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向坂-岡崎 翻訳/誤訳のキーワード

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C 岡崎次郎訳『資本論』の誤訳と論点 (1)

                                 2023.05.15

 ■資本論ワールド 編集部
   「向坂と岡崎の翻訳哲学の差異
(2)」では、
   
C 岡崎次郎訳『資本論』の誤訳と論点(1)に焦点をしぼってゆきます。
 

 向坂逸郎と岡崎次郎の『資本論』翻訳哲学の差異
 
  
資本論ワールド 序論
   0. はじめに
 ー翻訳語が歪む世界ー
       
垂水雄二の「科学用語の由来と誤訳」 
  
 1.『資本論』の科学史の人々
      *ダーウィンとマルクスー種の起原とマニュファクチャー生産有機体
          〇ダーウィンの生態学について 奥野良之助『生態学入門』
          〇自然淘汰ー自然選択 ~教科書の”悪弊”~
      *アリストテレスと『資本論』の価値概念の端緒
          〇
アリストテレスー 価値概念の端緒
          〇アリストテレスの比例論ー『ニコマコス倫理学』
      *ド・ブロスとマルクス物神性ーフェティシズム
          
誤解された「フェティシズム」ー語源の発掘
          ▼ド・ブロスとフェティシズムー『資本論』と宗教学

   2.『資本論』の翻訳問題ー2023.05.20
       *柳父 章『翻訳語成立事情』と『資本論』の翻訳事情
           西洋語の日本語への変換について
   3.『資本論』と『経済学批判』について
       *『資本論』に引き継がれた『経済学批判』の要点
       *『経済学批判』の商品物神性について

 
第1部 岡崎次郎訳『資本論』の誤訳と論点(1)
  第1章 向坂訳:方程式・Gleichungと岡崎訳「等式」の翻訳差異
     第1節 方程式・Gleichung グライヒュング:「等式」誤訳・誤読の根源
     第2節 価値方程式:誤読”等式”による翻訳内容の逸脱と曲解
         方程式の系列ー『経済学批判』の連立方程式
  第2章 誤訳”等式”の原因とその背景ー牧野紀之『資本論』”等式”の解説

 
第2部 誤訳『資本論』と『資本論』の改作
  第1章 誤訳と誤読”解説”ー『資本論』の改作
     第1節 誤訳の源流ー交換価値の「大いさ」と「大きさ」
     第2節 岡崎訳『資本論』の誤訳と論点(2)
  第2章 誤読のルーツ:ベーム・バヴェルクの「マルクス蒸留法」批判
     第1節 マルクスの「蒸留法」
     第2節 翻訳語「抽象的人間労働」の誤訳
  第3 宇野弘藏による誤読と『資本論』の改作
     第1節 宇野理論の”蒸留法”解説
     第2節 『資本論』の改作

 
第3部 『資本論』の方程式と価値方程式
  第1章 『資本論』ー方程式の正常化の現在地
     第1節 向坂逸郎訳「方程式」の端緒『マルクス経済学の方法』
  第2章 『資本論』の方程式ー事例研究 内田 弘 2020年
  第3章 『資本論』価値形態論と”価値”方程式の解法

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『資本論』経済学批判 第1章 商品 
   第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)
 ◆『資本論』翻訳対比の略号
    
向坂逸郎訳『資本論』岩波書店 略号 「S
    
岡崎次郎訳『資本論』大月書店 略号 「O


   向坂ー岡崎 翻訳/誤訳のキーワード

 『資本論』第1章 商品 
  第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)

 ■
C 岡崎次郎訳『資本論』の誤訳と論点(1)

       
向坂訳            岡崎訳
 1-1  ①「S成素形態   ー    「O基本形態
 1-6  ③「S方程式    ―    「O等式
 1-20  ⑦「S抽象的に人間的な労働 ― 「O抽象的人間労働


 ・・・・・・・・・・・・・・参考資料・・・・・・・・・・・・・・
  A 翻訳差異
 1-1  ①成素形態ー基本形態
 1-4  ②背理ー形容矛盾
 1-6  ③方程式ー等式
 1-12  ④抽象的に人間的な労働ー抽象的人間労働
 1-13  ⑤妖怪のようなーまぼろしのような対象性
 1-14  ⑥膠状物ー凝固物
 1-20  ⑦抽象的に人間的な労働ー抽象的人間労働

