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労働力商品02 不変資本と可変資本 |
『資本論』の構図 ー2023.08.20ー
不変資本と可変資本
『資本論』経済学批判から資本の経済学へ
貨幣の資本への転化
労働力商品01
絶対的剰余価値の生産
労働力商品02
1.剰余価値の生産ー価値増殖過程
2.不変資本と可変資本
相対的剰余価値の生産
労働力商品03
3.協業
4.分業とマニュファクチャ
5.機械装置と大工業
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作業中2023.08.05
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不変資本と可変資本 2023.08.18
*一つの生産物の、一つの新しい使用価値の形成要素となる。これらの使用価値の元の形態は消失
第3篇 絶対的剰余価値の生産
第6章 不変資本と可変資本
労働過程の異なる諸要素は、生産物価値の形成に、それぞれちがって関与する。
労働者は、その労働の特定の内容、目的、および技術的性格の如何にかかわらず、一定量の労働を付け加えることによって、労働対象にあらたな価値を付加する。他方において、われわれは消耗された生産手段の価値を、ふたたび生産物価値の構成部分として、たとえば綿花および紡錘の価値を、撚糸価値の中に見出す。かくして、生産手段の価値は、生産物へのその移転によって保存される。この移転は、生産手段が生産物に転化するあいだに、すなわち、労働過程において、行なわれる。それは労働によって媒介される。しかし、いかにしてか?
労働者は、同一時間に二重に労働するのではない。一方では、彼の労働によって綿花にある価値を付け加えるために、そして他方では、綿花の元の価値を保存するために、あるいは、同じことではあるが、彼が加工する綿花と彼がそれをもって労働する紡錘との価値を、生産物なる撚糸に移転するために、労働するのではない。そうではなく、彼は、単に新たな価値を付け加えることによって、元の価値を保存するのである。しかるに、労働対象への新たな価値の付加と、生産物における元の価値の保存とは、労働者が同一時間内に生ぜしめる二つの全く異なる結果であり、しかも彼は同一時間中には一度しか労働しないのであるから、この結果の二面性は、明らかに、彼の労働そのものの二面性からのみ説明されうるものである。同じ時点において、彼の労働は、一つの属性においては、価値を創造し、他の属性においては、価値を保存または移転せねばならないのである。
いかにして各労働者は労働時間を、したがって価値を付け加えるか? つねに彼の特有の生産的労働様式の形態でのみ、価値を付け加える。紡績工は紡ぐことによってのみ、織物工は織ることによってのみ、鍛冶工は鍛えることによってのみ、労働時間を付け加える。しかして、彼らが労働一般を、したがって新価値を付加する目的を定められた形態によって、すなわち、紡績、機織、鍛冶によって、生産手段、すなわち、綿花と紡錘、撚糸と織機、鉄と鉄砧(てっちん-かなとこ、金敷 : 鍛造や板金作業で、加熱した材料をのせる鋳鉄または鋳鋼製の作業台)、
一つの生産物の、一つの新しい使用価値の形成要素となる。これらの使用価値の元の形態は消失するが、しかしそれは、使用価値の一つの新しい形態において立ち現われるためにすぎない。しかし、価値形成過程の考察で明らかになったように、使用価値が新しい使用価値の生産のために目的どおりに消費されるかぎり、消費された使用価値の生産に必要な労働時間は、新しい使用価値の生産に必要な労働時間の一部分をなし、したがってそれは、消費された生産手段から新しい生産物に移転される労働時間である。かくして、労働者が消費された生産手段の価値を保存し、またはそれを価値構成部分として生産物に移転するのは、彼が労働一般を付け加えることによってではなく、この付加的労働の特別な有用的性格によってであり、その特殊的に生産的な形態によってである。かような目的に合致する生産的活動として、紡績、機織、鍛冶として、労働は、その単なる接触によって生産手段を死物から蘇生させ、それらを鼓舞して、労働過程の諸因子となし、それらと結合して生産物をなすのである。
