『資本論』の弁証法についてー(1)2023.03.08
BS文献資料/論点整理と解題
bs001-03
目次
『資本論』の弁証法について(1)
Ⅰ. レーニン 『哲学ノート』
Ⅱ. 資本論のヘーゲル哲学
Ⅲ. ヘーゲル弁証法「事始め」
Ⅰ. レーニン 『哲学ノート』 (1914~1915年頃の準備草稿)
序
1. 『資本論』を途中であきらめずに、読み進めてゆくための見通しはないだろうか。いろいろ検討した結果、レーニンの『哲学ノート』を基にするのが読みやすいとの結論に達しました。それは、ヘーゲル哲学と『資本論』の相互関連を特に強調した人が、レーニンだったのです。最近はレーニンの評判もいまいちとなり話題にも上りませんが、ひと昔、30年ほど前までは、『帝国主義論』や『国家と革命』など『資本論』と一緒によく読まれたようでした。
2. ヘーゲルは、1770年ドイツ南西部のシュトットガルトに生まれました。(1831年他界)フランス革命からナポレオン時代に、カント、ゲーテなどドイツを代表する知識人から強い影響を受けながら自らの学識の修練を重ねた哲学者でした。
3. レーニンは、亡命地のスイスで、ヘーゲル哲学を研究して詳細なノートを残しています。今回ご紹介する『哲学ノート』(岩波文庫)は、レーニンが『資本論』読者にヘーゲル弁証法を参照するようにノートに記しています。
では、 『哲学ノート』 に入りましょう (青字は『哲学ノート』本文)
1. アフォリズム〔格言風提言〕― ヘーゲルの『論理学』の全体をよく研究しなければ、マルクスの『資本論』、特にその第1章を理解することはできない。だから、マルクス主義者のうち誰も、 半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかったのだ!! p.155
2. マルクスは『論理学』にかんする著書をこそ書き残さなかったけれども、『資本論』という論理学を残した。 われわれはこれを与えられた問題にたいして特に利用すべきであろう。ヘーゲルのうちにあるすべての価値あるものをとり、そしてこの価値あるものをいっそう発展させた唯物論、このような唯物論の論理学、弁証法、および認識論(三つの言葉は必要でない。それらは同じものである)が、 『資本論』のうちで、一つの科学に適用されている。 下巻P.131
3. マルクスは『資本論』のうちでまず最初に、ブルジョア社会(商品生産社会)のもっとも単純な、もっとも一般的な、もっとも基本的な、もっとも大量的な、もっとも普通な、人々が何億回となくでくわす関係、すなわち商品交換を分析する。
分析は、このもっとも単純な現象のうちに(ブルジョア社会 のこの「細胞」のうちに)現代の社会のすべての矛盾(あるいはすべての矛盾の「萌芽」)をあばき だす。それにつづく叙述は、これらの矛盾およびこの社会の発展を(成長をも運動をも)、その個々の部分の総和において、初めから終わりまで、われわれに示す。下巻p.198
4. このような仕方がまた弁証法一般の叙述の(あるいは研究の)方法でもなければならない。 (なぜならマルクスにおいては、ブルジョア社会の弁証法は、弁証法の特殊な場合にすぎないからである)。 もっとも単純なもの、もっとも普通なもの、もっとも大量的なもの、等々から始めること、つまり、木の葉は緑である、イワンは人間である、ジューシカは犬である、というような任意の命題からはじめること。すでにここには(ヘーゲルが天才的に指摘したように)、個別的なものは普遍的なものである、 という弁証法がある。 ・・・下巻p.199
5. つまり、対立しあっているもの(個別的なものは一般的なものに対立している)は同一である。個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。一般的なものは、個別的なもののうちにのみ、個別的なものによってのみ存在する。
すべての個別的な物は(なんらかの仕方で)一般的なものである。すべての一般的なものは、個別的なもの(その一部分あるいは一側面あるいは本質)である。すべての一般的なものは、すべての個別的な事物をただ近似的にのみ包括するにすぎない。
すべての個別的なものは、完全には一般的なもののうちにはいらない、等々、等々。すべての個別的なものは、幾千もの移行によって他の種類の個別的なもの(物、現象、過程)とつながっている、等々。
すでにここに、自然の必然性、客観的連関、等々の要素、萌芽、概念がある。偶然的なものと必然的なもの、現象と本質がすでにここに存在する。なぜなら、われわれが、イワンは人間である、ジューチカは犬である、これは木の葉である、等々と言うとき、われわれは多くの特徴を偶然的なものとして棄て、本質的なものを現象的なものから分離し、一方を他方と対立させるからである。 p.199
6. このようにしてわれわれはどんな命題のうちにも、「細胞」のうちでそうであるように、弁証法のすべての要素の萌芽をあばきだすことができ(またそうしなければならない)、このようにして弁証法が人間のあらゆる認識一般に固有のものであることが示される。
そして自然科学はわれわれに、客観的な自然も同じ性質をもっていること、すなわち、個別的なものが一般的なものへ、偶然的なものが必然的なものへ転化すること、つまり対立しあっているものが移行しあい、転換しあい、つながりあっていることを示す(そしてこのこともまた任意の単純な実例のうちで示さなければならない)。
弁証法はまさに(ヘーゲルおよび)マルクス主義の認識論である。事柄のまさにこの「側面」(これは事柄の「側面」でなくて、事柄の本質である)に、ほかのマルクス主義者は言うまでもなく、プレハーノフは注意をはらわなかった。下巻 p.200
私たちは、HP冒頭「翻訳文化から自立へ」において、出版会社ごと翻訳者ごとにドイツ語『資本論』キーワードの日本語訳が違っていて、それに伴い当然理解の仕方や概念の相違が発生してくることを見てきました。100年前レーニンが指摘したような「半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった」 事態が、日本でも私たちの周辺で続いていると思われれます。)
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私たちは、HP冒頭「翻訳文化から自立へ」において、出版会社ごと翻訳者ごとにドイツ語『資本論』キーワードの日本語訳が違っていて、それに伴い当然理解の仕方や概念の相違が発生してくることを見てきました。100年前レーニンが指摘したような「半世紀もたつのに、マルクスを理解しなかった」 事態が、日本でも私たちの周辺で続いていると思われれます。
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Ⅱ. ヘーゲル論理学の継承
価値方程式と価値存在
個別的なものと一般的なもの
・・・ 等式と方程式の違い・・・・・・・・・・
「等式」の翻訳語は、『資本論』の論理学の破壊に!
