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 翻訳問題第1部 抽象的に人間的な労働-
(hm003-02)

抽象的に人間的な労働ー『資本論』2023.01.25
 abstrakt menschliche Arbeit


検索キーワード
 抽象的で一般的な労働 
 ドイツ語文法ー副詞的用法



hm003-02
   『経済学批判』から『資本論』の論点

     
ー価値表現の系列ー

 
Ⅰ 翻訳問題 第1部 抽象的に人間的な労働
 Ⅱ 翻訳問題 第2部 等価形態ー労働の凝結物 Gallert 

   ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・

 Ⅰ 翻訳問題 第1部
   
(1) 『資本論』ー抽象的に人間的な労働ー2023.03.15
           abstrakt menschliche Arbeit
    (2) 『経済学批判』ー抽象的で一般的な労働2023.03.15
               abstrakt allgemeine Arbeit


  関連データ
  ◆『資本論』 ”共通なもの Gemeinsam”
  ◆Einheit-Gleichheit等一性_単位と相等性2023.02.07
    等一性〔Gleichheit 相等性〕ーヘーゲル『小論理学』§117-118
  ◆リンク集 open-link-t.html


抽象的に人間的な労働ー『資本論』2023.03.15
ヘーゲル『小論理学』現実性§142-145


 
 『資本論』  抽象的に人間的な労働  ー抄録集ー
          abstrakt menschliche Arbeit   

 

 ◆資本論ワールド 編集部

(1) マルクスは、『資本論』第1版序文で、読者に注意を与えています。
                    (岩波文庫p.11)
 「何事も初めがむずかしい、という諺は、すべての科学にあてはまる。第1章、とくに商品の分析をふくんでいる節の理解は、したがって、最大の障害となるであろう。 そこで価値実体と価値の大きさとの分析をより詳細に論ずるにあたっては、私はこれをできるだけ通俗化する〔popularisieren:世間一般にわかりやすいように、平易に表現する〕ことにした。完成した態容(すがた)を貨幣形態に見せている価値形態は、きわめて内容にとぼしく、単純である。ところが、人間精神は2000年以上も昔からこれを解明しようと試みて失敗しているのに、他方では、これよりはるかに内容豊かな、そして複雑な諸形態の分析が、少なくとも近似的には成功しているというわけである。なぜだろうか?でき上がった生体を研究するのは、生体細胞を研究するよりやさしいからである。そのうえに、経済的諸形態の分析では、顕微鏡も化学的試薬も用いるわけにはいかぬ。抽象力 Abstraktionskraft なるものがこの両者に代わらなければならぬ。しかしながら、ブルジョア社会にとっては、労働生産物の商品形態または商品の価値形態は、経済の細胞形態である。素養のない人にとっては、その分析はいたづらに小理屈をもてあそぶように見えるかもしれない。事実上、このばあい問題のかかわるところは細密を極めている。しかし、それは、ただ顕微鏡的な解剖で取扱われる問題が同様に細密を極めるのと少しもちがったところはない。」

(2) マルクスのレトリック論
 「世間一般にわかりやすいように、平易に表現する」と、マルクスは語っています。それでもなかなか”手が出せないほどに” 難しい。その原因の一つに、西洋に伝統的な”レトリック論”の手法があります。
 マルクスは、レトリック技巧を『経済学批判』「労働生産物の商品形態」の分析に次のように適用しています。 (向坂逸郎訳『経済学批判』新潮社版p.70。)
 「商品は使用価値である。すなわち、小麦、亜麻布、ダイヤモンド、機械等々である。しかし、商品としては、商品は同時に使用価値でない。・・・所有者にとっては、商品はむしろ非使用価値である。
 ②交換価値の能動的な担い手としては、使用価値は交換手段となる。商品は、所有者にとっては、ただ交換価値であってはじめて使用価値である。したがって、使用価値としては、商品はこれから、まず第一に他人のための使用価値にならなければならない
 ③他方では、商品は、所有者自身にとって使用価値とならなければならない。何故かというに、所有者の生活手段は、その商品の外にある他の商品の使用価値の中に存するのであるからである。使用価値となるためには、商品は、それが充足の対象にあたる特定の欲望に出あわなければならない。だから、商品の使用価値は、全面的に位置を変えて、それが交換手段である人の手から、それが使用対象となる人の手に移って、はじめて使用価値となる。商品がこのように全面的に己れを譲り渡すことによってはじめて商品に含まれている労働は有用労働〔使用価値を形成する労働〕となる。

