終り〔目的〕であって、その他はこの終りのためにであるからして、形相そのものは、その他のものどもがそれのためにであるそれとしての原因〔目的因〕であらねばならない。

 ところで、(4)、過失は技術に従っての物事のうちにも生じ(たとえば、文法家も正しくなく〔まちがえて〕書き取ることがあり、医者も〔正しくなく〕投薬することがある)、したがって、明らかに、こうした過失は自然に従っての物事のうちにおいてもまた生じうる。だから、もし技術に従っての物事のうち、正しく生じたものはなにかのためになるものであり、過って生じたものの場合には、それはなにかのためにと志して企図されたが、的がはずれたのだとすれば、自然的な事物の場合にも事情はこれと同様であろう、そして〔エンペドクレスなどが全く機械的に発生したものとみるところの〕あの怪物なるものも上述のようになにかのために企図されたことの失敗に終った場合に他ならないだろう。そしてそれゆえ、あの最初の混合において、あの「人面の牛の子」は、もしそれがその境端にすなわちその終り〔目的〕に到達することができなかったのだとすれば、それは或るもとのもの〔原理〕が、今日の言い方では種子に相当するものが、傷つき痛んでいたがためにちがいない.

 なおまた、(5)、先ず最初には種子が生じたのであって、初めからいきなり動物が生まれたのではないにちがいない。そして〔あのエンペドクレスの言うところの〕「先ず最初に未分化の自然生者が〔土から生まれた〕」というのは、実は種子がであった。
さらにまた、(6)、植物のうちにも、より低い度合いにおいてではあるが、なにかのために〔目的適合性〕が含まれている。そうだとすれば、植物のうちにも、あの「人面の牛の子」のように「オリーブの面の葡萄の子」といったようなものが生じたであろうか、あるいは生じなかったであろうか? むろん、そのようなものが生じたなど、不条理なことである。だが、もし動物のうちにあのようなものがあったとすれば、植物のうちにもあったはずなのだが〔しかし、実際にはそのようなものはありはしない〕。
 のみならず、(7)、〔この論からすると〕種子のうちにも偶運的な生成があるということになろう。だが一般に、このような論をする人々は自然によっての事物をも自然そのものをも全然無視するものである。というのは、自然によってと言われるのは、それ自らのうちに存する或る原理〔始まり〕によって連続的に運動して或る終り〔目的〕に達する事物のことだからである。もっとも、そうした事物の各々にとって任意の原理〔種子〕からそれと全く同じ終りが達せられるわけではなく、また任意の終りが達せられるというのでもないが、しかしその各々は、妨害されさえしなければ、常に同じ種類の終りに向かっているはずだから。

 また、それのためにであるそれ〔目的〕およびそれのためのもの〔それへの手段〕は、偶運によっても生じうる、たとえば、或る外来の客が来て、身代金を支払って立ち去ったとする、それは身代金を支払わんがために来だのではないが、あたかもその支払いのために来てそうしたかのようにであったとする。この場合、われわれが、かれは偶運によって来た〔偶然にも運よく来合わせた〕と言うがごときがそれである。ただしこのことは付帯的に起こったことである。(というのは、偶運は、さきにも〔第五章で〕われわれの言ったように、付帯的原因の部だからである、)しかし、もしこのことが常にまたは多くの場合に起こるなら、それは付帯的にでもなく偶運によるのでもない。ところで、自然的な事物においては、もしなにかが妨害しさえしなければ、常にこのようにである。

 最後に、(8)、たとえ動かすもの〔始動因〕に意図のあるのが認められないにしても、そこから直ちに事物がなにかのために生成するということはないと考えるのは不条理である。実のところ、技術は意図をもってはいないのである。そして、もし木材のうちに造船術が内在するとしたら、それはその自然によって〔造船の技術によってと〕同じように船を造り出すであろう。だからして、技術のうちにさえなにかのために〔目的適合性〕が含まれているとすれば、むろんそれは自然のうちにも含まれているはずである。このことの最も明らかな例は、医者が自らで〔すなわち自らのうちにある医術で〕自らを治療するような場合である。というのは、自然もまたこのようにだからである。さて、以上で、自然が原因であり、しかもなにかのためにの意味での原因であることは、明白である。

