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内田 弘『資本論』の方程式 ー 抄録とコメント

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方程式 Gleichungの翻訳問題(2)

*資本論ワールド編集部の「内田弘『資本論』の方程式」抄録・コメントはこちら

 2020年
   内田 弘『資本論』の方程式   論文 専修大学名誉教授.
    Economic Bulletin of Senshu University Vol. 55, No. 1, 19-40, 2020


 Microsoft Bing: 検索ー『資本論』の方程式
 検索↓
https://senshu-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages...
   『資本論』冒頭の「方程式」の解法は、その方程式自体が消滅するまで探究される



 内田 弘 『資本論』の方程式
   ―マルクスおよびガロアの群論― 抄録

  資本論ワールド編集部
 2020年、専修大学 経済学紀要 「Economic Bulletin of Senshu University」に
 掲載された内田 弘名誉教授 『資本論』の方程式 を紹介します。
 なお内田教授により、「資本論ワールド」の方程式論が 注11)に注記されています。


Microsoft Bing
 専修大学 経済学紀要 Economic Bulletin of Senshu University


 〔◆第1部 『資本論』の方程式 抄録 〕
 〔◆第2部 抄録への資本論ワールド編集部の コメント(c1~c8)〕



 〔◆第1部 『資本論』の方程式 抄録 文頭〇数字は、編集部による挿入〕

  内田 弘 
 
『資本論』の方程式
     ―マルクスおよびガロアの群論― 抄録


① [価値形態は方程式である]  〔コメント1(c1と略記)〕

 『資本論』は冒頭第1章第3節に先んじて,早くもその第1節で,つぎの引用文に明示されているように,或る商品と他の商品との「価値形態=交換価値」を「方程式」として規定し,自らの基礎概念とする。

 「われわれは,さらに二つの商品,たとえば小麦と鉄の例をとってみる。それらの交換関係が如何なるものであろうとも,その関係はつねに,或る与えられた分量の小麦がどれだけかの分量の鉄に等置される一つの方程式(eine Gleichung),たとえば,1クォーターの小麦=a ツェントナーの鉄によって,表示されるものである。この方程式は何を意味するのか? 同じ大きさをもつ或る共通者(ein Gemeinsames von derselben Grösse)が,二つの相異なる物のうちに,すなわち1クォーターの小麦にも,a ツェントナーの鉄のうちにも,実存するということを意味する。だから,両者は絶対的に前者でも後者でもない或る第三者(ein Dritte)に等しい。だから両者はいずれも,それぞれが交換価値であるかぎりでは,この第三者に還元されうるc2ものでなければならない」[Das Kapital, Dietz Verlag, Berlin1962, S.51:長谷部文雄訳,青木文庫,第1分冊,1957年,116―117頁。ボールド体表示は引用者。以下,原典の頁のみ(S.51)

 商品は異質な他の商品との関係に存在する関係形態である。異質な商品が等しいのは,「或る第三者」で等しいからであるその関係は方程式である。方程式は,単なる等式ではなく未知数を含む等式である。その未知数の解が「第三者」=「価値」(S.52)である。価値は使用価値と対語の基軸概念である。その価値は,相異なる使用価値の等置関係=方程式から生成する。このように,『資本論』の端緒から,使用価値が価値の生成を媒介している。使用価値と価値は,並行関係にではなく,媒介関係に存立する。


② [『資本論』の主題=価値形態の提示]〔方程式Gleichungが生成するc3

 価値の生成過程をより立ち入ってみれば,つぎのようである。二つの相異なる私的財である使用価値(小麦・鉄)の所持者が「小麦と鉄の両者は或る側面で同じ存在である」と見なして両者を等置する行為(Gleichung)によって,その両者の間に「同じ大きさをもつ或る共通者」・「或る第三者」=「価値-商品価値」(S.52)を「解」とする方程式(Gleichung)が生成するc3〕。その生成する「価値」によって,使用価値としての小麦・鉄が商品に転態し,その両者の商品としての交換関係が根拠づけられる。