(3)『資本論』の翻訳問題キーワード ―― 抽象的で一般的な労働
 労働生産物の商品形態の分析にあたり、『資本論』キーワードの論点です。
 ” 交換価値を生む労働は、抽象的で一般的な労働abstrakt allgemeine Arbeitである。”
 『経済学批判』新潮社版 向坂逸郎訳以外は、「抽象的一般的労働」の具合に翻訳しています。『経済学批判』武田隆夫他4名 岩波書店(岩波文庫p.25)、杉本俊朗 大月書店(国民文庫4p.27)。なお『資本論』の翻訳も「抽象的一般的労働」と同様です。
 向坂逸郎訳が「抽象的で」などと翻訳している根拠は、第1にドイツ語文法の「形容詞の副詞的用法」です。第2に貨幣形態ー金商品ーを形成する”労働”は、使用価値・金を形成する”労働”のままで”価値形成労働”となる事態ですから、交換価値を生みだす労働を単純に「抽象的一般的労働」とは言えません。商品形態の分析では、「抽象的でabstrakt 」は、マルクス学の真髄を示す分析力の精華・成果です。

(4) したがって、 2.マルクスのレトリック論商品は使用価値である。すなわち、小麦、亜麻布、ダイヤモンド、機械等々である。しかし、商品としては、商品は同時に使用価値でない。・・・所有者にとっては、商品はむしろ非使用価値である。」は、3.『資本論』の翻訳問題キーワード「貨幣形態ー金商品ーを形成する”労働”は、使用価値・金を形成する”労働”のままで”価値形成労働”となる」事態と重ね合わせて探究することになります。

(5) こうして、商品形態の分析では、「抽象的で・abstrakt 」のドイツ語文法「形容詞の副詞的用法」の解明が明らかとなります。『資本論』の向坂逸郎訳では、文法的に形容詞の副詞的用法」をより明確にするために「ことごとく同じ人間労働、抽象的」「人間的な労働に整約される」動詞副詞的内容を強調することなります。商品形態を「抽象的に、・・・整約される」状況の具体的内容を明らかにするレトリックー使用価値形成労働と交換価値形成労働の関連性分析ーが課題となります。

 マルクスによる”論点整理”に注目しながら、『資本論』読解を始めましょう。
 
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『資本論』 第1章 商品

  
第1節 商品の二要素 使用価値と価値

 
資本論ワールド 序論  準備中です・・・2023.03.30

 目次
 第1部Ⅰ 交換価値について
 第1部Ⅱ 商品の交換関係ー使用価値の度外視について
 第1部Ⅲ 抽象的に人間的な労働について
 第1部Ⅳ 労働生産物の価値対象性について



『資本論』 第1章 商品
      第1節 商品の二要素 使用価値と価値

 
第1部Ⅰ 交換価値について

1-5 
 交換価値は、まず第一に
量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例〕として、すなわち、ある種類の使用価値が他の種類 の使用価値と交換される比率〔Proportion:(数)比例〕として、すなわち、時とところとにしたがって、絶えず変化する関係として、現われる(原注6)。したがって、交換価値は、何か偶然的なるもの〔Zufälliges:偶然的な価値形態 〕、純粋に 相対的なるものであって、商品に内在的な、固有の交換価値(valeur intrinseque)という ようなものは、一つの背理(原注7)*(contradictio in adjecto)のように思われる。われわれはこのことをもっと詳細に考察しよう。

  ■〔 編集部注:
 1.
量的な関係〔quantitative Verhältnis:量的比例。この「関係」と翻訳されている「Verhältnis」は、ヘーゲルの『大論理学』第2篇大きさ(量)には、第3章量的比例 das quantitative Verhältniss となっています。
 なお、
『大論理学』第3章量的比例はこちら

 2.
比率〔Proportion:(数)比例〕
「比率」と訳された
Proportion は、『経済学批判』新潮社版 向坂逸郎訳 では、「比例」や「割合」とも翻訳されています。上記「量的な関係→量的比例」と同様な観点から、「比例」とするのが自然です。
 ドイツ語原本(原注6)では、以下のように
「並立関係」の具合で叙述されています。
Der Tauschwert
交換価値はerscheint zunächst als das quantitative Verhältnis量的な関係, die Proportion比率, worin sich Gebrauchswerte einer Art gegenある種の使用価値 Gebrauchswerte anderer Art 他の種の使用価値austauschen , ein Verhältnis, das beständig mit Zeit und Ortところ wechselt. なお、翻訳問題」で別途詳論する予定です。〕