労働者の特殊な生産的労働が、紡績でないならば、彼は綿花を撚糸に転化することなく、したがって、綿花および紡錘の価値を撚糸に移転することもないであろう。これに反して、同じ労働者が職業を変えて指物工になっても、彼は依然として、一労働日によって、彼の材料に価値を付け加えるであろう。したがって、彼が彼の労働によって価値を付け加えるのは、彼の労働が、紡績労働あるいは指物労働であるかぎりにおいてではなく、それが抽象的な社会的労働一般であるかぎりにおいてであり、また、彼が一定の価値量を付け加えるのは、彼の労働が特別な有用的内容を有するからではなく、それが一定時間継続するからである。
かくして、その抽象的一般的属性においては、すなわち人間労働力の支出としては、紡績工の労働は、綿花および紡錘の価値に新価値を付け加え、そして、紡績過程としてのその具体的な特別な有用的属性においては、これらの生産手段の価値を生産物に移転し、かくしてそれらの価値を生産物において保存するのである。それゆえに、同じ時点における労働の結果の二面性が生ずるのである。
労働の単に量的な付加によって、新たな価値が付け加えられ、付け加えられた労働の質によって、生産手段のもとの価値が生産物において保存される。労働の二面的な性格に基づく、同一労働のこの二面的な作用は、種々の現象について手にとるように明らかに現われる。(中略)
〔形態変化Metamorphose〕
価値は、価値標章における象徴的にすぎない表示を別とすれば、一つの使用価値のうちにのみ、一つの物のうちにのみ存在する。(人間そのものも、単なる労働力の定在(Daseinダーザイン)として見れば、一つの自然対象であり、たとえ、生きた、自己意識をもった物であるにしても、一つの物であり、そして労働そのものは、その力の物的発現である。)したがって、使用価値がなくなれば、価値もなくなる。生産手段は、それらの使用価値とともに、同時にその価値をも失うものではない、というのは、それらが労働過程によって、それらの使用価値の元来の態容(Gestaltすがた)を失うのは、実際に、生産物において他の使用価値の態容を獲得するためにすぎないからである。しかし、価値にとっては、何らかの使用価値のうちに存在することは重要であるが、それがいかなる使用価値のうちに存在するかは、商品の形態変化〔Metamorphose〕が示すように、どうでもよいのである。このことから次のように結論される。労働過程において、価値が生産手段から生産物に移行するのは、生産手段がその独立の使用価値とともに、その交換価値をも失うかぎりにおいてのみである。生産手段は、それが生産手段として失う価値のみを、生産物に渡す。しかし、労働過程の対象的な諸因子は、この点にかんしては、いろいろとちがった事情にある。
機関を熱する石炭はあとかたなく消失し、車軸に塗る油なども同様に消失する、等々。染料やその他の補助材料も消失するが、しかし生産物の属性となって現われる。原料は生産物の実体をなすが、しかし、その形態を変じている。かくして、原料および補助材料は、それらが使用価値として労働過程に入ったときの独立の態容を失う。本来の労働手段にあってはこれと異なる。用具、機械、工場建物、容器等々は、それらの元来の態容を保持して、明日も再び昨日と全く同じ形態で労働過程に入るかぎりにおいてのみ、労働過程において役立つ。それらは、生きているあいだ、すなわち、労働過程にあるあいだ、生産物にたいしてそれらの独立の態容を保持するように、その死後にもこれを保持する。機械、道具、労働用建物等々の死骸はやはり、それらの助けによって作られた生産物から離れて存在する。いま、このような労働手段が役に立つ全期間を、作業場に入った日から物置に追放される日まで、考察するならば、この期間中に、その使用価値は労働によって完全に消耗され、したがって、その交換価値は完全に生産物に移行している。(中略) p51