③ [集合・要素としての商品] 〔 Elementとしての商品c4

 『資本論』冒頭商品は,単独の商品ではない。交換関係に存立する「集合としての商品」であり,個々の商品はその「集合の要素」c4〕である。「集合かつ要素である商品」は,単独の存在ではなく,他の商品との交換関係態である。商品は交換関係=価値形態に存立し,したがって,「方程式」を編成する交換関係態である。その方程式の解である価値は,「相異なる使用価値の等置による使用価値の捨象から抽象された規定」である。商品に内在する価値は,逆に自己を抽象した使用価値に媒態にして,単なる財を商品に転態してゆく。


 [『要綱』の「価値形態=方程式」規定]

 「小麦=鉄」という『資本論』始めの上記の例は,相異なる二つの使用価値が等置される形態でもって単純な価値形態を提示する。この種の実例は,『経済学批判要綱』「貨幣に関する章」(MEGA, IV/1―1, S.74)が最初である。その例は「1エレの棉花と1マースの油」である。そこで,相異なる使用価値「棉花と油」を等置できるのは,両者が「或る第三者」に通約される可能性(commensurability, συμμετρς)があるからである。その点で上の『資本論』の例「小麦=鉄」と同型でありその原型である〔c5〕。
さらに『要綱』「貨幣章」では,つぎのように,用語「方程式(Gleichung)」が使用され,価値形態=交換価値が分析されている。


 [方程式の解=価値 c6

 先にみたように,『資本論』は,冒頭第1部第1章第1節から,単純な商品交換関係を,「等式(Gleichheit)」でなくて,財の私的所持者が,相異なる使用価値を同一視して「等置する行為(Gleichung)」がもたらす結果を「方程式(Gleichung)」と規定する。方程式は当然,未知数を含む。ここでの未知数を「同じ大きさをもつ或る共通者(ein Gemeinsames von derselben Grösse)」・「或る第三者(ein Dritte)」という

 この「第三者」は,「抽象的人間労働」〔編集部:編集部では、この「抽象的人間労働」を「抽象的に人間労働」と理解している〕を実体とする「価値―商品価値」(S.52)である。商品の交換関係は,相異なる「具体的有用労働」が措定する使用価値をもつ商品の交換比率で示される。使用価値タームによる交換価値の表示の背後には,その使用価値を現象形態とする「第三者=価値」が実存する〔c6〕。使用価値による交換価値の表示=交換価値は,価値の現象形態である。
 (中略)



⑥ [2]『資本論』の基軸概念「方程式」は正確に訳されてきたか

 [方程式看過による『資本論』誤解]

  それでは,『資本論』の体系展開の基軸概念「Gleichung(方程式)」は,『資本論』の原著(Das Kapital)の編集者に正確に認識されていたであろうか。実は,そうではない。『資本論』第1部の Dietz 版の事項索引(935頁右欄)には,Gleichheit(等式,同等性)はあるけれども,『資本論』の主題を規定する概念として当然あるべき当該語 Gleichung(方程式,等置行為)がない
 Sachregister Marx/Engels Werke, Pahl-Rugenstein, 1983, S.371にも, Gleichheit(等式,同等性)はあるけれども,Gleichung(方程式,等置行為)はない。事項索引に用語「方程式」が一貫して欠如していることは,その編者たちは『資本論』が「方程式」を基軸概念とする著作であることを全く理解していない証左である。先に指摘したように,『経済学批判要綱』=『資本論草稿集』「貨幣に関する章」でも使用されている基軸概念「方程式」も,その事項索引で「方程式」としてはむろん,「等式」としてさえも,拾われていない。このように,旧東ドイツのマルクス経済学批判における基軸概念「方程式」の無視・無理解は一貫している。

 注10)のちにみるように,『資本論』の「価値形態=方程式」は,その解がつぎの問いとなるような重層的な体系展開の原理である。したがって,その原理を知らない,この種の経済学こそが,あのブロック並びの諸概念として『資本論』を誤解する典拠である。『資本論』のこのような通念的理解=誤解を批判的に自覚することから,『資本論』理解は再出発するのではなかろうか。


⑦ [「方程式」を「等式」と誤訳する翻訳の跋扈]

