ドルトンと原子論 2020.07.23
資本論ワールド 編集部
Element と 原子論
目次
1. 原子論 atomism ー日本大百科全書
2. ドルトン ー化学辞典、百科事典マイペディア
3. 性質 -ブリタニカ国際大百科事典
4. ドルトンの原子分子仮説 ー『近代科学を築いた人々』
原子論 (英語表記)atomism; atomic theory
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 [肱岡義人・阿部恭久]
出典 小学館
自然はそれ以上分割できない微粒子(原子)と真空からできているという基本的自然観の一つ。自然の連続説に対する不連続説、目的論に対する機械論、観念論に対する唯物論の立場にたつ。紀元前5世紀の古代ギリシアでレウキッポスと弟子のデモクリトスが初めて唱えた。タレスらの一元論が、パルメニデスによって論理的批判を浴び、世界は均質で不変であると説かれたのち、現実の生成消滅を擁護するために考えられた多元論で、原子はパルメニデスの「有るもの」と同じく一様で不変の実質をもつが、大きさと形状のみが異なる。無数の原子が無限の空虚を動き、衝突により鉤(かぎ)ホックのように機械的に結合あるいは分離し、世界の諸変化が生じる。物体の差異は原子およびその配列の違いのみによる。こうした古代原子論は部分的変更(たとえば機械的結合のかわりにI・ニュートンによる力、多種の形状のかわりにJ・ドルトンの球状など)を受けながらも、一様な実質をもつ不可分・不変の原子という基本概念を維持し続けた。この説は観念論的元素説論者のアリストテレスによって反対され、古代ではエピクロスおよびその学派が道徳哲学の基礎として受け継いだだけであった。
アリストテレス学説が風靡(ふうび)した中世イスラムおよびヨーロッパでも原子論は衰微したままであったが、微粒子概念はアリストテレス説にも潜在的に含まれており、スコラ学者たちは自然の最小粒子(ミニマ)についてさまざまに論じた。ミニマはそれ自体性質をもち、物体の変化は構成ミニマの内的変化によるものであり、原子とは異なるが、時代が下ると原子論との混交がおこった。ルネサンス期には人文学者たちによる古代原子論の翻訳や紹介の結果、粒子論や原子論が流行した。フランスの司祭ガッサンディによるエピクロス説の紹介(1649~)は、トリチェリの真空の発見(1643)もあずかって原子論の普及に力があり、R・ボイルらに強い影響を与えた。原子とマクロな物体の間に比較的安定な粒子集合を想定するボイルの階層的粒子構造説は、後の原子・分子説の先駆をなすものであった。
一方、古代において原子論と対立した元素説も、化学反応の間にも変化を被らずに保存されるものがあると化学者たちが考え始め、原子論に接近していった。オランダのゼンナートの、四元素に対応した4種の原子あるいは粒子の想定はその現れである。
しかし、元素説と原子論の完全な結合は、四元素説を払拭(ふっしょく)した近代的元素説の誕生後であった。1803年にイギリスのドルトンは、ラボアジエの諸元素に原子を、化合物に分子(複合原子)を対応させ、それぞれの相対重量を算出した。ここに初めて、異種原子の規定がほぼ実証的に重量によってなされたのである。この結果、哲学的傾向の勝っていたこれまでの原子論は、科学の名に値するものになり、ラボアジエの元素説とともに化学を一新し、実り豊かな成果をあげることとなった。スウェーデンのベルツェリウスは精確な原子量決定の努力を長年続けた。
しかし、分子中の原子数を決定する一貫した根拠を欠いたため、倍数比例則などの傍証にもかかわらず、原子論への懐疑が化学者の一部にあり、原子量のかわりに当量を用いる者も現れた。単体における多原子分子の想定によって、ゲイ・リュサックの気体反応の法則と原子論とを調和させたアボガドロの仮説(1811)はこの問題を解決するはずであったが、実証性に欠けていると考えられた。この世紀に新しくおこってきた有機化学において、原子量が不確定なために、一つの化合物の分子式がさまざまに決められ混乱が生じた。この問題を解決するためにドイツのカールスルーエで開かれた国際化学者会議(1860)の閉会後に配付されたカニッツァーロの論文別刷はアボガドロの仮説に実証性を与え、ついに原子量問題に決着をつけた。この結果、すでに生まれつつあった原子価概念が明確になり、有機化学構造論の発展、J・L・マイヤー、メンデレーエフによる周期律の発見(1869)が引き続いた。後者は、「諸元素の化学的性質と物理的性質は原子量に周期的依存性をもつ」(メンデレーエフ)ことを明らかにしたもので、ドルトンの開始した元素と原子の統一を、その本質解明は20世紀を待たねばならなかったが、名実ともに完成したものである。
原子論は他の分野でも成功を収めた。とりわけ、気体分子運動論は化学の一学科をつくりあげるとともに、統計熱力学の端緒となった(ボルツマン)。原子論に基づくブラウン運動の解明、ことにアインシュタインの拡散方程式の実験的検証は、原子論への懐疑を一掃した。