かくして、生産手段は、それが労働過程において、それ自身の使用価値の消滅によって失う以上の価値を、決して生産物に移すものでない、ということが的確に知られる。それが失うべき何らの価値ももたないならば、すなわち、それ自身が入間労働の生産物でないならば、それは何らの価値をも生産物に移さないであろう。それは、交換価値の形成者として役立つことなくして、使用価値の形成者として役立ったのである。したがって、天然に、人間の協力なしに現存するすべての生産手段がそうであり、土地、風、水、鉱脈内の鉄、原始林の木等々がそうである。
ここで、さらに他の興味ある現象が、われわれの前に現われる。ある機械が、たとえば1000ポンドに値し、そして1000日で磨損し了るものとする。このばあいには、毎日機械の価値の1000分の1が、機械そのものから、その日々の生産物に移行する。同時に、漸減する生活力をもってであるとはいえ、つねに機械全体が労働過程で作用する。かくして、労働過程のある因子は、ある生産手段は、労働過程には全体として入るが、価値増殖過程には一部分しか入らない、ということがわかる。ここでは、同一生産過程において、同一生産手段が、労働過程の要素としては全体として数えられ、価値形成の要素としては部分的にのみ数えられることによって、労働過程と価値増殖過程との区別が、それらの対象的諸因子に反射するのである。
〔不変資本〕
他方では、逆に、ある生産手段は、労働過程には部分的にしか入らないのに、価値増殖過程には全体として入りうる。綿花を紡ぐにあたって、撚糸にはならないで綿屑にしかならないものが、毎日115ポンドについて15ポンド出るものと仮定しよう。しかし、この15ポンドの廃物が標準的であり、綿花の平均加工に不可分であるとすれば、撚糸の要素をなさない15ポンドの綿花の価値が、撚糸の実体をなす100ポンドの綿花の価値と全く同様に、撚糸の価値に入る。100ポンドの撚糸を作るためには、15ポンドの綿花の使用価値が屑とならざるをえない。したがって、この綿花の廃滅が、撚糸の一生産条件である。まさにそれゆえに、それはその価値を撚糸に移すのである。このことは、労働過程のすべての廃物にあてはまる。少なくとも、これらの廃物がふたたび新しい生産手段を形成せず、したがって、新しい独立の使用価値を形成しない程度においては。たとえば、マンチェスターの大機械工場では鉄屑の山が、巨大な機械によって鉋屑(かんなくず)のように削り落とされて、夕刻には大きな車で、工場から製鉄所に行くのが見られるが、それは他日ふたたび大量の鉄として、製鉄所から工場に帰ってくるのである。
生産手段が労働過程で、それらのもとの使用価値の態容における価値を失うかぎりにおいてのみ、それらは生産物の新しい態容の上に、価値を移転する。生産手段が労働過程において蒙りうる価値喪失の最大限度は、それらが労働過程に入るときの元来の価値量によって、あるいはそれら自身の生産に必要とされた労働時間によって、明らかに制限されている。だから、生産手段は、それらが役立つ労働過程から独立にもっているより以上の価値を、生産物に付け加えることは、決してできない。ある労働材料、ある機械、ある生産手段が、いかに有用であろうとも、それが150ポンド、たとえば500労働日に値するとすれば、総生産物―—この生産手段はその形成に用いられる――にたいして、150ポンド以上を付け加えることは、決してない。生産手段の価値は、それが生産手段として入ってゆく労働過程によってではなく、それが生産物として出てくる労働過程によって、規定されている。労働過程においては、それはただ使用価値としてのみ、有用な諸属性を有する物としてのみ、役立つのであり、したがって、それがこの過程に入る前に価値をもっていなかったならば、それは何らの価値をも生産物に移さないであろう。
〔新しい生産物に価値転生(生まれ変わること)〕p55
生産的労働が、生産手段を新しい生産物の形成要素に転化しつつあるあいだに、生産手段の価値には一つの転生〔Seelenwandrung:魂の転生,化身〕がおこる。それは消耗された肉体から、新たに形づくられた肉体に移る。しかし、この転生は、いわば現実の労働の背後で行なわれる。労働者は、もとの価値を保存することなくしては、新たな労働を付加することができず、したがって、新しい価値を創造することができない。なぜなれば、彼はつねに労働を特定の有用な形態で付加せねばならない、しかも彼は、