 では,従来の日本語への翻訳では,Gleichung は正確に理解され・正確に「方程式」と訳されてきたであろうか。遺憾ながら,そうとは限らないのが実情である。注11)そこでつぎに,『資本論』商品論・貨幣論における当該語「方程式(Gleichung)」あるいは「価値方程式(Wertgleichung)」のこれまでの各種の日本語訳のページ数を下記の算用数字[18,51などの]表記の頁で列挙する。Gleichung あるいは Wertgleichung は各々の原典および翻訳で20個所に出てくる。下記の(2),あるいは(3)は2個所,あるいは3個所出てくるとの略記である。

 Das Kapital(Dietz Verlag, Berlin,1962):
     18,51(2),63(2),64,67,68(2),70(2),78,79(3),
       80,81,82(2),110(2)[20]

 [1]長谷部訳1957年青木文庫(第1分冊)「方程式」
      75,116(2),135(2),136,142,144,146,159,160(3),
      162,164, 165,166(2),206(2).[20]12)

 [2]向坂訳1969年岩波文庫(第1分冊)「方程式」
      19,71(2),91(2),92,93,99,101,104,117,118(3),
      120,123, 124(2),169(2).[20]

 [3]岡崎訳1972年国民文庫(第1分冊)「等式」
      28,75(2),95,96,97,103,104,107,121,122(3),
      124,126, 128(3),172(2).[20]

 [4]平井訳1982年新日本出版社(第1分冊)「等式」
      15,63(2),83,84,85,91,93,96,109,110(3),
      112,114,116(3),161(2).[20]

 [5]中山訳2011年日経 BP 社(第1分冊)「等式」
      393,30(2),63,64,65,73,74,78,94,95,96(2),
      98,102,104(3),184(2).[20]13

    ー以下、省略ー

   ==============

 〔 資本論ワールド編集部:内田 弘教授による注10), 注11), 注12),を挿入
          *注11)「『資本論』ワールド」を注記。
 注10)
 ただし,本稿筆者が,1986~87年の欧州留学のさい,事前にモスクワ
 および東ベルリンのマルクス=レーニン主義研究所に送った,『経済学批判要綱』
 「貨幣に関する章」と「資本に関する章」の区分個所が誤っていると指摘した論文に
 対して,東ベルリンの当該研究所の関係者は,「我々のその編集には問題がある」と
 非公式に認めた。

 注11)
 ネット上の「『資本論』ワールド」がこの基軸概念 Gleichung の訳語問題を
 正確に論じていることが,注目される。

 注12)
 長谷部文雄は『資本論』初版の翻訳でも,Gleichung を正確に「方程式」と
 訳している。『資本論初版鈔』岩波文庫,1936年,24頁などを参照

  ==============




⑧ [長谷部訳・向坂訳の正訳を無視・否定する誤訳の流布]
 
 上記のように,最初の長谷部訳(1957年)とそれに続く向坂訳(1969年)は Gleichung を正確に「方程式」と訳しているにもかかわらず,それ以後の訳はすべて「等式」と誤訳している。誤訳の連続である。しかも,《価値形態は方程式である》と規定されていることは,上記の用語「方程式」(S.63)が価値形態「20エルレのリンネル=1着の上着」を指していることで,明確である。この用語「方程式」の翻訳史では,最初にもし誤りがあればそれを訂正してゆくという正常な順序とは,まさに逆の順序となっている。


⑨ [『資本論』第2版への後書の Gleichung の訳 c7

  基軸概念「方程式」は『資本論』「第2版への後書」にもつぎのように出てくる。
「本文そのものについていえば,最も重要なのはつぎの点である。第1章第1節では,あらゆる交換価値が自己を表現する諸方程式を解析することによって(durch Analyse der Gleichungen),価値を導き出すことが[初版よりも]科学的により厳密に行われている」(S.18)。14)上の引用文で,価値形態の本格的な議論は,第1章第3節から始まるけれども,それに先んじて,『資本論』冒頭第1章第1節で,『資本論』の主題としての「価値形態=方程式」が提示されていることをマルクス自身が重視し指摘している。価値形態という方程式を解くと,その解である価値が析出する。このことを,マルクスは後書で「価値の導出」という。本稿が『資本論』の基礎概念「価値形態=方程式」が最初に第1章の冒頭の第1節に出てくることに注目したのは,まさに,この「第2版への後書〔c7〕」による。