1-6
 
一定の商品、1クォーターの小麦は、例えば、x量靴墨、またはy量絹、またはz量金等々 と、簡単にいえば他の商品と、きわめて雑多な割合で交換される。このようにして、小麦は 、唯一の交換価値のかわりに多様な交換価値をもっている。しかしながら、x量靴墨、同じく y量絹、z量金等々は、1クォーター小麦の交換価値であるのであるから、x量靴墨、y量絹、z 量金等々は、相互に置き換えることのできる交換価値、あるいは相互に等しい大いさの交換価値であるに相違ない。したがって、第一に、同一商品の妥当なる交換価値は、一つの同一 物を言い表している。だが、第二に、交換価値はそもそもただそれと区別さるべき 内在物の 表現方式〔Ausdrucksweise:表現の仕方〕、すなわち、その「現象形態〔 "Erscheinungsform"〔現象の形式〕」でありうるにすぎない。

 〔
編集部注:表現方式 Ausdrucksweise と「現象形態 Erscheinungsform」については、こちらを参照してください。〕
  表現方式 Ausdrucksweise と数式の仕方(方式)
   
『資本論』 商品価値の比例論 抄 録
   
ヘーゲル論理学の比例論について


1-7
 さらにわれわれは二つの商品、* 例えば小麦と鉄をとろう*。その交換価値がどうであれ、 この関係〔Austauschverhältnis:交換関係〕はつねに
一つの方程式Gleichung に表わすことができる。そこでは与えられた小麦量は、なん らかの量の鉄に等置される。 例えば、1クォーター小麦=aツェントネル鉄というふうに。
 
この方程式は何を物語るか?
二つのことなった物に、すなわち、1クォーター小麦にも、同様にaツェントネル鉄にも、
同一大いさのある共通なものがあるということである。したがって、両つのものは一つの第三のものに等しい。この第三のものは、また、それ自身 としては、前の二つのもののいずれでもない。 両者のおのおのは、交換価値である限り、こ うして、この第三のものに整約しうるのでなければならない。〔拡大されることを予知している〕

  ■方程式は何を物語るか?
 1. ”共通なものがある”ーこの共通なものが、方程式では”未知数”に該当して、この”  未知数”を数学的に解いてゆくことを「方程式の解を求める」とルール決めがあり   ます。

 2. 「方程式 Gleichung」と翻訳された用語について、大半の『資本論』翻訳家は
 
「等式」と言い換えています。一般的なドイツ語辞書で「Gleichung」を「等式」と日 本語訳している辞書はありません。信じがたいことですが、日本独自の翻訳者天国?で 、独善的世界です。義務教育で翻訳機AI活用が進んでいます。翻訳者の皆さんは事態 の深刻さに無頓着です。誤読と誤訳の極みです。こちらを参照してください
 
 3. 『資本論』の価値方程式とヘーゲル論理学についてはこちらを参照。
  
『資本論』の方程式-価値方程式


1-8
  〔三角形の面積計算〕
 一つの簡単な幾何学上の例がこのことを明らかにする。一切の直線形の面積を決定し、それを比較するためには、人はこれらを三角形に解いていく 。三角形自身は、その目に見える形と全くちがった表現-その底辺と高さとの積の2分の1― に整約される。これと同様に、商品の交換価値も、共通なあるものに整約されなければなら ない。それによって、含まれる
この共通なあるものの大小が示される

 〔* 
三角形 Dreick 自身は、その目に見える形と全くちがった表現 〔Ausdruck:式,数式〕 -その底辺と高さとの積の2分の1― に整約される〔reduziert:簡約,約分,還元する〕。Das Dreieck selbst reduziert man auf einen von seiner sichtbaren Figur ganz verschiednen Ausdruck - das halbe Produkt seiner Grundlinie mit seiner Höhe.〕

 〔*編集部注:直線形・三角形の求積方法の表現形式-その底辺と高さとの積の2分の1―は、ユークリッド幾何学によるもの。球面幾何学など非ユークリッド幾何学の面積計算では-その底辺と高さとの積の2分の1― に整約されない。 価値の量的表現は、相関関係として表示されるので、この三角形の求積方法は要注意です。〕
  → 球面幾何学など非ユークリッド幾何学は、こちら
 

1-9
 
この共通なものは、商品の幾何学的・物理的・化学的またはその他の自然的属性である ことはできない。商品の形体的属性 körperlichen Eigenschaften は、ほんらいそれ自身を有用にするかぎりにおいて、し たがって使用価値にするかぎりにおいてのみ、問題になるのである。しかし、他方において 、商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象で ある。この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の 割合にありさえすれば、ちょうど同じだけのものとなる。 〔したがて、区別がつかなくなる。
あるいはかの 老バーボンが言って いるように、「一つの商品種は、その交換価値が同一の大いさであるならば、他の商品と同 じだけのものである。このばあい同一の大いさの交換価値を有する物の間には、少しの相違 または差別がない(原注8)。」