諸生産物を一つの新しい生産物の生産手段たらしめ、かくすることによって、それらの価値を新たな生産物に移転することなくしては、労働を有用的なる形態で、付け加えることができないからである。かくして、価値を付加しながら価値を保存するということは、活動しつつある労働力の、すなわち生きた労働の、一つの天資〔生まれつきの資質〕であり、労働者にとっては。何らの費用をも要せず、しかも資本家には、既存の資本価値の保存という大きな利益をもたらす天資である。事業が好調であるあいだは、資本家は貨殖に没頭するあまり、労働のこの無償の贈り物を見ようとしない。労働過程の強圧的な中断である恐慌は、彼をして痛切にこれに注意せしめる。
一般に生産手段において消耗されるものは、それらの使用価値であって、その消費によって労働は生産物を形成する。生産手段の価値は、実際には消費されるのではなく、したがって再生産もされえない。価値は保存されるのであるが、しかし労働過程において価値そのものに、ある操作が加えられるからではなく、価値が元来そのうちに存在する使用価値が、消失はするが、しかしただ他の使用価値となってのみ消失するからである。したがって、生産手段の価値は、生産物の価値に再現するのであるが、しかし、精確にいぇば、再生産されるのではない。生産されるのは、もとの交換価値がそのうちに再現する新しい使用価値である。 p57
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翻訳問題
〔剰余価値〔Mehrwert:Mehr より多くの数(量・額)〕
すなわち-剰余とは-goo辞書と会計用語の場合
労働過程の主体的因子については、すなわち、活動しつつある労働力については、これと異なる。労働がその目的に添う形態によって、生産手段の価値を生産物に移転し、保存するあいだに、労働の運動の各瞬間は付加的な価値を、すなわち新価値Neuwertを、形成する。労働者が彼自身の労働力の価値にたいする等価物を生産した点で、6時間の労働によって、たとえば3シリングの価値を付加した点で、生産過程が中断するとしよう。この価値は、生産物価値のうちの、生産手段の価値からくる構成部分〔Bestandteil:構成要素〕を超えた超過分〔Überschuß;超過〕をなす。それは、この過程の内部で成立した唯一の本源的価値〔Originalwert〕であり、この過程そのものによって生産された生産物の唯一の価値部分である。もちろんそれは、労働力の購買に際して資本家によって前貸しされた、そして労働者自身によって生活手段に支出された貨幣を、補填するにすぎない。支出された3シリングとの関係においては、3シリングの新価値は、ただ再生産として現われるにすぎない。しかし、それは現実に再生産されているのであって、生産手段の価値のように、外観的にのみ再生産されているのではない。一つの価値の他の価値による補填は、ここでは新たな価値創造Wertschöpfungによって媒介されているのである。
しかし、われわれがすでに知っているように、労働過程は、労働力の価値にたいする単たる等価が再生産されて労働対象に付加される点を超えて、続行される。このためには充分な6時間でなく、過程は、たとえば12時間継続される。かくして、労働力の活動によっては、単にそれ自身の価値が再生産されるのみではなく、ある超過的な価値が生産される。この剰余価値〔Mehrwert:Mehr より多くの数(量・額)〕 は、消耗された生産物形成者、すなわち生産手段および労働力の価値以上の、生産物価値の超過分Überschußをなすのである。