 ・・・以上で、『自然学』第2巻第8章終わり・・・

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 第2章 アリストテレスの「自然」について

  ー『形而上学』(第1哲学)第5巻ー 


  第4章〔自然についてー目的論自然観〕

 フィシス〔自然〕というのは、(1)その一つの意味では、生長する事物の生成をいう、―これは、“physis”の“y”を長音に発音してみれば推察される通りの意味である。つぎには、(2)生長する事物のうちに内在していて、この事物がそれから生長し始める第一のそれ〔たとえば植物の種子〕を意味する。さらにまた、(3)自然によって存在する事物〔自然的諸存在】の各々の運動が第一にそれから始まり且つその各々のうちにそうした事物のそれ自体として内在しているところのそれ〔自然的存在の第一の内在的始動因〕を意味する。一般に事物が生長するというのは、それが或る他のものからこの事物との接触によって増大することであり、それは他のものと自然的に合生することによってかあるいは胚子や胎児のように合着することかによって増大することであるが、この自然的な合生はただの接触とはちがっている。接触の場合には、接触する両項より以外にはなにものをも必要としないが、自然的合生による生長の場合には、合生される両項はたんに接触するだけではなくて、そこに両項を合生させてその事物を生長させるところの或るものが、しかも両項をその連続性と量とにおいて―だが性質においてではなしに― 一つにするところの・両項に通じて同一なる・或るものが存する〔そしてこの或るものがそれの自然である〕。

 さらにまた自然は、(4 )自然的諸存在の存在するのも生成するのもそれからであるところの第一のそれ〔自然的諸存在の根源的質料〕を意味する。それは比較的無形無秩序でありそれ自らの可能性によっては転化しえないものである。たとえば、銅像や青銅製器具においては青銅が、木製品においては木材が、それぞれその自然と言われ、さらにその他の場合にも同様にそう言われる。そのわけは、各々の事物はこれらの材料から作られながら、その第一の質料はその各々のうちにそのまま保存されているからである。けだし人々が自然的諸存在の元素を自然であると主張しているのもこの意味においてである。すなわち、或る人々は火を、或る人々は土を、或る人々は空気を、或る人々は水を、或る人々は或る他のこのようなものを、それぞれ自然であると唱えており、また或る人々はこれらの幾つかを、或る他の人々はこれらのすべてをそうであると説いている。さらに他の意味では、(5)自然は、自然的諸存在の実体とも解されている。たとえば自然を第一の複合状態であると説く人々のように、あるいはエンペドクレスの言っているように、すなわちかれによると、―
『存在事物のいずれにも自然は存しない、存するはただ混合と、混合物の分解とのみ、これらを自然というは、人間の与えた呼び名にすぎない。』

 それゆえにまた、自然によって存在しあるいは生成する事物は、たとえそれらのうちにそれからそれらがおのずから生成し存在するに至るべきそれ〔質料〕が内在していても、もしそれらがその形相または型式〔モルフェー。翻訳者注:形式と同義的であるが、ここでも感覚的な事物の形相をさす場合に使われている。〕をもっていないかぎり、なおいまだその自然をもっていないと我々は言う。
したがって、〔この意味での〕自然によって存在するのは、これら両者〔質料と形相〕から成るものども、たとえば動物やその部分などである。こうして、ただに第一の質料が自然であるだけでなく、―ただしこの「第一の」というのにも、その結合した事物に対して第一のというのと端的に第一のというのとの二義がある、たとえば、青銅製品に対しては青銅がそれの第一の〔最も近い〕質料であるが、端的にはおそらく水がその第一の質料であろう(もしすべての溶解されうるものが水であるとすれば)、―さらに形相や実体も自然である。ところでこれは生成の終りすなわち目的である。ここからさらに転意して、(6)広く一般にあらゆる実体が自然と言われている。それは、自然もまた一種の実体であるからというにある。

 さて、上述からして明らかなように、第一義的の主要な意味で自然と言われるのは、各々の事物のうちに、それ自体として、それの運動の始まり〔始動因〕を内在させているところのその当の事物の実体のことである、というのは、事物の質料が自然と言われるのは、質料がこの実体を受容しうるものなるがゆえにであり、また事物の生成し生長する過程が自然と呼ばれるのも、この過程がまさにこの実体から始まる運動なるがゆえにであるから。また自然的諸存在のうちに、可能的にせよ現実的ににせよ、内在しているところのこの事物の運動の始まり〔始動因〕も、この意味での自然である。
(『形而上学』1014b16-1015a19)