19世紀末の電子および放射能の発見に始まる20世紀の原子科学は、不可分・不変と考えられた原子が内部構造をもち、他に転換しうることを明らかにして、原子論を歴史的概念に変える一方、自然の一階層としての原子の存在を証明した。中世ヨーロッパで流行した「錬金術」すなわち、高価な金を化学的反応でつくりだそうという試みは、原理的に不可能であることが明らかになった。元素を変換する錬金術は現在では、採算は合わないとしても原子核反応を用いて行うことは可能である。原子力発電の使用済み燃料の放射能処理への応用も検討されている。それ以上分割できない微粒子、あるいは自然の最小粒子という概念は、原子を構成する電子と原子核へ、さらに原子核を構成する陽子と中性子や湯川の中間子などの素粒子の発見への原動力となった。現在では、さらに素粒子を構成する最小単位としてクォークquarkの存在が確立している。[肱岡義人・阿部恭久]
■化学辞典 第2版の解説
ドルトン (John Dalton, 1766年 ― 1844年)
イギリスの化学者.北イングランド出身.地元のクェーカー教徒の小学校を出た後は独学で自然科学を修め,後年S. Smilesの名著“西国立志編”に取りあげられるほど傑出した才能を幼年時に披歴する.1781年ケンダルに移り初等学校の経営に従事.盲目の自然哲学者J. Goughに師事し,1787年より気象観測を開始.生涯休むことなく約20万回の観測記録を残す.1793年マンチェスターに移住し,非国教会系高等教育機関マンチェスター・カレッジの数学・自然哲学の教師に就任.オーロラの原因を地磁気に求めた,最初の著作“気象観測および論文集”を刊行.1794年には自ら色盲であることを発見する論文を発表(色盲のことを一名Daltonismという).同年マンチェスター文芸哲学協会会員.諸種の気体に関する実験研究をはじめる.1803年史上はじめて原子量表を記述(雑誌発表は1805年).I. Newton(ニュートン)の自然哲学で前提されていた原子論とA.L. Lavoisier(ラボアジエ)の元素論を統合し,元素の多様性を重量の異なる諸種の原子の存在に求め近代原子論の基礎を築いた.かれの科学的原子論は,1808年刊行の主著“化学哲学の新体系”(第1巻・第1部)で詳細に論じられ,友人T. Thomsonやロンドンで活躍していたH. Davy(デイビー)をはじめとする多くの一線の科学者に衝撃を与えたが,元素の相対的重量(原子量)を決定する原理に不備があったため批判が集中し,一時は原子の存在を仮定しない化学当量を原子量のかわりに用いる傾向が生まれた.その後,原子量確定のための原理的工夫が重ねられ,1860年に開催されたカールスルーエの国際化学者会議でようやく安定した原子量表が得られた.1817年文芸哲学協会会長.1826年ロイヤル・ソサエティ会員.1842年最後の発表論文はオーロラに関するものであった.家庭教師を生業としながら勤勉な実験生活を続け,生涯独身だった.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版
■百科事典マイペディアの解説
英国の化学者。織物工の子として生れ,小学校卒業後は独学。初め気象観測に興味をもち(観測は終生行った),のち気体の物理的性質の研究,1796年以降化学の研究を行う。1801年混合気体の分圧の法則(ドルトンの法則)を発見,1803年には近代原子論の概念に到達し,倍数比例の法則を発見。彼の原子論は主著《化学哲学の新体系》(1808年)で発表され,近代化学の理論的基礎を確立した。
→関連項目アボガドロ|原子論|ジュール
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディア
■性質(読み)せいしつ(英語表記)qualitas
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
質とも訳す。 qualitasはプラトンの造語 poiotēsの訳語としてキケロがつくったもの。事物のあり方を意味し,量の対立概念。アリストテレスは「どのような」という疑問への答えをなすものが性質であるとして,範疇の一つとした。アリストテレスやスコラ哲学では性質は個物にそなわる客観的なものであるが,すでにデモクリトスは客観的な原子の形,大きさ,位置などに対して色や味を単に主観的なものとしてみていた。この考えは近世にいたりガリレイを経て J.ロックによって第一性質と第二性質の区別として提出された。すなわち前者は固さ,延長,形,動静,数など客観的,数学的,物理学的な性質であり,後者は色,音,味など主観的,心理的な性質である。第一性質は物体の本質的規定であり,第二性質は偶有的性質である。近世以後の自然科学は以上の意味の質を量に還元し,数量計算の対象とすることを根幹としているが,哲学的価値論では量化されない質の重要性が強く主張されている。また,日常的用法では価値の序列を質の高低として表わすことが多い。さらにはアリストテレス主義において命題の質と呼ばれるのは肯定命題と否定命題の区別である。この質に対する意味の量は全称,特称,単称の区別であり,カントはこれに合せて第三の質の範疇として無限的を導入した。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
4. ドルトンの原子分子仮説 ー『近代科学を築いた人々』