⑩ [長谷部訳だけが正確 〔?(c8)〕

 先に「方程式」が本文の価値論でどう訳されているかをみた。では,上記の各々の訳は,「第2版への後書」における「Gleichungen(諸方程式)」をどう訳したのであろうか。それをつぎに掲示する。

 長谷部訳「諸方程式」,向坂訳「諸等式〔?〕」,岡崎訳「諸等式」,平井訳「諸等式」,中山訳「等式」(「諸」なし),平井訳(新版)「諸等式」。
 長谷部訳以外はすべて,「第2版への後書」の Gleichungen を「諸等式」あるいは「等式」と誤訳している。当該単語 Gleichung をすべて正確に訳しているのは,長谷部訳だけである。向坂訳では『資本論』本文における Gleichung は「方程式」と正確に訳されているけれども,遺憾なことに,第2版後書の Gleichungen は「諸等式」と誤訳している〔?(c8)〕。
  ー以下、省略ー



  ・・・準備中です・・・・・

 〔第2部 抄録への資本論ワールド編集部の コメントc1c8)〕

 資本論ワールド編集部のコメント
 Ⅰ Gleichung =「方程式」の文献資料
  「 方程式 Gleichung 」集計一覧は、こちらを検索してください。(hm001-10)

 Ⅱ 編集部のコメント

 c1 

 c2 

 c3 

 c4 

 c5 

 c6 

 c7 

 c8 



 ★★◆◆
 ★★◆◆


再録ー『資本論』翻訳問題 2023.05.01
方程式Gleichungの独和辞書
→『資本論』第1章第1節
→ D.『資本論』第1章

 ★論点を整理中ですー2023.05.28

 ドイツ語 Gleichung 和訳ー方程式 について

   誤訳の始まりは、Gleichung-方程式から


   ー常識的な翻訳語「方程式」が、なぜ通用しない?
   ー『資本論』の日本語に科学は必要ない?
   ーマルクス学の”権威主義”ー臆病な翻訳家と”自発的服従”たち
   

Ⅰ 論点1
   Gleichung グイヒュング ー常識的な翻訳語「方程式」が、なぜ通用しない?

  ■Gleichungー主な独和辞書・辞典 訳は全て「方程式」。
         他の訳語に、平等(同等)化, 均等化 など。
  ■方程式ー主な「和独辞書」の 訳は全て「Gleichung」
  ■用例
     ー 価値方程式 「Wertgleichung」(↓『資本論』本文から検索方法)
        ①「価値方程式」を検索 (「Ctrl+F」で価値方程式を検索)
        ②「Wertgleichung」(「Ctrl+F」でWertgleichung を検索)
     ー 化学方程式「 chemische Gleichung 」(独和辞書より)
     ー 一次方程式「 einfache Gleichung 」 (独和辞書より)

  ■参照辞書・辞典類―― すべて「Gleichung:方程式」
 1. クラウン独和辞典 新田春夫編   三省堂1991年初版 
 2. 独和大辞典    国松孝二他編  小学館1985年初版
 3. 大独和辞典    相良守峯編   博友社1958年初版
 4. 独和辞典     小牧健夫他著  岩波書店1958年初版
 5. 独英和活用大辞典 河辺実編著   廣川書店1983年初版


Ⅱ 論点2
     主な『資本論』の翻訳書.
     岡崎次郎訳ー1970年代から誤訳「等式」時代が始まる

  ■『資本論』第2版 Gleichungの戦後翻訳史ー和訳本 *方程式と等式
 1. 青木書店(青木文庫)長谷部文雄訳1957年     *方程式
 2. 岩波書店 向坂逸郎訳1967年           *方程式
 3. 河出書房新社 長谷部文雄訳1969年        *方程式
 4. 大月書店 岡崎次郎訳1973年           *等式
 5. 中央公論社 鈴木鴻一郎ほか1973年        *等式
 6. 新日本出版社 翻訳委員会1982年         *等式
 7. 筑摩書房 今村仁司ほか2005年          *等式
 8. 日経BP社 中山元訳2011年             *等式
 9. 新日本出版社 日本共産党社会科学研究所訳2019年 *等式