ヘーゲル弁証法の難関の第一は、「 5.対立しあっているもの(個別的なものは一般的なものに対立している)は同一である。個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。一般的なものは、個別的なもののうちにのみ、個別的なものによってのみ存在する。」という論理構造の具体的な理解にあります。
ひとつ、『資本論』から関連個所を見てみましょう。細心の注意が求められ、解読すべき文脈となっています。価値形態論は第3節から始まるとして“解説本”が素通りしてゆく箇所です。第1節の第7段落目の「交換価値の背理・形容矛盾」の続きです。
『資本論』の方程式
>『資本論』の方程式 抄録はこちら
<価値方程式>・・・・「価値等式」は誤り・・・・
・・・『資本論』本文箇所は、①~⑤で表わし、「→、∴」は、報告者(私)の説明文・・・
① 一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。
→ 1クォーター小麦=x量靴墨、=y量絹、=z量金。
∴ 小麦は多様な交換価値をもつ。
② しかしながら、x量靴墨、同じくy量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。
→ x 量靴墨 = y 量絹 = z 量金
∴ 靴墨、絹、金は相互に等しいある「大きさの交換価値」を表示している。
③ したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物を言い表している。
∴ これらの交換価値は、一つの同一物、つまり〔ある“未知数”概念〕を表している。
④ だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の表現方式、
すなわち、その「現象形態」でありうるにすぎない。
→ 交換価値は、互いに異なる商品種が交換される時に、現象してくる。
∴ 交換価値は、A商品=B商品の左右の項(A,B商品種)とは違う
形式・形態としてしか現象しない。→ 貨幣形態・価格へ
⑤ さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、この関係はつねに一つの方程式〔Gleichung〕に表わすことができる。
そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。
→ 「例えば小麦と鉄」という場合、①のx量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々に表示されている諸商品種の中から代表して取り出されているのである。
∴ 「例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄」、
「例えば、1クォーター小麦=x量靴墨」
「例えば、y量絹、=z量金」 の具合に表示されることになる。
この「例えば、」は、結局「連立方程式」を表示しているのである。
この「連立方程式」は何を物語るか?
●<コラム.3>商品の価値表現と価値方程式の抄録 参照
〔ドイツ語では方程式:Gleichung、等式はGleichheit、英語では方程式・等式両方ともequation〕
→ 岩波・向坂訳、河出書房新社・長谷部訳以外は、この方程式:Gleichungを
「等式Gleichheit」と読み換えて、わざわざ日本語に誤訳・翻訳し、変更している。
ドイツ語辞書、事典類で調査・確認してみてください。日本の独日辞書類で「Gleichung」を「等式」と翻訳している出版社はありません。(主要出版社10社程度を調査完了)
このようにして、「改訳・改悪 」し『資本論』の「論理学」を破壊しているのである。
→ 「個別的なものは、一般的なものへ通じる連関のうちにのみ存在する。」(ヘーゲル)
∴ 個別的な1クォーター小麦と a ツェントネル鉄が「=」で連結されるのは、一般的なものへ通じる連関(この表示機能を方程式という)にたいしてである。
→
∴なお 「等式」が意味表示している事柄は、異種同士の「もの・概念」をつなぎ合わせ「連結」させる機能自体を表示する場合に使用する。
したがって、③の「一つの同一物〔数学上では、方程式の解法としての “未知数概念” を意味している〕を言い表している」機能を表示する場合には、「方程式」を使用し、「等式」は使用しない。
Ⅲ. ヘーゲル弁証法 「事始め」 クリック・参照して下さい。
文献資料 ヘーゲル哲学入門
『精神現象学』 成素と有機的なもの
>『資本論』のヘーゲル哲学入門.1>
>『資本論』のヘーゲル論理学入門.2>
> 『資本論』の方程式 抄録はこちら
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★価値方程式とは? “価値等式”は誤りです ●貨幣形態発生の証明について
●コラム3 商品の価値表現と価値方程式について
資本論用語事典2021 『資本論』の価値表現
★『資本論』の方程式 ー 「価値等式」は誤り ー
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