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  <コラム27>      

『精神指導の規則』と『デカルトの数学思想』

  

    デカルト革命・・・  佐々木力著 『デカルトの数学思想』

・文献資料Ⅰ 『精神指導の規則』 規則第4、第6、第14 
・文献資料Ⅱ デカルト 『哲学の原理』  
・文献資料Ⅲ 野田又男 『発見の方法』  
・文献資料Ⅳ 村田 全 『代数学と解析学』

  資本論ワールド 編集部 まえがき
 
  「デカルト革命」誕生の『精神指導の規則』は、未完の書として、デカルトの死から50年の後1701年に出版されました。「規則第1」」から「規則第21」まであります。編集部では、このうち、第4、第6、第14の各「規則」を参照しながら、佐々木 力の『デカルトの数学思想』を研究してゆきます。

  日本では、デカルトの知名度は大変大きいのですが、最近では話題の上ることはほとんどありません。そのため、古代ギリシャから近代にいたる科学ー数学思想が「デカルト革命」を画期として、新しい時代が開拓された“歴史”は、専門的な数学史研究者の間でしか流通していません。

 『資本論』の “価値方程式” は、ヘーゲル論理学「比例論」が土台となっています。そのヘーゲルは、デカルトの機械論自然学を敬遠 ー毛嫌いかも?- していますので、ヘーゲル学者の間でも「デカルト革命」を題材とした研究書は見当たりません。その影響もあって、 “価値方程式” がデカルト「普遍数学」の一翼を担っている科学思想の展開過程は、不明のまま残されています。
 今回の<コラム27>は、「比例と方程式」の科学思想の展開過程を明らかにする課題に応えたものです。

 「比例と方程式」の『精神指導の規則』は、「デカルト革命」誕生の扉を開く歴史上の一大イベントでした。


 デカルト翻訳者の野田又男(1910-2004)は、「発見の方法」で、次のように解説しています。
「そこで代数が分析であるということの意味は、・・・すなわち第一に、未知量を導入し、解答が与えられたものと仮定して出発するという手続き、簡単にいえば方程式をたてることそのことが分析なのである。・・・代数学に、分析の課題を与えるものは「自然」である。・・・幾何学に代数を応用することがただちに自然研究を分析的に行なうことを意味した。それゆえ「代数」を「分析」と名づける理由は、たんに数学の領域のみにあったのでなくてむしろそれが自然研究にはたらく数量的分析なる点に存する。つまり「代数」は自然研究の「方法」である。」

 また「デカルト革命」の著者の小林道夫さんは、
 「 与えられた問題を、求められる未知項を既知と仮定して、未知項と既知項のいずれも同等に扱い、未知項を既知項に還元する手法である。デカルトによれば、この方法で肝要なのは、問題の質料的側面に関わりなく、〔ー『資本論』では使用価値の質料的側面に関わりなくー〕「相等の関係」のみを念頭に置いて、未知を既知に帰着させるということである。」

 科学史研究者の佐々木力さんは、著書のなかで、
 「大きさのいくつかの関係を表現する比例は、既知の大きさと未知の大きさの両方をもった代数方程式に翻訳される。未知の大きさを得るために代数方程式を解くことだけが残す。」
 「 『精神指導の規則』は、解析的〔分析的〕歴史において決定的段階を画しているのである 」と述べています。  

 『資本論』の「価値方程式」は、「デカルト革命」の申し子で新たな1ページを開拓しました。
  『資本論』の「価値方程式」ー形成過程 
 「デカルト革命」と「価値方程式」の総論については、資本論入門9月号で、連載予定です。その前に、上記「 『資本論』の「価値方程式」ー形成過程 」参照してください

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  佐々木力著 『デカルトの数学思想』 
              東京大学出版会 2003年発行

  1. 『精神指導の規則』のテキストのいたるところで、デカルトは彼の方法のいくつかの規則を説明するために比例論から例を採っている。たとえば、彼の方法の主要な鍵であると考えられている第6規則は比例論を用いて解説されている。
     第6規則は述べる。 “ われわれはあるいくつかの真理を他の真理から直接的に演繹した系列の各々について何が最も単純であるかに注意せねばならない ” 。誰もが6という数が3の2倍であるという単純な真理を知っている、とデカルトは言う。
     しかし、6の2倍が何であるかのという問いを繰り返すことによって、最終的に、数3、6、12、24、48等々が連続比例をなすことに気づく。このようなすべてはほとんど児戯に類するほど明白である、と彼は言う。
  2. “ しかしながら ”、とデカルトは続ける。
     “ 注意深く反省すれば、事物の間の比例(proportiones)すなわち関係(habitudines)について提起されうるあらゆる問題がいかなる理由で内臓されているか、またこれらの問題がどんな順序で研究されねばならないかを 私は理解する。純粋数学という学問全体の要諦はただこの点にのみ含まれている ”、とデカルトはこの例で、3対6の比から始まる連続比例に習熟した後、両端の項が3と12である比例中項を見いだすような、一見すると入り組んでいるように見える問題に比較的容易に取り組めるようになると注意している。彼はさらに、両端の項が3と24である3つの比例中項を見いだす問題へと前進している。第6規則は、この問題は分解されるとより容易になると告げている。かくして彼は示唆している―まず3と48の間の比例中項を求める、すなわち、12。次いで、3と12の間の比例中項を求める。
     すなわち、6.それから12と48の間の別のを求める。すなわち、24.彼は「新しい比をこの比の分割によって得るためには、両端の項とその両端の2項の間にある比とに同時に注意しなければならない”