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 第2部  シンガー著 『科学思想のあゆみ』

1. 「科学とは、何を意味しているのか。これは、この本を読もうとするときに当然おこる疑問である。しかしこの疑問は、答えられるにしても、はじめに答えることはほとんど不可能である。ある意味でこの本自体が、その解答になっている。・・・」
 「・・・したがって科学とは、静的な知識体ではなく、むしろ、時代を通じてたどることができる動的な過程である。・・・科学的なという語の本来の意味は、知識をつくることである。だから、成長することなく、現につくられつつあることのない説教というものは、もはや科学の属性を保持することはできない。」

2. 科学の伝統の起原
 「したがって、科学とは一つの過程である。しかし、いつその過程ははじまったのだろうか。これに答えることは、ちょうど、人間はいつ成長をはじめるのかという疑問に答えるのとおなじようにむずかしい。・・・旧石器時代の人間は、自分で動物を殺してその肉を食べていた。かれらは、狩猟にたよっていたので、自分が猟をする動物の習性や形態を観察するようになった。また呪術のおかげで、動物を殺している動作を絵に描くだけで、その動物をわがものになることを示唆しているものと信じていた。かれらの絵の正確さと美しさは、かれらの洞穴を探査する人びとの驚異と称賛をひきおこしている。旧石器時代の画家の観察の正確さや、形や動きの表現にむけられたその注意力や、さらに動物の解剖さえも、科学的な過程に類似している諸要素をたしかに示している。・・・」


3. 古代文明とギリシャ思想
 「こうして、これらの古代文明のうちで科学を見分けることはできるかもしれないがそういう文明における科学思想の発達を継続的に述べることは、だれにもできなかった。さらに、科学が古代人の思考様式にどのような影響をおよぼしたかを示すことは、もっとむずかしい。いっそうはっきりした見解を得るには、さらにのちの別な文化であるギリシャ人の文化を考察しなければならない。だがそれにもかかわらず、メソポタミアやナイル川流域の古代民族が残したものは、ギリシャ思想のいちじるしいまとまりを示唆しており、またおそらくそれを促進したであろう。そこでつぎに、バビロニア文化とエジプト文化のあるいくつかの局面をとり扱うことにする。」


4. 目的論自然学
 私たちの資本論ワールドでは、ここで、シンガーの「序論 科学的な過程の本質」からいったん離れ、古代世界の科学思想を現代に引き継いでいる「アリストテレス科学」からはじめてゆきます。古代ギリシャ史の底流にある「目的論自然学」は、アリストテレスの時代に「統一的体系化」を成し遂げます。以後古代・中世から17世紀「デカルト革命」に至る 2,000年の間、支配的な科学思想として西洋史に君臨してゆきます。
 古代の原子論は、目的論自然学に対抗する宇宙と自然の原理として「機械論」を展開しますが、しかし、中世キリスト教神学-アリストテレス・スコラ哲学複合体-の圧倒的な影響力の前に歴史の表舞台から退いてゆきます。「原子論」に対抗する「アリストテレス自然学」の2,000年に及ぶ科学的意義-目的論と生気論の科学思考-は、『資本論』の "Elememt" にも刻印されているのです。

5. アリストテレスの歴史的位置
 シンガー『科学思想のあゆみ』の目次を通覧しておくことは、「アリストテレス科学の歴史的位置」の見定めに大変役立つものと思われます。



 ◆科学思想のあゆみ 目次

序論  科学的な過程の本質
第1章 精神的なまとまりの発生――
    基盤-前400年ころまでの、メソポタミア、エジプト、
       イオニア、マグナ・グラエキア、アテネ
第2章 偉大な冒険――
    思想の統一的体系(前400-前300年のアテネ)、
   (1)プラトンとアカデメイア学派 (2)アリストテレス 
   (3)ペリパトス派、ストア派、エピクロス派
第3章 第二の冒険――科学と哲学の分離(前300-後200年のアレクサンドリア)
第4章 霊感の衰退――
    実利実用の侍女としての科学。帝政時代のローマ(前50-後400年)
第5章 知識の衰退――中世(後約400-1500年)。神学-諸学の女王
第6章 学問の復興――
    ヒューニズムの勃興-古代への計画的な復帰(1250-1600年)
第7章 波乱の世紀(1600-1700年)アリストテレスの没落。総合の新しいこころみ
第8章 機械論的世界――決定論の登場(1700-1850年)
    物質の変換 
    ⅰ.定量的方法の出現 ⅱ.化学反応の徹底的な研究 
    ⅲ.気体 ⅳ.元素 ⅴ.原子論 ⅵ.分子説
第9章 機械論的世界観の全盛(約1850-1900年ころ)