  ■『資本論』初版 
 1. 『対訳初版資本論第1章』牧野紀之訳 鶏鳴出版1974年発行 *等式
     牧野訳に”Gleichungー等式”の解説があり、
      日本語訳として、最初の貴重な歴史的”証言”
 2. 大月書店 岡崎次郎訳1976年           *等式

 
Ⅲ 論点3 「方程式と等式の差異」

  ■数学用語:代数式、方程式、等式の語義
 1. 代数式
 【精選版日本国語大辞典】「代数式」の意味・読み・例文・類語。
〘名〙有限個の数と文字を、+ - × ÷ n√ の五種の記号によって結合して得られる式。

 2. 方程式
   【広辞苑
〔数〕(英語equation)未知数を含み、その未知数に特定の数値を与えた時にだけ成立する等式。この特定の値を方程式の解といい、これを求めることを方程式を解くという。未知数の代りに未知関数を含む場合には関数方程式という。

   【デジタル大辞泉-小学館
 1 未知数を含み、その未知数が特定の値をとるときだけに成立する等式。この特定の値を解または根という。

  *参考資料:「等式」用語は、近現代数学史の”現代用語”です。
 1.『数学用語と記号 ものがたり』片野善一郎著 裳華房 発行2003年
     「まえがき」より
    方程式の未知数にはx を多く使いますが、どうしてなのでしょうか.
    多分,数学の先生でもわからない人が多いと思います。・・・数学用語や記号の由来    を尋ねることは文化としての数学を理解する第一歩なのです.・・・

 2.【天才数学者はこう解いた、こう生きた 方程式四千年の歴史】(講談社学術文庫)
    方程式ー歴史専門書 *「等式」とは別の源流を訪ねてー


 3. 等式
    【広辞苑
 〔数〕二つの式または数を等号を以て結びつけたもの。恒等式と方程式の別がある。
  例えば、(a+b)2=a2+2ab+b2(恒等式)、3x+2=7(方程式)。

 【デジタル大辞泉-小学館】 「等式」の意味・読み・例文・類語
  二つの式または数を等号〔=〕で結んだもの。〔単純に「=」で表示する〕

 【ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
       「等式」の意味・わかりやすい解説 equation; equality
 二つの数または式,あるいは数学的対象a,b があるとき,これらが等しいことを示すために記号=(等号という)が用いられる。すなわちa=b はa とb が等しいということを示している。この等しいという関係には,
 (1) a=a (反射律)
 (2) a=b ならば b=a (対称律)
 (3) a=b かつ b=c ならば a=c (推移律)
 という性質がある。等式とは,数や式が等号で結ばれている数学的表現のことである
 等式には,恒等式と方程式がある。
 恒等式は,(a-b)2=a2-2ab+b2 のようなもので文字に値を代入することと無関係に,式の変形規則に従って証明される等式である。
 方程式は,3x-5=0 のような式で,文字がある特定の値をとるときに限って成り立つような等式である。

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ■■『資本論』の主な翻訳者 <ウィキペディアより>

 1. 長谷部 文雄(はせべ ふみお、1897年(明治30年)6月29日 - 1979年(昭和54年)6月13日)は、日本の経済学者。 愛媛県出身。京都帝国大学経済学部卒。同志社大学教授、立命館大学教授、龍谷大学教授、77年退職。マルクス主義経済学文献の翻訳を行い「資本論」を完訳した。〔20世紀日本人名事典 「長谷部 文雄」の解説:京大で河上肇の教えを受けマルクス主義者となった。「資本論」の翻訳に専念、・・・25年に全3巻を完訳。精確な翻訳が読者をふやし、・・・その後も訳文を改善、平易化して3種の改訳版を刊行、マルクス経済学の普及に貢献した。〕

 2. 向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年(明治30年)2月6日 - 1985年(昭和60年)1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。〔『マルクス経済学の方法』ー労農派マルクス主義の理論的実践的指導者,左派社会党のブレーン / ブリタニカ百科事典より〕