 『資本論』 第1章 商品
     
 第1節 商品の二要素 使用価値と価値


 第1部Ⅱ 商品の交換関係ー使用価値の度外視について

1. 1-9 (注A)商品の交換関係をはっきりと特徴づけている〔*1〕ものは、まさに商品の使用価値からの抽象Abstraktion である。この交換関係の内部においては、一つの使用価値は、他の使用価値と、それが適当の割合Proportion にありさえすれば、ちょうど同じだけ〔諸使用価値の差異が消失する〕のものとなる」(岩波文庫p.72)

2. 1-11 (注B) いまもし商品体の使用価値を無視する〔absehen: 度外視する、問題としない〕とすれば、商品体に残る属性Eigenschaftは、ただ一つ、労働生産物という属性だけである。だが、われわれにとっては、この労働生産物も、すでにわれわれの手中で変化している。われわれがその使用価値から抽象する 〔Abstrahieren :度外視する、問題にしないこと〕ならば、われわれは労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象する/度外視する(注1)〔*2〕こととなる

3. それらは もはや相互に区別されることなく、ことごとく同じ人間労働抽象的に人間的な労働 abstrakt menschliche Arbeit 〔*3〕に整約される。(岩波文庫p.73)


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 『資本論』の論点

 第1. 編集部1:1-9(注A)と 1-11(注B)

 (注A)「商品の交換関係をはっきりと特徴づけているものは、まさに商品の使用価値からの抽象〔捨象〕である」ーこの「使用価値からの抽象〔捨象〕」は、誰か人為的に、人々が抽象することではなく「商品の交換関係」に内在し、「使用価値を捨象している」抽象Abstraktion の動作環境ー”現象している”を表現していることになります。

  すなわち、「2.度外視する、3.整約される」内容が表わしている事態とは、「商品の交換関係」が ”客観的に” 現象し、表示していることを表わしています。
 

 これに対して、「(注B) いまもし商品体の使用価値を無視する〔absehen: 度外視する、問題としない〕とすれば、・・・・われわれがその使用価値から抽象する 〔Abstrahieren :度外視する、問題にしないこと〕ならば、われわれは労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象する/度外視する(注1)〔*2〕こととなる
  この文脈は、”われわれの”分析・認識過程の説明文となっていることです。
 「商品の交換過程の現象記述内容」と「われわれが操作対象である商品体の分析する内容」を明確に分離しなければなりません。

 例えば ”交通渋滞” が発生している状況をテレビが放映した場合、①渋滞状況は”現実”である、と認識します。②つぎの段階で、その渋滞状況にたいして、われわれ自身の処し方を決めてゆきます。「渋滞だから、しばらく様子を見てから出かけよう」などとなります。①は単純に状況説明、②が状況に対し、われわれ自身の分析・認識となります。

 すなわち、①商品の交換関係を特徴づけー商品同士の交換は使用価値がお互いに違うのに交換・等値されるー「おなじだけ」のものになる・諸使用価値の差異の捨象。ー諸商品の差異が捨象される商品交換は、「まさに商品の使用価値からの抽象Abstraktionということ。
 
  ②つぎの段階で、われわれ自身の分析<1>と認識<2>内容を表わしている。。
 「いまもし〔われわれが〕商品体の使用価値を無視する〔absehen: 度外視する、問題としない〕とすれば、<1>商品体に残る属性Eigenschaft は、ただ一つ、労働生産物という属性だけである。だが、われわれにとっては、この労働生産物も、すでにわれわれの手中で変化している。<2>われわれがその使用価値から抽象する 〔Abstrahieren :度外視する、問題にしないこと〕ならば、われわれは労働生産物を使用価値たらしめる物体的な組成部分や形態からも抽象する/度外視することとなる

 こうしてわたしたちは、①商品の交換関係をはっきりと特徴づけているもの、と②われわれにとっては、~~<2>われわれはーー抽象する/度外視することとなる。 の間には表現されている場面設定と認識上の区別があります。
 ①は、客観的に現象している事実の説明。
 ②は、現象している事態をわれわれが解釈し、認識する内容。


