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『資本論』労働力商品01 2023.08.20

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貨幣の資本への転化 労働力商品の経済学

第4章貨幣の資本への転化
第3節労働力の買いと売り

資本は、生産手段および生活手段の所有者が、自由なる労働者を、彼の労働力の売り手として市場に見出すところにおいてのみ成立する。そして、この一つの歴史的条件は、世界史を包括する。したがって、資本は、初めから、社会的生産過程のある時代を告知するのである。

  

   労働力の買いと売り

  目 次
 Ⅰ 労働力商品の登場   
 Ⅱ 絶対的剰余価値の生産
 Ⅲ 相対的価値の生産

  ◆詳細目次
 Ⅰ 労働力商品の登場
  
1. 資本に転化すべき貨幣の価値変化
  2. 労働力商品ー価値の源泉ー価値創造要因
  3. 労働力の商品市場
  4. 資本の成立条件
  5. 労働力商品の価値構成と価格
  6. 労働力商品の使用価値

 Ⅱ 絶対的剰余価値の生産
  1. 労働過程
  2. 価値増殖過程
  3. 不変資本と可変資本

 Ⅲ 相対的剰余価値の生産
  1. 相対的剰余価値の概念
  2. 協業
  3. 分業とマニュファクチャ

労働力商品01


   第3節 労働力の買いと売り

 1. 資本-貨幣の価値変化 G―W―G(G´)

 資本に転化すべき貨幣の価値変化は、この貨幣自身について起こりうるものではない。何故かというに、購買手段として、また支払手段としては、貨幣は、ただ買ったり支払ったりする商品の価格を、実現するにすぎない。他方において貨幣は、それ自身の形態を固執しながら、同一なる価値量の化石に凝結する。第二の流通行為から、すなわち商品の再販売から、この変化が発生しうるということはありえない。何故かというに、この行為は、商品をたんに自然形態から貨幣形態に転化させるだけであるからである。かくして、変化は第一の行為G―W―Gにおいて買われる商品について、起こらなければならないのであって、その価値についてではない。何故かというに、交換されるのは等価であって、商品はその価値どおりに支払われるからである。したがって、変化は、もっぱら商品の使用価値そのものから、すなわち、この商品を消費することから発生しうるのみである。ある商品の消費から価値を引き出すためには、わが貨幣所有者はきわめて幸運でなければならないのであって、流通部面の内部、市場で、一つの商品を発見しなければならぬ。


 2. 価値の源泉-価値創造要因の使用価値-労働力商品

 その商品の使用価値自身が、価値の源泉であるという独特の属性をもっており、したがって、その実際の消費が、それ自身労働の対象化であって、かくて、価値創造であるというのでなければならぬ。そして貨幣所有者は、市場でこのような特殊な商品を発見する―労働能力 Arbeitsvermögen または労働力 Arbeitskraft がこれである。
 われわれは、労働力または労働能力を、一人の人間の肉体、すなわち、人間の生ける人格の中にあって、何らかの種類の使用価値を生産するばあいに、人間が活動させる肉体的、精神的能力の総体であると考える。
 だが、貨幣所有者が労働力を商品として市場に見出すためには、いろいろな条件が充たされなければならない。商品交換は、それ自体としては、自分の本来の性質から発生する以外の何らの依存関係をも含んでいない。この前提の下で、労働力が商品として市場に現われうるのは、ただ、労働力がそれ自身の所有者、すなわち、その労働力を自らのものとしている個人によって、商品として提供される、すなわち売却されるかぎりにおいてのみであり、また、売却されるという理由によってのみである。その所有者が労働力を商品として売るためには、彼はこれを自由に処理しえなければならず、したがって、その労働能力の、すなわち彼の一身の、自由な所有者でなければならない。