 3. 岡崎 次郎 (おかざき じろう、男性、1904年(明治37年)6月29日 - 1984年(昭和59年)?)は日本のマルクス経済学者、翻訳家。マルクスの大著『資本論』の翻訳で知られる。〔九州大学,法政大学教授を歴任.マルクス・エンゲルス全集『マルクスに凭れて60年 自嘲生涯記』に向坂逸郎との因縁が詳しいー書きかけの項目.
『資本論』翻訳-初版.第2版

 4. 鈴木 鴻一郎 (すずき こういちろう、1910年(明治43年)5月23日 - 1983年(昭和58年)4月22日)は、日本の経済学者。東京大学名誉教授、元金沢経済大学・帝京大学教授。専攻はマルクス経済学の経済理論。宇野弘蔵の後継者。彼が宇野から継承した宇野経済学は伊藤誠によって引き継がれることになる。山口県山口町出身。〔鈴木による解説ー「『資本論』とはどういう書物か」〕

 5. 今村 仁司(いまむら ひとし、1942年2月26日 - 2007年5月5日)は、日本の哲学者。専門は社会思想史・社会哲学。主に1980年代以降、多数の翻訳や著作によって、フランス現代思想を中心に現代思想の諸潮流を日本に紹介した。著書に『暴力のオントロギー』(1982年)、『現代思想の系譜学』(1986年)、『社会性の哲学』(2007年)などがある。〔『資本論』翻訳 筑摩書房2005年発行

 6. 中山 元(なかやま げん、1949年2月15日[1] - )は、日本の哲学者・翻訳家。
東京都生まれ。東京大学教養学部教養学科中退。インターネットの哲学サイト「ポリロゴス」を主宰。多くの哲学書を翻訳している.
 〔『資本論』翻訳 日経BP発行「第6篇労働賃金」抄録

 7. 牧野 紀之(まきの のりゆき、1939年 - )は、日本の哲学者・ドイツ語学者。
1939年、東京都生まれ。1963年、東京大学文学部哲学科を卒業。旧・東京都立大学大学院へ進み、1970年に卒業。東京都立大学での指導教官は寺沢恒信であった。同期に許萬元がいる。60年安保闘争の中で直面した問題と取り組み、ヘーゲル哲学を介して考える中で、生活を哲学する方法を模索した。(ウィキペディア:この記事には複数の問題があります。項目・書きかけ)〔牧野『対訳初版資本論第1章』ー参照
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


方程式Gleichungの独和辞書2022.12.20
hm001-08

 資本論ワールド 編集部

Ⅱ 論点2-1
      主な『資本論』の翻訳書.
      岡崎訳ー1970年代から誤訳「等式」時代が始まる

 ■『資本論』の翻訳「Gleichung」の主な特徴

 1. 『資本論』初版,第二版の翻訳(上記翻訳本)で、「Gleichung」に関して注記しているのは、牧野紀之訳だけである
 なお、随所に細かい独自の注記を行なっている「新日本出版社・日本共産党訳」ー2019年発行ーでも、「等式」と翻訳し、「Gleichung」に、注記がなされていない。



 2. 『対訳初版資本論第1章』 牧野紀之訳 鶏鳴出版発行1974年

 〔牧野紀之訳(牧野1)p.9ー11〕
 「交換価値は、さしあたっては、量的な関係 quantitative Verhältnis 〔注1として、すなわち、ある種の使用価値が他の種の使用価値と交換される割合 Proportion注2として、時間と場所によって始終変化しているある比率 Verhältnis として現われている。したがって、交換価値というものは、なにか偶然的で純粋に相対的なものであるかのように見えるし、かくして、商品の中にあり、商品に内在している交換価値(内在価値)などというものは、まったくの形容矛盾に見えるのである。事態をもう少しくわしく考察してみよう。」

 〔注1〕量的な関係 quantitative Verhältnis:ヘーゲル『大論理学』では、「量的比例」と翻訳されている。(『大論理学』岩波書店(上-+2)p.2)
 〔注2〕割合 Proportion:独和辞典では、①割合のほかに、比率、釣り合い、均衡 ②〖数〗比例〖ラテン語〗とあり、数学用語としては「比例」となる。
 