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Ch.シンガー著 『科学思想のあゆみ』  岩波書店 1968年発行
  A SHORT HISTRY OF SCIENTIFIC IDEAS TO 1900

第2章 偉大な冒険 思想の統一的体系(前400-前300年のアテネ)

  アリストテレス

  〔 「デカルト革命」前のアリストテレス自然学 〕

1. プラトン(前427-347年)の学校は、アカデメイアの名のもとに幾世紀もの間つづいたが、主として形而上学の論議に専念した。科学で頭角をあらわした門人の一人は、観測的な宇宙論の創始者となったクニドスのエウドクソス(前405-356年)であった。エウドクソスもまた、ピュタゴラス(前582-496年)派の人々とともに研究していた。・・・
 アリストテレスもプラトンと同様に、かれの物理学的なもくろみのなかではピュタゴラス的な傾向をいくつか示している。ことに、円と球とを最も「完全な」図形で、世界はそれらを基にしてつくられていると強調した。こうしてかれは、天体は、この地球を中心にしてそのまわりに配列した一連の同心天球に属するとみなすようになった。ところがこれらの天球は、エウドクソス数学的なもくろみから機械論的に組み立てられ、水晶のように透明なものとして記述された。この地球のまわりには大気の天球があり、そのまわりには純粋な原素的な諸領域がある。そしてこれらは、内から外へ濃厚さの順序によって、土(または、むしろ土の蒸気)、水、空気、火となっていた。これらの純粋な原素の領域へは、天体そのものと同様に、われわれは近づけない。ついで、原素的な火の領域のむこうには、もっと神秘的な実体アイテル(ギリシャ語で「高く輝く空」の意味)の領域がある。そしてこのアイテルは、諸天体の構成のなかにはいりこんでいる。さらに遠くその外側には、連続して七つの天球があり、その各天球は一つずつ惑星を運んでいる。そしてそのむこうには、恒星がはめこまれている8番目の天球があり、最後の一番外側には、その聖なる調和によって天空の全体系を円回転させている天球がある。
 人間のいだく自然観を2000年間も支配することになった体系の基礎は、このようなものであった。この体系と、その歴史、その運命は、つぎのように要約できるだろう。



   (a) 物質は連続的である

2. アリストテレスは、この見解を採用してデモクリトスに反対し、ソタラテスやプラトンの側に立った。原子論的物質観(22-23ページ)を採用したデモクリトスならびにその系統に属するエピクロスの後継者たちは、初期と中世の教会にはとくにきらわれた教理と提携した。原子論は、アリストテレスの物質に関する概念にたいして唯一の別な概念であった。だからこの点で、アリストテレスを批判することは、おのずから神学からの非難をこうむった。したがって原子論は、あとで見るように、長年にわたって目立たない場所ですごした。

3. (b)地上のあらゆる事物は、土、空気、火、水の四「原素」からつくられ、これらの原素はそれぞれ、熱、寒、乾、湿の四「性質」の二つずつの結合を含んでいる。
この物質観は、エムペドクレス(前約500-430年ころ)からとられたものだが、おそらくもっと古い時代に起原をもつものだろう。それは、万物が愛か憎の状態にある―たとえば、火は水と相容れないが空気とは結びつく―というピュタゴラス的な概念のアリストテレス的な表現である。四原素の教理は、17世紀までほとんど疑われることもなく、18世紀末までつづいた。それは、ユダヤ教思想、キリスト教思想、回教思想によく適合し、中世の正統神学の一部になった。

4. (c) 恒星や惑星は、地球を中心にしたそのまわりの透明な天球に属して一様な円速度で運動する。それぞれの天球は、それよりも外側にある天球の影響をうける。

 この一般的な概念は、ピュタゴラス派に起原をもっている。アリストテレスは、単に、それをエウドクソスから借用して機械化し、哲学の一般的な体系に適応させただけである。かれの宇宙体系や、それにいくらかの修正をほどこしたものは、17世紀のケプラー(1571-1630)の時代までその地歩を維持していた。