 3.  労働力の商品化と商品市場

彼と貨幣所有者とは、市揚で出会い、お互いに対等の商品所有者としての関係にはいる。ただ、一方は買い手であり、他方は売り手である、したがって、両者は法律上平等な個人であるということで、区別されるだけである。この関係が存続するには、労働力の所有者が労働力を、つねに一定の時間のあいだだけ売るということが要求される。何故かというに、彼は、労働力を、引っくるめて一度に売るならば、自分自身を売るのであって、一個の自由人から奴隷に、一個の商品所有者から商品に、転化するからである。彼は人として、たえずその労働力にたいして、自分の財産として、したがってまた、自分自身の商品として、相対しなければならない。彼がこの通りでありうるのは、ただ彼が、つねに一時的に一定の時間をかぎって、買い手に労働力の処理を許し、その消費にまかせ、したがって、その売り渡しによって、彼の労働力にたいする所有を放棄するのではない、というかぎりにおいてのみである。
貨幣所有者が、労働力を市場に商品として見出すための第二の本質的な条件はこうだ、すなわち、その所有者は、自分の労働の対象化されている商品を売ることができるかわりに、むしろ彼の生ける肉体の中にのみ存しうる彼の労働力そのものを、商品として売りに出さなければならないということである。

 何人なんびとかが、その労働力から区別される商品を売るためには、彼はいうまでもなく生産手段を、たとえば、原料、労働要具等々をもっていなければならぬ。彼は皮なしでは、深靴をつくることができない。彼はそのほかに生活手段を必要とする。何人も、かの未来音楽家すらも、未来の生産物を食って生きることはできない。したがって、その生産がまだ完了していない使用価値で生きることはできない。人間は、地上の舞台にはじめて登場した第一日目におけると同様に、彼が生産する前にも、生産しつつあるあいだにも、毎日消費しなければならぬ。生産物が商品として生産されるとすれば、それらのものは、生産されたら売られなければならぬ。そして生産者の欲望を、売却の後にはじめて充足させることができる。生産期間には、売りのために必要な時間が加わる。
 貨幣の資本への転化のために、かくて、貨幣所有者は、自由なる労働者を商品市場に見出さなければならぬ。二重の意味で自由である。すなわち、彼は自由な人格として、自分の労働力を商品として処置しうるということ、彼は他方において、売るべき他の商品をもっていないということ、すなわち、彼の労働力の現実化のために必要なる一切の物財から、放免され、自由であるということである。
 何故にこの自由なる労働者が、彼に流通部面で相対するにいたるかという問題は、貨幣所有者の関心事ではない。彼は、商品市場の特別の部門として、労働市場を見ているだけである。そして目下のところ、それはわれわれの関心事でもない。われわれは、貨幣所有者が実際的になしているように、理論的に、この事実をしっかりとつかまえておく。だが、一つのことは、明らかである。自然は、一方において貨幣所有者と商品所有者とを生産するわけでなく、また他方において、自分の労働力の単純なる所有者を生産するわけでもない。この関係は決して自然史的のものでなく、またすべての歴史時代に共通である社会的の関係でもない。それは明瞭に、先行の歴史的発展の結果であり、多くの経済的変革、すなわち、永い系列をなす社会的生産の古い諸形式消滅の産物であるとも、いうべきものである。(中略)


 4.  労働力の売り手市場-資本の成立条件

  あるいは、われわれが貨幣を考察するならば、それは商品交換のある程度の高さを前提している。単なる商品等価、または流通手段、あるいは支払手段、退蔵貨幣および世界貨幣というような、特別の貨幣諸形態は、それらのある機能または他の機能のおのおのが働く範囲の大小とそれらの相対的な重要さにしたがって、社会的生産過程のきわめてちがった段階を示唆する。それにしても、経験的には、比較的微弱に発展せる商品流通があれば、これらすべての形態の形成には足りる。

資本についてはこれと異なる。その歴史的な存立条件は、決して、商品流通や貨幣流通があれば、いつもあるものではない。資本は、生産手段および生活手段の所有者が、自由なる労働者を、彼の労働力の売り手として市場に見出すところにおいてのみ成立する。そして、この一つの歴史的条件は、世界史を包括する。したがって、資本は、初めから、社会的生産過程のある時代を告知するのである。