 〔(牧野2)〕
 「ある1個の商品、例えば1クォーターの小麦は、他のいろいろな商品と実にさまざまな割合で交換されている。それにもかかわらず、その小麦の交換価値は、それがx量の靴墨も表現されようと、y量の生糸に表現されようと、またx量の金に表現されようと、不変のままにとどまっているのである。かくしてその[小麦の]交換価値は、その交換価値を表現するこれらのさまざまな様式から区別されうるものであるにちがいない。」

 〔(牧野3)改行と文頭〇数字は編集部による〕

 「さらに、小麦と鉄という2つの商品をとりあげてみよう。両商品の交換比率がどうであろうと、その比率はつねに、ある与えられた量の小麦がなんらかの量の鉄に等しいという等式(15)Gleichung で表わすことができる。たとえば、1クォーターの小麦=a トンの鉄といった具合である。 この等式Gleichung は何を意味しているか。それは、同一の価値が2つの異なった物のなかに、つまり1クォーターの小麦のなかと同様に a トンの鉄のなかにも実在しているということ、これである。」

「① さらに、小麦と鉄という2つの商品をとりあげてみよう。
 ② 両商品の交換比率がどうであろうと、その比率はつねに、ある与えられた量の小麦   がなんらかの量の鉄に等しいという等式(15)Gleichung で表わすことができる
 ③ たとえば、1クォーターの小麦=a トンの鉄といった具合である。
 ④ この等式Gleichung は何を意味しているか
 ⑤ それは、同一の価値が2つの異なった物のなかに、つまり1クォーターの小麦のなか  と同様に a トンの鉄のなかにも実在しているということ、これである。」

 〔注3〕等式 Gleichung :ドイツ語「Gleichung」に対して、牧野訳者は本文の注記を以下のように行なっている。
 「 注(15)Gleichung は方程式であり、Gleichheit が等式であるが、ここに出ている式は方程式ではなく、等式だから、等式と訳した。(p.169)」

 牧野によれば、『資本論』の「ここに出ている式」(p.11)では、
 「さらに、小麦と鉄という2つの商品をとりあげてみよう。両商品の交換比率がどうであろうと、その比率はつねに、ある与えられた量の小麦がなんらかの量の鉄に等しい、という等式(15)で表わすことができる。たとえば、1クォーターの小麦=a トンの鉄といった具合である。この等式は何を意味しているか。」とあり、「1クォーターの小麦=a トンの鉄」を「等式」と解釈すべきである、と断定している。

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  参考資料ー『資本論』の当該ドイツ語原本
(牧野3のドイツ語原本ー文頭〇数字と下線は資本論ワールド編集部による)
「①Nehmen wir ferner zwei Waaren, z. B. Weizen und Eisen.
 ② Welches immer ihr Austauschverhältniss, es ist stets darstellbar in einer Gleichung,worin ein     
  gegebenes Quantum Weizen irgend einem Quantum Eisen gleich-gesetzt wird,
 ③z. B. 1 Quarter Weizen = a Ztr. Eisen.
 ④Was besagt diese Gleichung?  
 ⑤Dass derselbe Werth in zwei verschiednen Dingen, in 1 Qrtr. Weizen und ebenfalls in a Ztr. Eisen     existirt.」 〔D.『資本論』初版01

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 ◆資本論ワールドでは、この牧野紀之訳『対訳初版資本論第1章』で指摘された 
注(15)Gleichung は方程式であり、Gleichheit が等式であるが、ここに出ている式は方程式ではなく、等式だから、等式と訳した。(p.169)」について、以下のコメントを行なっています。
 ◆DSK「方程式例えば小麦と鉄をとろう」の論点2023.06.01



Ⅱ 論点2-2

 3.『資本論』第1巻初版 岡崎次郎訳 大月書店1976年初版

 〔(岡崎訳1)(岡崎1)p.22ー23〕
 「交換価値は、まず第一に、ある一つの種類の諸使用価値が他の種類の諸使用価値と交換される量的な関係 das quantitative Verhältniss、すなわち割合Proportionとして現われるのであって、それは、時と所とにょって絶えず変動する関係である。それだから、交換価値は、ある偶然的なもので純粋に相対的なものであるように見え、したがって、商品に内的な、内在的な交換価値というものは、一つの形容矛盾であるように見えるのである。このことをもっと詳しく考察してみょう。」