5. (d) 円は完全な図形だから、円運動は完全である。円運動は、天体の不変で永遠な秩序をあらわしている。それは、変化し不完全なこの地上にひろまっている直線運動と対照的である。不完全さの止むところ、天がはじまる。
   
 ここにもまた、ピュタゴラスの影響がある。この概念の基礎となっているのは、天体はわれわれのまわりを回転するように見えるのに、地上の物体は落下するか上昇する傾向があるということである。ニュートンは17世紀末に、天体の運動を、既知の経験的に論証された条件で表示することに成功した。かれの時代までは、地上の物体の動きと天体の動きとのちがいは、謎であるか、または矛盾であるか、それともその両方だった。

6. (e) 宇宙は、それが外側の天球内に含まれているという意味で、空間的に有限である。宇宙は、それが全体としては創造も破壊もされないという意味で、時間的に無限である。

 中世のあらゆる神学体系、ことに西方キリスト教会の神学体系にとっては、宇宙が空間的にも時間的にも有限であるということが必要になった。このことは、ブルノ(1600年死)の時代まで、事実上疑われることはなかつた。だから、アリストテレス自身は、完仝にはうけいれられなかったわけである。空間的にも時間的にも無限な宇宙という概念に哲学的に復帰したことは、科学史では画期的な出来事である。


7. アリストテレスにたいしては、つぎのような反論がなされてきた。すなわち、アリストテレスは、天界の力学と地上の力学とを分離して、天文学の進歩を阻害した。というのも、かれは、天界の運動は、それ自身の独自の法則に支配されているという原理を採用したからである。こうしてかれは、天文観測に水をさし、天界を、経験的な研究の可能性を越えたところにおき、同時に、「自然な」運動と「不自然な」運動とのちがいを仮定することによって、力学の知識の進歩も妨げた。アリストテレスが述べたような一般的な世界観は、2000年間も正統的な見解として存続した。それに疑問をさしはさむことは、危険でさえあった。この知的専制には、アリストテレスにどれだけの責任があったのだろうか。この疑問にたいしては多くの解答があるが、そのうちの四つだけを挙げることにしよう。
 (a) 天界の物理学と地上の物理学とを区別したのは、アリストテレスではなかった。このような区別は、かれの先人たちによって当然のこととして認められていたのである。たとえば、ピュタゴラス派の人びとは、そこから多くのことをつくり出していた。じっさいのところアリストテレスは、実証的で実質のあるもくろみを示すことによって、自然の研究に新しい興味を与えたのである。
 (b) アリストテレスを責めるために、かれ自身の偉大さをもち出すことは正当でない。物質世界に関するわれわれの概念―いわゆる「科学理論」―はすべて、単に一時的な工夫にすぎないもので、時がくれば捨て去られるべきである。これは、アリストテレス自身が述べた提案である。かれは、惑星の運動を述べるさい、読者に、自分の見解と読者自身が到達する見解とを比較するように忠告している。かれのもくろみが効果的な批判もなく2000年間もつづいたことは、かれの罪ではない。それはむしろ、かれを信奉した人びとがこの「知識人たちの師」にくらべると小人だった証拠である。

 (c) アリストテレスが、今日われわれが世界の形態だとみなしていることに反対している理由のいくつかは、じつは根拠がある。たとえば、かれは地球の運動というものに反対する。もしもこのような運動が存在するならば、恒星の間に見かけの運動が生じるはずであるとかれは考えた。これは正当な反論であって、19世紀になってやっと、そのような見かけの運動のあることがじっさいに証明されたのである。以前にこの運動が見出されなかったのは、天体とわれわれとの莫大な距離がこの見かけの運動を非常に小さくしたため、極度に鋭敏な器具が必要だったからである。

 (d) アリストテレスの体系が硬直なのは、体系自体がそうなのではなくて、それに加えた解釈、とくに中世の解釈のせいであることに留意しておく必要がある。中世の人びとは、アリストテレスの理論と自分たちの宗教的見解とを結びつけることによって、かれのもくろみの妥当性に関する論争に、哲学的または科学的価値とは無関係な予断を導入したのである。

 ・・・以上、2 アリストテレス 終わり・・・