  B 翻訳問題
 1-3  ⑧量的な関係、比率と割合
 1-8  ⑨整約ー還元
 1-11  ⑩商品体の使用価値を無視ー商品体の使用価値を問題にしない
      ⑪すでに手中で変化ー気がつかないうちに変えられて
 1-13  ⑫商品の交換関係ー労働生産物の使用価値からの抽象ー捨象
 1-21  ⑬価値の実体の労働:等一の人間労働ー同じ人間労働
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  向坂・岡崎の下記翻訳文章と詳細解説を並べて見ることができます。
  
 
 (2)検索キーワードの説明・内容AとBはこちら
 
1-1. 成素形態ー基本形態 ElementーElementarform
1-6. 交換関係:一つの方程式等式 Gleichung
 小麦量は..鉄に等値される. 例えば1クォーター小麦=aツェントネル鉄
  
1-20.このようにして、一つの使用価値または財貨が価値をもつのは、ひとえに、その中に抽象的に人間的な労働が対象化または物質化されているから。
  ■岡崎訳 抽象的人間労働
 




 
翻訳文 対比一覧    詳細説明はこちら(作業中ー2023.05.15)
   『資本論』経済学批判 
   第1巻 資本の生産過程 第1編 商品と貨幣 第1章 商品 
   第1節 商品の2要素 使用価値と価値(価値実体、価値の大いさ)

 1-1. 成素形態ー基本形態
  向坂訳
S1-1 資本主義的生産様式〔 kapitalistische Produktionsweise:資本制生産の方法〕の支配的である社会の富は、「 巨大なる商品集積〔”ungeheure Warensammlung":そら恐ろしい商品の集まり・集合 〕(原注1)」として現われ、個々のeinzelne 商品はこの富の 成素形態 〔Elementarform:元素形式〕 として現われる erscheint。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。

 1-1. 成素形態ー基本形態
 岡崎訳
O1) 資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本形態 として現われる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。



 1-2. 使用価値は交換価値の素材的な担い手

S1-4  一つの物の有用性Die Nützlichkeit eines Dingsは、この物を使用価値にする(原注4)。しかしながら、この有用性は 空中に浮かんでいるものではない。それは、商品体の属性Eigenschaften des Warenkörpers によって限定されていて、商品体なくしては存在するものではない。だから、商品体自身が、鉄・小麦・ダイヤモンド等々というように、一つの使用価値または財貨である。このような商品体の性格 Charakterは、その有効属性を取得することが、人間にとって多くの労働を要するものか、少ない労働を要するものか、ということによってきまるものではない。使用価値を考察するに際しては、つねに、1ダースの時計、1エレの亜麻布、1トンの鉄等々というよ うに、それらの確定した量が前提とされる。商品の使用価値は特別の学科である商品学(原注5)の材料となる。使用価値は使用または消費されることによってのみ実現される。使用価値は、富の社会的形態の如何にかかわらず、富の素材的内容 stofflichen Inhalt des Reichtumsをなしている。われわれがこれから考察しようとしている社会形態においては、 使用価値は同時に――交換価値の素材的な担い手stofflichen Träger des ―― Tauschwertsをなしている。

 1-2. 使用価値は交換価値の素材的な担い手

O4) ある一つの物の有用性は、その物を使用価値にする。しかし、この有用性は空中に浮いているのではない。この有用性は、商品体の諸属性に制約されているので、商品体なしには存在しない。それゆえ、鉄や小麦やダイヤモンドなどという商品体そのものが、使用価値または財なのである。商品体のこのような性格は、その使用属性の取得が人間に費やさせる労働の多少にはかかわりがない。使用価値の考察にさいしては、つねに、1ダースの時計とか1エレのリソネルとか1トンの鉄とかいうようなその量的な規定性が前提される。いろいろな商品のいろいろな使用価値は、一つの独自な学科である商品学の材料を提供する。使用価値は、ただ使用または消費によってのみ実現される。使用価値は、富の社会的形態がどんなものかにかかわりなく、富の素材的な内容をなしている・注2。われわれが考察しようとする社会形態にあっては、それは同時に素材的な担い手になっている ――交換価値の




 1-3. 量的な関係、比率と割合  1ー4. 背理と形容矛盾

S1-5 交換価値は、まず第一に量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例〕として、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類 の使用価値と交換される比率〔Proportion:(数)比例〕として、すなわち、時とところとにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる(原注6)。したがって、 交換価値は、何か偶然的なるもの〔Zufälliges:偶然的な価値形態 〕、純粋に 相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)という ようなものは、一つの背理(原注7)(contradictio in adjecto)のように思われる。われわれはこのことをもっと詳細に考察しよう。