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 第2. 編集部2:ドイツ語文法ー形容詞の副詞的用法

 
第1.編集部1にあるように
 商品の交換関係ー商品の使用価値を
度外視する抽象する:Abstrahieren〕のであるから、該当する使用価値に対して動詞的作用で「抽象的に」扱うことになります。
 この「度外視し、抽象的に/捨象して」扱うというドイツ語を、文法的に区分けすると以下のようになります。―― ①”抽象的にabstrakt" ②人間的なmenschliche ③労働Arbeit は、形容詞の副詞的用法となります。
 この①”抽象的に,(副詞句)” に対するドイツ語文法の扱いを”抽象的人間的労働”の具合に一般的な形容詞(美しい、困難な.など)と同列視は出来ません。

 ドイツ語文法の規則により単純に「形容詞」とする場合は、次のように単語の語形変化をしなければなりません。
「〔普通の形容詞〕抽象的な人間労働-抽象的人間労働-
   abstrakter menschlicher Arbeit  (岩波文庫p.137)、
「 人間労働であるというその抽象的な属性-
   abstrakten Eigenschaft, menschliche Arbeit (岩波文庫p.108)

 このように、形容詞 abstrakt 語尾 er,en をつけます
英語とは大変違って、ドイツ語文法ではこの語尾を「形容詞の格変化 -er,-e,-es,-en,-em 」させる規則となっています。
 これらは、プロの翻訳者の間では常識です。
 この常識を最初に大々的に逸脱させたのが、岡崎次郎訳『資本論』第1章商品
 国民文庫 大月書店です。
  この翻訳問題については、こちらを参照してください

 さて、参考文法書をご紹介します。『しっかり学ぶ中級ドイツ語文法』宍戸里佳著ベレ出版(p.250-262)、『改訂版詳解ドイツ語文法』在間 進著大修館書店(p.244) がお勧めです。〕


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   総括として、次のように集約することが可能となります。  

 この1-9段落 「商品の使用価値からの抽象〔捨象〕である。」
 〔 die Abstraktion von ihren Gebrauchswerten 〕は、
 「諸商品の使用価値からーその区別を「度外視すること」である 」と翻訳されれば、使用価値の違い、差別の区別はなくなり、商品同士は同じとなる。
 こうして、ドイツ語辞書通りに ―― 1-11段落後半の ――
  ことごとく
同じ人間労働 gleiche menschliche Arbeit となります。

 *「度外視する」:考慮や視野の外に置くこと, 関係のない,問題にしないこと,
  無視すること, などと同じ意味ーニュアンスがあります。
 使用価値のより詳細な分析については、マルクス経済学批判』の「使用価値」規定を参照してください。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・2023.04.08・・・・・・・・・・・



 ◆ 資本論ワールド編集部 コメント
  『資本論』の「価値導出」に関わるマルクスの叙述形式について
 

   〔価値の大いさー価値形成実体 wertbildenden Substanz〕

4. 1-13 商品の交換関係そのものにおいては、*1その交換価値は、その使用価値から全く独立しているあるものとして、*1現われた*2もしいま実際に労働生産物の使用価値から抽象する〔Abstrahiert *2man nun wirklich vom Gebrauchswert der Arbeitsprodukte, 度外視する*とすればいま規定されたばかりの労働生産物の価値が得られる。 商品の交換比率または交換価値に表われている共通なものは、かくて、その価値である。(岩波文庫p.73)



5. 1-14 このようにして〔度外視して〕、一つの使用価値または財貨が価値をもっているのは、ひとえに、その中に抽象的に人間的な労働対象化されているから、または物質化されているからである。(岩波文庫p.74)


  第2節 商品に表わされた労働の二重性

  〔有用労働の属性Eigenschaft〕

6. 2-15 生産力は、労働の具体的な有用な形態がもっているものであるから、労働が、この具体的な有用な形態から抽象/捨象される〔度外視される〕やいなや、当然にもはや労働に触れることはできない。したがって、同一の労働は、同一の期間に、生産力がどう変化しようと、つねに同一大いさの価値を生む。(岩波文庫p.86)

7. 2-16  すべての労働は、一方において、生理学的意味における人間労働力の支出である。そしてこの同一の人間労働、または抽象的に人間的な労働の属性において、労働は商品価値を形成するすへての労働は、他方において、特殊な、目的の定まった形態における人間労働力の支出である。そしてこの具体的な有用労働の属性において それは使用価値を生産する(16)。(岩波文庫p.87)