われわれは、生産物価値の形成において、労働過程の異なる諸因子が演ずる異なる役割を述べることによって、事実上、資本自身の価値増殖過程Verwertungsprozeßにおける資本の種々の構成部分の機能を、特徴づけたのである。生産物の総価値のうちの、その形成要素Bildungselementeの価値総額を超える超過分は、最初に前貸しされた資本価値以上の、価値増殖された資本の超過分である。一方における生産手段、他方における労働力は、最初の資本価値Kapitalwertが、その貨幣形態を脱して労働過程の諸因子に転化する際にとった種々の存在形態Existenzformenにすぎない。
かくて、生産手段に、すなわち、原料、補助材料、および労働手段に転化する資本部分は、生産過程で、その価値量を変じない。ゆえに、私はこれを不変資本部分、あるいはより簡単に、不変資本konstantes Kapitalと名づける。
p.60
これに反して、労働力に転化された資本部分は、生産過程においてその価値を変ずる。それは、それ自身の等価と、それ以上の超過分である剰余価値とを再生産し、この剰余価値そのものは、変動しうるものであって、大きいことも小さいこともありうる。資本のこの部分は、一つの不変量からたえず一つの可変量に転化する。ゆえに、私はこれを可変資本部分、あるいはより簡単に、可変資本variables Kapitalと名づける。労働過程の立場からは、客体的および主体的因子として、すなわち、生産手段および労働力として区別される同一資本構成諸部分が、価値増殖過程の立場からは、不変資本および可変資本として、区別されるのである。
不変資本の概念は、その構成部分の価値革命Wertrevolutionを、決して排除するものではない。1ポンドの綿花が今日は6ペンスに値し、明日は、綿花収穫の減退のために、1シリングに騰貴すると仮定しよう。ひきつづき加工される古い綿花は、6ペンスの価値で買われたものであるが、いまでは1リングの価値部分を生産物に付加する。そして、すでに紡がれた、おそらくすでに撚糸として市場で流通しつつある綿花も、同様に、その元来の価値の2倍を生産物に付加する。しかし、この価値変動Wertwechselが、紡績過程そのものにおける綿花の価値増殖から独立したものであることは、明らかである。古い綿花が、まだ全然労働過程に入っていないとすれば、いまでは、それは6ペンスのかわりに1シリングで再び売られうるであろう。それどころか、それが労働過程を通過していなければいないほど、この結果はより確実なのである。(中略) p.61
原料の価値と同様に、すでに生産過程で用いられつつある労働手段、機械装置その他の価値も、したがってまた、それらが生産物に引渡す価値部分も、変動することがある。たとえば、ある新発明の結果、同種の機械装置が減少した労働支出をもって再生産されるならば、古い機械装置は、多かれ少なかれ価値を減じ、したがってまた、それに比例して、より少ない価値を生産物に移転する。しかし、このばあいにも、価値変動は、その機械が生産手段として機能する生産過程の外部で生ずる。この過程では、機械は、それがこの過程から独立してもっているよりも、より多くの価値を引渡すということは、決してないのである。
生産手段の価値における変動は、たとえそれが、すでに過程に入った後に反作用的に生じても、不変資本としてのそれらの性格を変化させないのと同様に、不変資本と可変資本との比率における変動も、それらの機能上の区別には影響しない。労働過程の技術的な諸条件が変革されて、たとえば、以前には10人の労働者が、僅少の価値しかもたない10個の道具で、比較的少量の原料に加工していたのに、いまでは1人の労働者が、1台の高価な機械をもって、100倍の原料に加工するようになるとする。このばあいには、不変資本、すなわち充用される生産手段の価値量は、非常に増大し、労働力に前貸しされる資本の可変部分は、非常に減少するであろう。しかしこの変動は、不変資本と可変資本とのあいだの数量関係、すなわち、総資本が不変的構成部分と可変的構成部分とに分かたれる比率を、変化させるのみで、不変的であることと可変的であることとの区別には、影響しないのである。
・・・・・・・2023.08.22・第6章終わり・・
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