 1-3. 量的な関係、比率と割合  1ー4. 背理と形容矛盾

O5) 交換価値は、まず第一に、ある一種類の使用価値が他の種類の使用価値と交換される量的関係すなわち割合として現われる・注4。それは、時と所とによって絶えず変動する関係である.それゆえ、交換価値は偶然的なもの、純粋に相対的なものであるように見え、したがって、商品に内的な、内在的な交換価値(valeur intrinsèque )というものは、一つの形容矛盾〔contradictio in adjectio〕であるように見える。このことをもっと詳しく考察してみょう 。




 1-5. 内在物の表現方式ー或る実質の表現様式

S1-6 一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一物を言い表している。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。

  1-5. 内在物の表現方式ー或る実質の表現様式

O6) ある一つの商品、たとえば1クォーターの小麦は、x量の靴墨とか、y量の絹とか、z量の金とか、要するにいろいろに違った割合の諸商品と交換される。だから、小麦は、さまざまな交換価値をもっているのであって、ただ一つの交換価値をもっているのではない。しかし、x量の靴墨もy量の絹もz量の金その他も、みな1クォーターの小麦の交換価値なのだから、x量の靴墨やy量の絹やz量の金などは、互いに置き替えられうる、または互いに等しい大きさの、諸交換価値でなければならない。そこで、第一に、同じ商品の妥当な諸交換価値は一つの同じものを表わしている、ということになる。しかし、第二に、およそ交換価値は、ただ、それとは区別される或る実質の表現様式、「現象形態」でしかありえない、ということになる。



 1-61-6. 一つの方程式と等式  1-7. 同一大いさのある共通なものー共通物
 1-8. 整約ー還元

S1-7 さらにわれわれは二つの商品、例えば小麦と鉄をとろう。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに一つの 方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なんらかの量の鉄に等置される。 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。
 こ の方程式は何を物語るか?
二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身としては、前の二つのもののいずれでもない。両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。〔拡大されることを予知している〕

 1-6. 一つの方程式と等式  1-7. 同一大いさのある共通なものー共通物
 1-8. 整約ー還元

O7) さらに、二つの商品、たとえば小麦と鉄とをとってみょう。それらの交換関係がどうであろうと、この関係は、つねに、与えられた量の小麦がどれだけかの量の鉄に等置されるという一つの等式で表わす・注5 ことができる。たとえば 1クォーターの小麦= aツェントナーの鉄 というように。
 この等式はなにを意味しているのか? 
同じ大きさの一つの共通物が、二つの違った物のうちに、すなわち1クォーターの小麦のなかにもaツェントナーの鉄のなかにも、存在するということである。だから、両方とも或る一つの第三のものに等しいのであるが、この第三のものは、それ自体としては、その一方でもなければ他方でもないのである。だから、それらのうちのどちらも、それが交換価値であるかぎり、この第三のものに還元できるものでなければならないのである。




 1-9. 商品の交換価値ー共通なあるものの大小が示される
      諸商品の諸交換価値ー共通なものに還元される 
S1-8
 一つの簡単な幾何学上の例がこのことを明らかにする。一切の直線形の面積を決定し、それを比較するためには、人はこれらを三角形に解いていく 。三角形自身は、その目に見える形と全くちがった表現-その底辺と高さとの積の2分の1― に整約される。これと同様に、商品の交換価値も、共通なあるものに整約されなければなら ない。それによって、含まれるこの共通なあるものの大小が示される

 1-9. 商品の交換価値ー共通なあるものの大小が示される
      諸商品の諸交換価値ー共通なものに還元される 

O8)簡単な幾何学上の一例は、このことをもっとわかりやすくするであろう。およそ直線形の面積を測定し比較するためには、それをいくつかの三角形に分解する。その三角形そのものを、その目に見える形とはまったく違った表現――その底辺と高さとの積の2分の1――に還元する。これと同様に、諸商品の諸交換価値は、それらがあるいはより多くあるいはより少なく表わしている一つの共通なものに還元される・注6 のである。




 1-10. この共通なものと「交換関係の内部では諸使用価値は同じだけもの」

S1-9 この共通なものは、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性である ことはできない。商品の形体的属性 körperlichen Eigenschaften は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、したがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において 、商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象であるこの交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。あるいはかの*17 老バーボンが言って いるように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同 じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違 または差別がない(原注8)。」