   ・・・・  ・・・・  ・・・・  ・・・・  ・・・・・  ・・・・・・

 〔編集部注:「抽象」について ヘーゲル『小論理学』§115~§118
 「この同一性は、人々がこれ〔自己との同一性〕に固執して区別を捨象する von dem Unterschiede abstrahiert かぎり、形式的あるいは悟性的同一性である。あるいはむしろ、抽象とはこうした形式的同一性の定立であり、自己内で具体的なものをこうした単純性の形式 diese Form der Einfachheit に変えることである。これは二つの仕方で行われうる。その一つは、具体的なものに見出される多様なものの一部を(いわゆる分析によって)捨象し 〔weggelassen:省略する〕 、そのうちの一つだけを取り出す仕方であり、もう一つは、さまざまな規定性の差別を捨象して mit Weglassung ihrer Verschiedenheit 、それらを一つの規定性へ集約してしまう仕方である。」(『小論理学』)
 


 第1部Ⅲ 抽象的に人間的な労働について

  第3節 価値形態または交換価値
 
   〔共通な人間労働という性格 gemeinsamen
     Charakter menschlicher Arbeit〕
 
8. 亜麻布20エレ=上衣1着 または =20着 または =x着 となるかどうか、いずれにしても、このようないろいろの割合にあるということは、つねに、亜麻布と上衣とが価値の大いさとしては、同一単位の表現であり、同一性質の物であるということを含んでいる。亜麻布=上衣ということは、方程式の基礎Grundlage der Gleichung〔Grundlage:根底,原理〕である。(岩波文庫p.93)

3.2. a)-5. 例えば、上衣が価値物として亜麻布に等しいとされることによって、上衣にひそんでいる労働〔裁縫〕は、亜麻布にひそんでいる労働〔機織〕に等しいとされる。さて上衣を縫う裁縫は、亜麻布を織る機織とは種類のちがった具体的な労働であるが、しかしながら、機織に等しいと置かれるということは、裁縫を、実際に両労働にあって現実に同一なるものに、すなわち、両労働に共通な人間労働という性格に、整約/還元するのである。この迂給を通って初めてこういわれるのである。機織も、価値を織りこむかぎり、裁縫にたいしてなんらの識別徴表をもっていない、すなわち、抽象的に人間的な労働であるというのである。
 ただおのおのちがった商品の等価表現 Äquivalenzausdruck のみが、種類のちがった商品にひそんでいる異種労働を、実際にそれらに共通するものに、すなわち、人間労働一般に整約して 〔reduziert:用語辞書「整約する」参照(還元する)〕価値形成労働の特殊性格を現出させる。(岩波文庫p.94)

 

  A-3 等価形態  
     
   〔商品の物体は、抽象的に人間的な労働の表現〕
   ■抽象的に人間的な労働の表現としての「労働の凝結物 Gallert

3-9. 等価 Äquivalent のつとめをしている商品の物体は、つねに抽象的に人間的な労働の体現として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。

したがって、この具体的労働は抽象的に人間的な労働の表現となる。例えば、上衣が、抽象的に人間的な労働の単なる実現となっているとすれば、実際に上衣に実現されている裁縫が、抽象的に人間的な労働の単なる実現形態ー

〔Verwirklichungsform : ヘーゲル『小論理学』・Wirklichkeit 現実性§142-145 参照
 ーとして働いているわけになる。亜麻布の価値表現においては、裁縫の有用性は、裁縫が衣服をつくり、したがってまた人をもつくる〔ドイツには「着物は人をつくる」という諺がある。訳者〕ということにあるのでなく、次のような一つの物体をつくるところにあるのである。
 すなわちこの物体にたいして、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、労働の凝結物 Gallert であるというように、みなしてしまうのである。このような一つの価値鏡を作るために、裁縫自身は、人間労働であるというその抽象的な〔普通の形容詞〕属性 abstrakten Eigenschaft 以外には、何ものをも反映してはならない。(岩波文庫p.107)

10. 裁縫の形態でも、機織の形態でも、人間労働力は支出されるのである。したがって、両者は、人間労働の一般的な属性をもっている。そしてこのために一定のばあいには、例えば、価値生産においては、ただこの観点からだけ考察すればいいのである。すべてこれらのことは、神秘的なことではない。しかし、商品の価値表現においては、事柄は歪(ゆが)められる
  例えば、機織が機織としての具体的な形態においてではなく、人間労働としてのその一般的な属性おいて、亜麻布価値を形成するということを表現するために、機織にたいして、裁縫が、すなわち亜麻布等価物を作りだす具体的労働が抽象的に人間的な労働の摑(つか)みうべき実現形態として、対置されるのである。