 〔(岡崎訳2)〕
 「ある一つの商品、たとえば1クォターの小麦は、きわめてさまざまに違っている割合で他の諸物品と交換される。それにもかかわらず、この小麦の交換価値は、x量の靴墨で表現されようと、y量の絹とかz量の金などで表現されようと、不変のままである。だから、この交換価値は、それのこのようないろいろな表現様式からは区別されうるものでなければならないのである。」

 〔(岡崎訳3)改行と文頭〇数字は編集部による〕
「① さらに、二つの商品、たとえば小麦と鉄とをとってみよう。
 ② それらの交換関係がどうであろうと、この関係は、つねに、ある与えられた量の小  麦がどれだけかの量の鉄に等置される、という一つの等式 で表わすことができる
 ③ たとえば、1クォーターの小麦=a ツェントネナーの鉄というように。
 ④ この等式はなにを意味しているであろうか? 
 ⑤ 同じ価値が二つの違った物のなかに、すなわち1クォーターの小麦のなかにも
   aツェントナーの鉄のなかにも、存在している、ということである。」



 Ⅱ 論点2-3
          『資本論』第2版 向坂ー岡崎 翻訳/誤訳のキーワード
 
 資本論ワールド編集部 論点整理

  『資本論』第1巻第2版 向坂逸郎ー岡崎次郎訳

           方程式と等式
 

 ① 向坂訳 方程式
 「さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに〔*注1一つの 方程式Gleichung に表わすことができる。 〔*注2そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。

 〔*注3この方程式は何を物語るか?
 二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、〔*注4①同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、〔注4②〕両つのものは一つの第三のものに等しい。〔注4③〕この第三のものは、また、それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。〔注4⑤〕両者のおのおのは、交換価値である限り、こうして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。」(岩波文庫p.71)


  ② 岡崎訳 等式
 「さらに、二つの商品、たとえば小麦と鉄とをとってみょう。それらの交換関係がどうであろうと、この関係は、つねに、〔*注5与えられた量の小麦がどれだけかの量の鉄に等置されるという一つの等式で表わすことができる。たとえば 1クォーターの小麦= aツェントナーの鉄 というように。
 〔*注6この等式はなにを意味しているのか? 
 〔*注7〕同じ大きさの一つの共通物が、二つの違った物のうちに、すなわち1クォーターの小麦のなかにもaツェントナーの鉄のなかにも、存在するということである。だから、両方とも或る一つの第三のものに等しいのであるが、この第三のものは、それ自体としては、その一方でもなければ他方でもないのである。だから、それらのうちのどちらも、それが交換価値であるかぎり、この第三のものに還元できるものでなければならないのである。」
 (大月書店国民文庫p.75)


 ③ 内田 弘『資本論』の方程式 論文 専修大学名誉教授.
   Economic Bulletin of Senshu University Vol. 55, No. 1, 19-40, 2020
   *資本論ワールド編集部の「方程式」要約・コメントはこちら

 
 ④ 『資本論』第2版「方程式」ドイツ語当該原本
 「さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの 方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。」
 「この方程式は何を物語るか?
 二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値である限り、こうして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。」
 「 Nehmen wir ferner zwei Waren, z.B. Weizen und Eisen. Welches immer ihr Austauschverhältnis, es ist stets darstellbar in einer Gleichung, worin ein gegebenes Quantum Weizen irgendeinem Quantum Eisen gleichgesetzt wird, z.B. 1 Quarter Weizen = a Ztr. Eisen. 」
 「
Was besagt diese Gleichung? daß ein Gemeinsames von derselben Größe in zwei verschiednen Dingen existiert, in 1 Quarter Weizen und ebenfalls in a Ztr. Eisen. Beide sind also gleich einem Dritten, das an und für sich weder das eine noch das andere ist. Jedes der beiden, soweit es Tauschwert, muß also auf dies Dritte reduzierbar sein.」 → D.『資本論』第1章