 1-10. この共通なものと「交換関係の内部では諸使用価値は同じだけもの」

O9) この共通なものは、商品の幾何学的とか物理学的とか化学的などというような自然的な属性ではありえない。およそ商品の物体的な属性は、ただそれらが商品を有用にし、したがって使用価値にするかぎりでしか問題にならないのである。ところが、他方、諸商品の交換関係を明白に特徴づけているものは、まさに諸商品の使用価値の捨象なのである・注6。この交換関係のなかでは、ある一つの使用価値は、それがただ適当な割合でそこにありさえすれば、ほかのどの使用価値ともちょうど同じだけのもの・注7 と認められるのである。あるいは、かの老バーボンが言っているように、「一方の商品種類は、その交換価値が同じ大きさならば、他方の商品種類と同じである。同じ大きさの交換価値をもつ諸物のあいだには差異や区別はない・注7のである。」




 1-11. *すでにわれわれの手中で変化ー気がつかないうちに変えられて
 1-12.  抽象的に人間的な労働 abstrakt menschliche Arbeit
       ―― 抽象的人間労働

S1-11 いまもし商品体の使用価値を無視する〔absieht;abstrahieren. 度外視する〕とすれば、商品体に残る属性は、ただ一つ、労働生産物という属性だけである。だが、われわれにとっては、この労働生産物も、*すでにわれわれの手中で変化している。われわれがその使用価値から抽象するならば、われわれは労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象することとなる。それはもはや机や家でも撚糸でも、あるいはその他の有用な何物でもなくなっている。すべてのその感覚的な性質は解消している。それはもはや指物労働の生産物でも、建築労働や紡績労働やその他なにか一定の生産的労働の生産物 でもない。労働生産物の有用なる性質とともに、その中に表わされている労働の有用なる性質は消失する。したがって、これらの労働のことなった具体的な形態も消失するそれらは もはや相互に区別されることなく、ことごとく同じ人間労働、抽象的に人間的な労働整約される

 1-11. *すでにわれわれの手中で変化ー気がつかないうちに変えられて
 1-12.  抽象的に人間的な労働 abstrakt menschliche Arbeit
       ―― 抽象的人間労働

O11) そこで商品体の使用価値を問題にしないことにすれば、・注9 商品体に残るものは〔諸商品同士の違った量と〕、ただ労働生産物という属性だけである。しかし、この労働生産物も、*11.われわれの気がつかないうちにすでに変えられている労働生産物の使用価値を捨象するならば、それを使用価値にしている物体的な諸成分や諸形態をも捨象することになる。・注10 それは、もはや机や家や糸やその他の有用物ではない。労働生産物の感覚的性状はすべて消し去られている。それはまた、もはや指物労働や建築労働や紡績労働やその他の一定の生産的労働の生産物でもない。労働生産物の有用性といっしょに、労働生産物に表わされている労働の有用性は消え去り、したがってまたこれらの労働のいろいろな具体的形態も消え去り、これらの労働はもはや互いに区別されることなく、すべてことごとく同じ人間労働に抽象的人間労働・注10に、還元されているのである。




 1-13.妖怪のようなーまぼろしのような対象性 1-14. 膠状物-凝固物

S1-12 われわれはいま*18 労働生産物の残りをしらべて見よう。もはや、妖怪のような gespenstige 同一の対象性いがいに、すなわち、無差別な人間労働に、いいかえればその支出形態を考慮することのない、人間労働力支出の、単なる膠状物というもの意外に、労働生産物から何物も残っていない。これらの物は、ただ、なおその生産に人間労働力が支出されており、人間労働が累積されているということを表わしているだけである。これらの物は、おたがいに共通な、この社会的実体の結晶として、価値―商品価値である

 1-13. 妖怪のようなーまぼろしのような対象性   1-14. 膠状物-凝固物

O12) そこで今度はこれらの労働生産物に残っているものを考察してみよう。それらに残っているものは、同じまぼろしのような対象性・注11 のほかにはなにもなく、無差別な人間労働の、すなわちその支出の形態にはかかわりのない人間労働力の支出の、だだの凝固物・注11 のほかにはなにもない。これらの物が表わしているのは、ただ、その生産に人間労働力が支出されており、人間労働が積み上げられているということだけである。このようなそれらに共通な社会的実体の結晶として、これらのものは価値――商品価値なのである・注12 。