     と述べて、両端の間の単一の比例中項を発見する手順を与えている。
    この手続きは、代数的言語で、たとえば a:x=x:b と翻訳されうる、が、ここでデカルトはそうはしていない。
    比例論の言葉が代数的言語に簡単に翻訳可能であることは当時の常識であった。それで、かれが一般的方法のモデルとして、解析的方法、とりわけ代数解析を念頭に置いていたことは明白であるように思われる。
  3. 全体として、『精神指導の規則』の第1部で、デカルトは何よりもまず、あらゆる信頼可能な知識は数学と同レベルの確実性をもたなければならない、と主張する。ついで、数学的推論の本性を点検して、それを2つの成分、直観と演繹、に分解する。
    彼が重要であるとして尊重するのは、事物の真理を発見するための方法である。数学の領域で、これは、定理を見いだし、問題を解くための道具として用いられる解析の方法にほかならない。彼がはるかに一般的な形に再定式化しようと努力しているのは、本体は数学的な解析的方法なのである。・・・・
  4. 『精神指導の規則』 第13、14規則は、いったん問題を理解したなら、それを最も単純な部分へと分解し、直示的用語で再表現してやって、分析すべきであることを教えている。これらの規則でデカルトは、既知のことを基礎にして未知のことをいかにして探求するか論じているのである。彼はそれらを代数解析(algebraic analysis)との類比で考察していることも否定できない。
    このことは第2部の諸規則のあるもので目撃できる。第14規則の導入部で彼は次のように注意している。


      “ ある未知なものがそれ以前にすでに知られているものから演繹されるたびごとに、それだからといって存在の新しいある類が見いだされるわけではなく、求めるものが命題中に与えられているものの本性をあれこれの仕方で分有していることをわれわれが把握するように、この認識全体がただ単にこのものへと拡張されるにすぎない ”

     ここで彼は、いかにして既知のものが未知のものへと拡張されうるか問うている。
     彼は、この発見法的手順はさまざまな種類の比較によって実行できると答えている。

      “ 次のことが注意されなければならない。単純かつ明白な比較というのは、求めるものと与えられているものとが等しくある性質を分有している時にのみ言われているということ、それに反して、その他のすべての操作が準備を必要とする理由は、あの共通の性質が両者のうちに等しくあるものではなく、それが含まれているもろもろの関係もしくは比例におうじて両者のうちにあるからにほかならないということ、そして、人間の努力の主要な部分は、それら比例を求めるものと認識されているあるものとの間の相等性(æqualitas)が明晰に見てとられるように、還元することのうちに位置づけられるということである ”
  5. 未知のものを求めるには―とデカルトは言っている―求めるものと与えられているものの両方を含むある比例を確立すべきである。

    そして与えられた問題を表現する比例の項が大きさの言語で表現可能であるように、すべての基体から抽象されているという条件下で、これらの比例は方程式(æqualitas)の形に還元可能である。最後の点は、次のように強調され、再説される。“われわれは、どんなに込み入った比例をも、未知のものが既知のものに等しいことが見いだされるように還元することのみを欲しているのである”。
    ここでデカルトが比例ないし方程式の言葉で語っていることに注意が払われなければならない。
  6. 周知のように、代数解析の考えは近世ヨーロッパでは最初にフランソワ・ヴィエトによって、定式化された。ヴィエトの解析技法において、比例論は代数方程式、すなわち方程式論の言語で書き換えられうる。たとえば、幾何学的に定式化されているユークリッド『原論』 第6巻 命題16、17は、次の命題に変換させられる。

      「もしも3つないし4つの大きさがあり、第1が第2に対するように、第2ないし第3がもうひとつ別のに対するものとすれば、両端項の下にあるものは中項の下にあるものと等しいであろう。そして、比例は方程式の構成(constitutio)と呼ばれ、方程式は比例の分解(resolutio)と呼ばれる」

     こうしてヴィエトは一定の幾何学的条件の下にある比例関係を代数方程式に還元してやることができたのである。
  7. しばらくは、『精神指導の規則』執筆時のデカルトがヴィエトの著作を知っていたかどうかは論じない。しかし、彼が第2巻において彼の方法の主要な基礎と考えていたのは、確実に発見法としての代数解析である。既知のものと未知のものは通常込み入った方式で混在している。この方式は、まず比例論の言語で表現されるべきである。それから、大きさのいくつかの関係を表現する比例は、既知の大きさと未知の大きさの両方をもった代数方程式に翻訳される。未知の大きさを得るために代数方程式を解くことだけが残る。
  8. 1637年の『幾何学』において、解析的方法は “ 問題を解くのに役立つ方程式にどのようにして到達すべきか ” という欄外見出しをもったパラグラフで見事に再定式化されるであろう。そこで、解析的方法の対象は「線」として現われる。

      “ そこで、何らかの問題を解こうとする場合、まず、それがすでに解かれたものと見なし、未知の線もそれ以外の線も含めて、問題を作図するのに必要と思われるすべての線に名を与えるべきである。次に、これら既知の線と未知の線の間に何の区別も設けずに、それらがどのように相互に依存しているかを最も自然に示すような順序に従って難点を調べ上げて、ある同一の量を2つの仕方で表す手段を見いだすようにすべきである。この最後のものは方程式と呼ばれる。なぜならば、これら2つの仕方の一方の諸項は他方の諸項に等しいからである。そして、仮定した未知の線と同じだけ、このような方程式を見いだすべきである。 ”

     代数解析についての後年のこの記述では、比例論の言語は後景に退き、方程式の言語が前面に出ているわけである。『精神指導の規則』はこうして、解析的〔分析的〕方法の歴史において決定的段階を画しているのである。 

    ・・・・以上で、『デカルトの数学思想』 終わり・・・・