11. それゆえに、具体的労働がその反対物、すなわち、抽象的に人間的な労働の現象形態となるということは、等価形態の第二の特性である。

12. しかしながら、この具体的労働、すなわち裁縫は、無差別な人間労働の単なる表現として働くことによって、他の労働、すなわち、亜麻布にひそんでいる労働と等一性〔Gleichheit 相等性〕 の形態をもち、したがって、他の一切の商品生産労働と同じように私的労働ではあるが、しかし直接に社会的な形態における労働である。まさにこのために、この労働は、直接に他の商品と交換しうる一つの生産物に表わされている。このように、私的労働がその反対物の形態、すなわち、直接に社会的な形態における労働となるということは、等価形態の第三の特性である


13. 最後に述べた等価形態の二つの特性は、価値形態、ならびにきわめて多くの思惟形態、社会形態および自然形態を、最初に分析した偉大なる探求者にさかのぼって見るとき、もっと解りやすくなる。それはアリストテレスである。

「 商品の貨幣形態が、単純なる価値形態、すなわち、なんらかの任意の他の商品における一商品の価値の表現のさらに発展した姿にすぎないことを、アリストテレス〔紀元前384年-322年〕は最初に明言している。というのは彼はこう述べているからである。
 「寝台5台=家1軒」ということは「寝台5台=貨幣一定額」ということと“少しも区別はない”と。彼はさらにこういうことを看取している。この価値表現をひそませている価値関係は、それ自身として、家が寝台に質的に等しいとおかれるということと、これらの感覚的にちがった物が、このような「本質の等一性」〔Wesensgleichheit〕なくしては、通約しうる大いさとして相互に関係しえないであろうということを、条件にしているというのである。
 彼はこう述べている、 “交換は等一性〔Gleichheit:相等性〕なくしては存しえない。だが、等一性は通約し得べき性質なくしては存しえない”と。」(岩波文庫p.109)

   アリストテレス『ニコマコス倫理学(岩波文庫、上、p.189-190)参照

 

 第1部Ⅳ 労働生産物の価値対象性について

 第4節 商品の物神的性格とその秘密
 
   ①交換過程の内部で、生産物の二重性が反映される
   ②

14. 7. 労働生産物はその交換の内部においてはじめて、その感覚的にちがった使用対象性から分離された、社会的に等一なる価値対称性を得るのである。労働生産物の有用物と価値物とへのこのような分裂は、交換がすでに充分な広さと重要さを得、それによって有用物が交換のために生産され、したがっ
て事物の価値性格が、すでにその生産そのもののうちで考察されるようになるまでは、まだ実際に存在を目だたせるようにはならない。

この瞬間から、生産者たちの私的労働は、事実上、二重の社会的性格を得るのである。これらの私的労働は、一方においては特定の有用労働として一定の社会的欲望を充足させ、そしてこのようにして総労働の、すなわち、社会的分業の自然発生的体制の構成分子であることを証明しなければならぬ。

これらの私的労働は、他方において、生産者たち自身の多様な欲望を、すべてのそれぞれ特別に有用な私的労働がすべての他の有用な私的労働種と交換されうるかぎりにおいて、したがって、これと等一なるものとなるかぎりにおいてのみ、充足するのである。

(全く)ちがった労働が等しくなるということは、それが現実に不等一であることから抽象される〔 Abstraktion 〕ばあいにのみ、それらの労働が、人間労働力の支出として、抽象的に人間的な労働としてもっている共通な性格に約元(約分)〔Reduktion :還元.用語辞書参照〕されることによってのみ、ありうるのである

私的生産者の脳髄は、彼らの私的労働のこの二重な社会的性格を、ただ実際の交易の上で生産物交換の中で現われる形態で、反映するのである。すなわち――したがって、彼らの私的労働の社会的に有用なる性格を、労働生産物が有用でなければならず、しかも他人にたいしてそうでなければならぬという形態で――異種の労働の等一性〔Gleichheit 相等性・同一/ヘーゲル『小論理学』§116-117-118の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態/形式で反映するのである。

 編集部注等一性ーGleichheitー相等性・同一について
 ”等一”なる用語は、Gleichheitの向坂訳と思われます。広辞苑など辞書類には掲出されていません。資本論ワールドでは、ヘーゲル用語と思われます。
 →『小論理学』§116:本質は、本質的に区別の規定を含む。が、同一性は同時に関係であり、自分自身から自己を区別する。
 →§117:比較というものは、相等性Gleichheitおよび不等性Ungleichheitにたいして同一の基体を持ち、それらは同じ基体の異なった側面および見地でなければならない。
 →§118:相等性とは、同じでないもの、互に同一でないものの同一性であり、不等性とは、等しくないものの関係である。したがってこの二つのものは、無関係で別々の側面あるいは見地ではなく、互に反照しあうものである。かくして差別は反省の区別、あるいは、それ自身に即した区別、特定の区別となる。
 「等一性Gleichheit」は、上記§116~§118の概念を統合した相等性となり、
 「こうして、異種の労働の等一性の社会的性格を、これらの物質的にちがった物、すなわち労働生産物の共通な価値性格の形態/形式で反映する」することになります。〕