 1-15. 交換価値は使用価値から独立して現われる
 1-16. 労働生産物から使用価値を度外視すればいま規定された労働生産物の価値
     が得られる。
 1-17. 商品の交換比率/交換関係または交換価値に表われる共通なものはその価値
 1-18. 研究の進行は価値の必然的な表現方式または現象形態の交換価値にもどる
 1-19. しかし、この価値は形態/形式とは別に考察しなければならない

S1-13 商品の交換関係そのものにおいては、その交換価値は、その使用価値から全く独立しているあるものとして、現われたもしいま実際に労働生産物の使用価値から抽象する〔Abstrahiert man nun wirklich vom Gebrauchswert der Arbeitsprodukte, 度外視する〕とすれば、いま規定されたばかりの労働生産物の価値が得られる。商品の交換比率または交換価値に表われている共通なものはかくて、その価値である。研究の進行とともに、われわれは価値の必然的な表現方式または現象形態としての交換価値に、帰ってくるであろう。だが、この価値はまず第一に、この形態から切りはなして考察せらるべきものである。

 1-15. 交換価値は使用価値から独立して現われる
 1-16. 労働生産物から使用価値を度外視すればいま規定された労働生産物の価値
     が得られる。
 1-17. 商品の交換比率/交換関係または交換価値に表われる共通なものはその価値
 1-18. 研究の進行は価値の必然的な表現方式または現象形態の交換価値にもどる
 1-19. しかし、この価値は形態/形式とは別に考察しなければならない

O13) 諸商品の交換関係そのもののなかでは、商品の交換価値は、その使用価値にはまったくかかわりのないものとしてわれわれの前に現われたそこで、実際に労働生産物の使用価値を捨象してみれば、ちょうどいま規定されたとおりの労働生産物の価値が得られる注13。だから、商品の交換関係または交換価値のうちに現われる共通物は、商品の価値なのである。研究の進行は、われわれを、価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値につれもどすことになるであろう。しかし、この価値はさしあたりまずこの形態〔価値の必然的な表現様式または現象形態としての交換価値〕にはかかわりなしに考察されなければならない・注14 。




 1ー20. このようにして/だから、一つの使用価値または財貨が価値をもつのは
    その中に抽象的に人間的な労働が対象化または物質化されているから。

S1-14 このようにして、一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に抽象的に人間的な労働が対象化されているから、または物質化されているからである。そこで、財貨の価値の大いさはどうして測定されるか? その中に含まれている「価値形成実体」である労働の定量によってである。労働の量自身は、その継続時間によって測られる。そして労働時間には、また時・日等のようか一定の時間部分としてその尺度標準がある。

 1ー20. このようにして/だから、一つの使用価値または財貨が価値をもつのは
     その中に抽象的に人間的な労働が対象化または物質化されているから。

O14) だから、ある使用価値または財貨が価値をもつのは、ただ抽象的人間労働がそれに対象化または物質化されているからでしかない。では、それの価値の大きさはどのようにして計られるのか? それに含まれている「価値を形成する実体・注15」の量、すなわち労働の量によってである。労働の量そのものは、労働の継続時間で計られ、労働時間はまた1時間とか1日とかいうような一定の時間部分をその度量標準としている。




 1-21. 等一の同一人間労働力の支出, 社会的平均労働力として作用
      社会的に必要な労働時間だけを必要とする

S1-15  もしある商品の価値が、その生産の間に支出された労働量によって規定されるならば、ある男が怠惰であり、または不熟練であるほど、その商品は価値が高いということになりそうである。というのは、その商品の製造に、この男はそれだけより多くの時間を必要とするからである。だが、価値の実体をなす労働は、等一の人間労働 gleiche menschliche Arbeit である。同一人間労働力 dieselbe menschliche Arbeitskraft の支出である。商品世界の価値に表わされている社会の全労働力は、ここにおいては同一の人間労働力となされる。もちろんそれは無数の個人的労働力から成り立っているのであるが。これら個人的労働力のおのおのは、それが社会的平均労働力の性格をもち、またこのような社会的平均労働力として作用し、したがって、一商品の生産においてもただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間をのみ用いるというかぎりにおいて、他のものと同一の人間労働力なのである。