 5.  労働力商品の価値構成と価格

 労働力の価値は、すべての他の商品の価値に等しく、この特殊なる商品の生産、したがってまた再生産に必要な労働時間によって規定される。それが価値であるかぎり、労働力自身は、ただその中に対象化された社会的なる平均労働の一定量を代表するにすぎない。労働力は、ただ生ける個人の能力として存するのみである。したがって、その生産は、彼の生存を前提する。個人の生存を与えられたものとすれば、労働力の生産は、彼自身の再生産または維持である。彼の維持のために、生ける個人は、一定量の生活手段を必要とする。労働力の生産に必要なる労働時間は、かくして、この生活手段の生産に必要なる労働時間に解消される。すなわち労働力の価値は、その所有者の維持のために必要なる生活手段の価値である。だが、労働力はただその支出によってのみ実現される。すなわち、ただ労働においてのみ活動する。しかしながら、その活動、すなわち労働によって、人間の筋肉、神経、脳髄等々の一定量が支出される。これは再び補充されなければならない。この支出が増大すれば、摂取も増大される必要がある。(中略)
 だが、貨幣が購買手段として機能するか、支払手段として機能するかということは、商品交換そのものの性質には、少しも変化をあたえない。労働力の価格は、契約上確定されている、これは、家屋の家賃と同じように、後になってやっと実現されるものではあるが。労働力は、あとになってはじめて支払われるにしても、売られてはいる。だが、この関係を純粋に理解するには、さしあたり、労働力の所有者は、その販売とともに、いつもただちに契約上定められた価格を受取ると前提するのが、便利である。


 6.  労働力商品の使用価値-労働力の消費で剰余価値の生産過程

 われわれは、いま、この特有の商品である労働力の所有者にたいして、貨幣所有者から支払われる価値の規定の仕方を識るにいたった。他方この後者が交換において受け取る使用価値は、実際の使用で、すなわち、労働力の消費過程ではじめて示される。原料等々のようなこの過程に必要なすべての物を、貨幣所有者は商品市場で買い、これを価格一杯に支払う。労働力の消費過程は、同時に商品と剰余価値の生産過程である。労働力の消費は、他のすべての商品の消費と同じく、市場または流通部面の外で行なわれる。それゆえに、われわれは貨幣所有者や労働力所有者と一緒に、この喧しい、見かけだけの大さわぎの行なわれている、そして誰の眼にもとまる部面をすてて、この二人にしたがって、かくれた生産の場所に行こう。その入口には「無用の者入るべからず」と書いてある。ここでは、ただ資本がどういうふうに生産しているかを示しているだけでなく、人はどうして資本そのものを生産しているかが見られる。貨殖の秘密も、ついに明るみに出ざるをえない。(岩波文庫p.306)

・・・・・・以下省略・・・・


労働力商品02
労働力商品の経済学

 『資本論』の構図        ー2023.08.20ー

 『資本論』経済学批判から資本の経済学へ
 貨幣の資本への転化
   労働力商品01
 絶対的剰余価値の生産
   労働力商品02
    1.剰余価値の生産ー価値増殖過程
    2.不変資本と可変資本
 相対的剰余価値の生産
   労働力商品03
    3.協業
    4.分業とマニュファクチャ
    5.機械装置と大工業

 
     作業中2023.08.05
1> 『経済学批判』抄録・論点 bs001_02
2> 『資本論』1版 抄録・論点 bs001_03
3> 『資本論』2版 岡崎訳論点  bs001_10
4> 『資本論』2版 向坂訳論点 bs001_04
5> 向坂訳と岡崎訳の翻訳差異 bs001_11
6> 『資本論』翻訳問題 集成 bs001_12
D.『経済学批判』
bs001_05
D.『資本論』1版 bs001_06
D.『資本論』2版 bs001_07