15. (注31) リカードの価値の大いさの分析 (岩波文庫p.144)
    〔その抽象的に人間的な労働への整約 〔Reduktion:還元(注1)〕 〕

―しかしながら、価値そのものについていえば、古典派経済学はいずこにおいても、明白にそして明瞭な意識をもって、価値に示されている労働を、その生産物の使用価値に示されている同じ労働から、区別することをしていない。
 古典派経済学は、もちろん事実上区別はしているというのは、それは労働を一方では量的に、他方では質的に考察しているからである。しかしながら、古典派経済学には労働の単に量的な相違が、その質的な同一性または等一性を前提しており、したがって、その抽象的に人間的な労働への整約 〔Reduktion:還元(注1)〕 を前提とするということは、思いもよらぬのである。・・・――

  ・・・・・・・  ・・・・・  ・・・・・・・  ・・・・・

 ■編集部注 
 この「整約」の用語は、広辞苑にも掲出されていませんので、探求してゆきます。
 「整約する」→動詞形:reduzieren では、<化>還元する、<数>簡約、約分するーとあります。「両者のおのおのは、交換価値であるかぎり、こうして、この第3のものに整約し・・・」から以下の推察が可能です。
 クラウン独和辞典によれば、
「例題:~auf seine Grundelement reduzieren :~をその基本要素に還元する。」とありますので、現時点ではこれに従います。なお、他の訳として、「<数>簡約、約分する」も検討の余地があります。
 オックスフォード独英事典より:reduzieren→reduce
 ジーニアス英和大辞典より:reduce 〔数学〕<分数>を約分する;<方程式>を(未知数を減らしたり整理したりして)解きやすい形にする。 〔化学〕・・・を還元する。 などが検討範囲に入ってきます。」

 以上、1.~15.まで第1章商品に表われる「抽象的に人間的な労働」です

 
  資本論ワールド編集部 ー予告編ー

   第2部「労働の凝結物Gallert

  
第2部では、「抽象的に人間的な労働の単なる実現形態として働いている
  ー「
労働の凝結物 Gallert」ーを解明してゆきます。

 ◆抽象的に人間的な労働」と労働の凝結物 Gallert」の関連について
 
残された解明すべき課題は、等価形態に表わされる「労働の凝結物 Gallert」です。
 わたしたちは、第2部「労働の凝結物Gallert」の考察によって、『資本論』のレトリック論に次の論理展開を発見することができます。

  A-3 等価形態 9. (岩波文庫p.107)
 9. 抽象的に人間的な労働の表現としての「労働の凝結物 Gallert」
 「3-9. 等価(物) Äquivalent のつとめをしている商品の物体は、つねに
抽象的に人間的な労働の体現として働いており、しかもつねに一定の有用な具体的労働の生産物である。」
 「したがって、この具体的労働は、
抽象的に人間的な労働の表現となる。例えば、上衣が、抽象的に人間的な労働の単なる実現となっているとすれば、実際に上衣に実現されている裁縫が、抽象的に人間的な労働の単なる実現形態として働いている」
 「等価(物) Äquivalent 商品の物体にたいして、人は、それが価値であるという風に、したがって、亜麻布価値に対象化されている労働から少しも区別されない、
労働の凝結物 Gallert であるというように、みなしてしまうのである。」(岩波文庫p.108)

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 『経済学批判』商品形態”分析のレトリック
    
〔 商品の交換過程 ーマルクスのレトリック論ー〕より

 〔編集部注:「商品がこのように全面的に己れを譲り渡すことによってはじめて商品に含まれている労働は有用労働となる(有用労働、すなわち使用価値を形成する労働)」ので、ー有用労働は、生成してゆく労働であり、形態変化しなければならない。
 向坂逸郎訳『資本論』(岩波文庫p.74)において、”抽象的にabstrakt 人間的な労働と翻訳・記述している根拠としては(1)アリストテレス「現実態・可能態、(2)ヘーゲル『小論理学』§115「抽象」規定を踏まえていると考えられる。〕

  *『経済学批判』ー価値表現の系列 論 点(si070-01)より
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 →次回 第2部「労働の凝結物 Gallert 」へ続く・・・ 2023.03.16