社会的に必要な労働時間とは、現に存する社会的に正常な生産諸条件と労働の熟練と強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値仝造り出すために必要とされる労働時間である。例えば、イギリスに蒸気織機が導入されたのちには、一定量の撚糸を織物に変えるために、おそらく以前の半ばほどの労働で足りた。イギリスの手織職人は、この織物に変えるために、実際上は前と同じように、同一の労働時間を要した。だが、彼の個人的労働時間の生産物は、いまではわずかに半分の社会的労働時間を表わしているだけとなった。したがって、その以前の価値の半ばに低落した。

 1-21. 等一の同一人間労働力の支出, 社会的平均労働力として作用
      社会的に必要な労働時間だけを必要とする

O15)一商品の価値がその生産中に支出される労働の量によって規定されているとすれば、ある人が怠惰または不熟練であればあるほど、彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので、彼の商品はそれだけ価値が大きい、というように思われるかもしれない。しかし、諸価値の実体をなしている労働は、同じ人間労働であり、同じ人間労働力の支出である。商品世界の諸価値となって現われる社会の総労働力は、無数の個別的労働力から成っているのではあるが、ここでは一つの同じ人間労働力とみなされる・注16のである。これらの個別的労働力のおのおのは、それが社会的平均労働力という性格をもち、このような社会的平均労働力として作用し、したがって一商品の生産においてもただ平均的に必要な、または社会的に必要な労働時間だけを必要とするかぎり、他の労働力と同じ人間労働力なのである。

社会的に必要な労働時間とは、現存の社会的に正常な生産条件と、労働の熟練および強度の社会的平均度とをもって、なんらかの使用価値を生産するために必要な労働時間である。たとえば、イギリスで蒸気織機が採用されてからは、一定量の糸を織物に転化させるためにはおそらく以前の半分の労働で足りたであろう。イギリスの手織工はこの転化に実際は相変わらず同じ労働時間を必要としたのであるが、彼の個別的労働時間の生産物は、いまでは半分の社会的労働時間を表わすにすぎなくなり、したがって、それの以前の価値の半分に低落したのである。




1-22. 価値としてはすべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない

S1-16 そんなわけで、ある使用価値の価値の大いさを規定するのは、ひとえに、社会的に必要な労働の定量、またはこの使用価値の製造に社会的に必要な労働時間にほかならないのである(原注9)。個々の商品は、このばあい要するに、その種の平均見本にされてしまう。(原注10)同一の大いさの労働量を含む商品、または同一労働時間に製作されうる商品は、したがって、同一の価値の大いさをもっている。ある商品の価値の他の商品のそれぞれの価値にたいする比は、ちょうどその商品の生産に必要な労働時間の、他の商品の生産に必要な労働時間にたいする比に等しい。
「*21 価値としては、すべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。」(原注11)
"Als Werte sind alle Waren nur bestimmte Maße festgeronnener Arbeitszeit."

 1-22. 価値としてはすべての商品は、ただ凝結せる労働時間の一定量であるにすぎない。

O16) だから、ある使用価値の価値量を規定するものは、ただ、社会的に必要な労働の量、すなわち、その使用価値の生産に社会的に必要な労働時間だけである。個々の商品は、ここでは一般に、それが属する種類の平均見本とみなされる・注16。したがって、等しい大きさの労働量が含まれている諸商品、または同じ労働時間で生産されることのできる諸商品は、同じ価値量をもっているのである。一商品の価値と他の各商品の価値との比は、一方の商品の生産に必要な労働時間と他方の商品の生産に必要な労働時間との比に等しい・注17。「価値としては(・注12)、すべての商品は、ただ、一定の大きさの凝固した労働時間・注17でしかない。」




 1-23. 価値をまさに交換価値にしてしまうその形態〔Seine Form:その形式〕

S1-17 したがって、ある商品の価値の大いさは、もしその生産に必要な労働時間が不変であるならば、不変である。しかしながらこの労働時間は、労働の生産力における一切の変化とともに変化する。労働の生産力は、種々の事情によって規定される。なかでも、労働者の熟練の平均度、科学とその工学的応用の発展段階、生産過程の社会的組み合わせ、生産手段の規模と作用力とによって、さらに自然的諸関係によって、規定される。同一量の労働は、例えば豊年には 8ブッシェルの小麦に表わされるが、凶年には僅か4ブッシェルに表わされるにすぎない。同一量の労働は、富坑においては、貧坑におけるより多くの金属を産出する、等々。ダイヤモンドは、地殼中にまれにしか現われない。したがって、その採取には、平均して多くの労働時間が必要とされる。そのために、ダイヤモンドは、小さい体積の中に多くの労働を表わしている。ジェーコブは、金はいまだかつてその価値を完全に支払われたことはあるまい、といっている。このことは、もっとつよくダイヤモンドにあてはまる。エッシュヴェーゲによれば、1823年、ブラジルのダイヤモンド坑80年間の総産出高は、ブラジルの砂糖栽培とコーヒー栽培の1ヵ年半の平均生産物の価格にも達しなかった。ダイヤモンド総産出高の方が、より多くの労働を、したがってより多くの価値を表わしていたのは勿論のことであったが。

より豊かな鉱山では、同一の労働量がより多くのダイヤモンドに表わされ、その価値は低下するであろう。もし少量の労働をもって、石炭がダイヤモンドに転化されうるようになれば、その価値は練瓦以下に低下することになるだろう。一般的にいえば、労働の生産力が大であるほど、一定品目の製造に要する労働時間は小さく、それだけその品目に結晶している労働量は小さく、それだけその価値も小さい。逆に、労働の生産力が小さければ、それだけ一定品目の製造に必要な労働時間は大きく、それだけその価値も大きい。したがって、ある商品の大きさは、その中に実現されている労働の量に正比例し、その生産力に逆比例して変化する。

  *第1版には、次の一文がつづく。「われわれは、いまや価値の実体を知った。それは、労働である。われわれは価値の大いさの尺度を知った。それは労働時間である。価値をまさに交換価値にしてしまうその形態〔Seine Form:その形式〕は、これから分析する。だが、その前に、すでにここで見出された規定を、いま少し詳しく述べておかなければならぬ。」―ディーツ版編集者

 1-23. 価値をまさに交換価値にしてしまうその形態〔Seine Form:その形式〕

O17) それゆえ、もしもある商品の生産に必要な労働時間が不変であるならば、その商品の価値の大きさも不変であろう。しかし、この労働時間は、労働の生産力に変動があれば、そのつど変動する。労働の生産力は多種多様な事情によって規定されており、なかでも特に労働者の技能の平均度、科学とその技術的応用可能性との発展段階、生産過程の社会的結合、生産手段の規模および作用能力によって、さらにまた自然事情によって、規定されている。同量の労働でも、たとえば豊作のときには8ブッシェルの小麦に表わされ、凶作のときには4ブッシェルの小麦にしか表わされない。同量の労働でも、豊かな鉱山では貧しい鉱山でよりも多くの金属を産出する、等々。ダイヤモンドは地表に出ていることがまれだから、その発見には平均的に多くの労働時間が費やされる。したがって、ダイヤモンドはわずかな量で多くの労働を表わす。ジェーコブは、金にその全価値が支払われたことがあるかどうかを疑っている。このことは、ダイヤモンドにはもっとよくあてはまる。エッシュヴェーゲによれば、1823年には、ブラジルのダイヤモンド鉱山の過去80年間の総産額は、ブラジルの砂糖またはコーヒーの農場の1年半分の平均生産物の価格にも達していなかったというが、じつはそれよりもずっと多くの労働を、したがってずっと多くの価値を表わしていたにもかかわらず、そうだったのである。もしも鉱山がもっと豊かだったならば、それだけ同じ労働量がより多くのダイヤモンドに表わされたであろうし、それだけダイヤモンドの価値は下がったであろう。もしほんのわずかの労働で石炭をダイヤモンドに変えることに成功するならば、ダイヤモンドの価値が煉瓦の価値よりも低く下がることもありうる。一般的に言えば、労働の生産力が大きければ大きいほど、一物品の生産に必要な労働時間はそれだけ小さく、その物品に結晶している労働量はそれだけ小さく、その物品の価値はそれだけ小さい。  逆に、労働の生産力が小さければ小さいほど、一物品の生産に必要な労働時間はそれだけ大きく、その物品の価値はそれだけ大きい。つまり、一商品の価値の大きさは、その商品に実現される労働の量に正比例し、その労働の生産力に反比例して変動するのである・注18。

 *初版ではこれに次の句が続いている。
「われわれは今では価値の実体を知った。それは労働である。われわれは価値の大きさの尺度を知った。それは労働時間である。価値の形態、これこそは価値に交換-価値という印を押すのであるが、この形態を分析するのはまだこれからのことである・注19。しかし、まずその前に、すでに見いだされた諸規定をもう少し詳しく展開しなければならない。」



 
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